第三章 治癒と代償
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第三章 治癒と代償
安藤健司は、
深い水の底に沈んでいくような感覚の中で目を覚ました。
視界はぼやけ、
天井の光が滲んで見える。
(……ここは……?)
意識はある。
思考もある。
記憶もある。
だが──
体が動かない。
腕も、足も、指先すら。
まるで自分の体ではないようだった。
(……どうして……?)
声を出そうとした。
喉に力を込める。
息を押し出す。
──音が出ない。
(……声が……出ない……?)
恐怖が、ゆっくりと胸の奥からせり上がってきた。
病室の外から、
複数の足音が近づいてくる。
「成功だ。
肉体は完全に治癒している」
佐々木教授の声だった。
「意識は……?」
別の医師が尋ねる。
「戻らなかった。
脳の損傷が大きかったのだろう。
だが、生命維持には問題ない」
(……違う……!
意識は……ある……!
聞こえてる……!)
必死に訴えようとする。
だが、体は微動だにしない。
まるで、
自分が透明な壁の中に閉じ込められたようだった。
「では、次の段階に移ろう」
佐々木の声が近づく。
「解剖実習のスケジュールに合わせて、
この患者を使用する」
(……え……?)
健司の思考が止まった。
(……使用……?
何を……言って……)
「植物状態だから、苦痛はない。
倫理的にも問題はない」
(……違う……!
意識は……ある……!
聞こえてる……!
やめてくれ……!)
心の中で叫んでも、
声は外に届かない。
ストレッチャーが動き、
健司の体は病室から運び出される。
天井の蛍光灯が流れていく。
廊下のざわめきが遠ざかる。
(……どこへ……連れていかれる……?)
やがて、
冷たい空気が肌に触れた。
解剖実習室。
無影灯の白い光が、
健司の視界いっぱいに広がる。
(……やめてくれ……
お願いだ……
誰か……気づいてくれ……)
だが、
誰も気づかない。
健司の体は、
ただの“献体”として扱われていた。
佐々木教授の声が響く。
「では、始めましょう」
学生たちが解剖台を囲む。
緊張した息遣いが聞こえる。
「今日の献体は、非常に状態が良い。
筋組織の観察に最適だ」
(……違う……!
俺は……生きてる……!
意識が……ある……!)
心の叫びは、
誰にも届かない。
健司の視界は、
無影灯の白い光で満たされていた。
その光の中で、
彼はただひとつの事実を理解する。
──自分は、生きている。
──だが、誰にも気づかれていない。
そして、
体を襲う激痛。
逃げられない。
生きたまま、体を切り開かれ、内臓が取り出されていく。
(たす…けて…やめ…てくれ……)
その状態のまま、
“次の段階”へ進められていく。
実習が終わる頃、
健司の意識は薄れかけていた。
(……終わった……?)
だが、
その直後──
「では、治癒に移ろう」
佐々木の声が聞こえた。
再び、
あの水槽へと運ばれていく。
淡い光を放つ液体が満たされた円柱。
(……また……?
また……戻される……?)
液体に沈む瞬間、
健司は理解した。
──これは一度きりではない。
──何度も繰り返される。
治癒。
実習。
治癒。
実習。
終わりのない循環。
(……やめてくれ……
もう……やめてくれ……)
(もう…殺してくれ!)
その願いは、
液体の中で静かに消えていった。
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