第二章 末期患者への提案
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第二章 末期患者への提案
安藤健司は、病室の窓から外を眺めていた。
冬の終わりを告げるように、
薄い雪が静かに降っている。
病室の空気は乾燥し、
機械の規則的な電子音だけが響いていた。
医師から告げられた言葉が、
まだ頭の中で反響していた。
──ステージ4。
──余命1ヶ月。
「……そんな……」
妻の美咲は、医師の前で崩れ落ちた。
娘の紗良は、まだ状況を理解できず、
ただ父の手を握って泣いていた。
健司は、
その二人を見ていることができなかった。
(……死ねない。俺は……まだ死ねない)
家族のために。
娘の成長を見るために。
妻を一人にしないために。
「何がなんでも、生きたい……」
その願いだけが、
健司の胸を支えていた。
数日後。
病室のドアが静かに開いた。
「失礼します。安藤さん」
白衣を着た男が入ってきた。
柔らかい笑みを浮かべた、穏やかな雰囲気の人物。
「私は、人体解剖学教授の佐々木と申します。
少し、お話ししてもよろしいですか」
健司は首をかしげた。
「……解剖学の先生が、僕に?」
「ええ。
あなたのような末期患者の方に、
特別な治療のご提案がありまして」
佐々木は椅子に腰掛け、
静かに言葉を続けた。
「当病院には、
“賢者の石”と呼ばれる装置があります」
健司は眉をひそめた。
「賢者の……石?」
「どんな病気も、どんな怪我も、
そして臓器の欠損さえも治癒できる装置です」
健司は思わず息を呑んだ。
「……そんなものが……本当に?」
「ええ。ただし、治療には莫大な費用がかかります。
一般の方には、とても手が出せない額です」
健司の胸に、希望が灯った瞬間──
その光はすぐに消えかけた。
(……金なんてない。
そんな治療、受けられるはずが……)
だが、佐々木は続けた。
「ですが、安藤さん。
あなたには、無料で治療を受けていただけます」
健司は目を見開いた。
「……無料で……?」
「はい。条件が、いくつかありますが、、」
佐々木は、淡々と説明を始めた。
「まず、治療を受けたことは口外禁止。
これは研究段階の技術ですので」
健司は頷いた。
「次に、治療後も定期的に“賢者の石”によるケアが必要です。
透析のようなものだと思ってください」
「……それで、生きられるんですか?」
「もちろんです。あなたは助かります」
その言葉は、
健司の胸に深く刺さった。
「最後に……
治療後、定期的にサンプルを採取させていただきます。
研究のためです」
健司は迷わなかった。
「……お願いします。
僕は……生きたいんです」
佐々木は微笑んだ。
「承諾書にサインをお願いします」
震える手でペンを取り、
健司は名前を書いた。
安藤健司。
その文字は、
彼の“希望”であり、
同時に“地獄への扉”でもあった。
治療の日。
健司は、透明な円柱状の水槽の前に立っていた。
「こちらに入ってください」
佐々木の声は穏やかだった。
水槽の中には、
淡い光を放つ液体が満たされている。
「これが……賢者の石……」
「ええ。
あなたを救う装置です」
健司は水槽に入り、
ゆっくりと液体に沈んでいった。
呼吸が苦しくなる。
視界がぼやける。
意識が遠のく。
(……生きたい……
美咲……紗良……)
最後に浮かんだのは、
家族の顔だった。
そして──
健司の意識は闇に沈んだ。
次に目を開けたとき、
健司はベッドの上にいた。
体は軽い。
痛みもない。
呼吸も楽だ。
(……治った……?)
だが──
体が動かない。
声も出ない。
目だけが、
天井を見つめていた。
(……あれ……?
どうして……?)
病室の外から、
佐々木の声が聞こえた。
「成功だ。
肉体は完全に治癒した。
意識は……戻らなかったがね」
(……戻ってる……!
意識は……ある……!
聞こえてる……!)
だが、声は出ない。
指一本動かせない。
ただ、
涙だけが静かに流れた。
佐々木は言った。
「これで、次の実習にも間に合う」
健司の地獄は、
ここから始まった。
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