第7話 湖が、温泉になる日
朝霧の中、ゼノは地面に膝をついていた。
冷たい土の感触が、掌から伝わってくる。
だがその奥に、確かに別の温度があった。
「……あるな」
呟きは、独り言に近い。
魔力の流れとは違う。
呪文とも、術式とも無関係な――地そのものの脈動。
地の奥深くを、ゆっくりと巡る熱の川だ。
前世では、触れたことも、意識したこともなかった感覚。
だが今は、はっきりと分かる。
(世界は、詰まっている場所がある)
水も、空気も、金も、感情も。
流れが滞れば、必ず腐る。
ホストだった頃、何度も見てきた。
人も、店も、街も――詰まった瞬間から壊れていくんだ。
ならば、通せばいい。
ただ、それだけだ。
背後でガルドが叫ぶ。
「ゼノ! 本気でやるのか!? 二十棟だぞ!?」
ゼノは振り返り、イタズラっ子のように笑った。
「足りないかもしれないよ」
「足りないって!? 何がだ!」
ガルドは苦笑しながらも、もう分かっていた。
止められない。
この男は、やると決めたら必ず形にする。
ゼノは立ち上がり、村の空き地を見渡す。
すでに完成している樽の家が四棟。
その周囲に広がる、更地。
「配置は円形。中央に温泉湖。外周に宿泊樽を二十棟かな」
「円形……?」
ガルドには想像がつかない。
ゼノは地面に指で円を描いた。
「流れを作ります。人の動線も、魔力も、視線も」
人は、無意識に“中心”へ引き寄せられる。
そこから外へ、また戻る。
感情が滞らない配置。
安らぎと、笑顔、人々の幸せが巡る場所に。
――
視界が淡く光る。
《視聴者数:31,442》
《コメント:きたぞ大型案件》
《コメント:二十棟!?》
《コメント:神回スパ爆誕》
ゼノはすぐに手をかざさない。
地面の円を、もう一度なぞって、止まる。
(焦ると雑になる。雑は“安売り”だ)
《コメント:はよ掘れw》
《コメント:焦らすなw》
「席埋まってるか?」
《コメント:埋まってるぞ》
ゼノは空を見上げ、口角だけ上げた。
「埋まってるなら、静かに見てろ」
《コメント:客扱いしてて草》
《コメント:太客向けの間w》
《神A:80,000加護》
《神F:120,000加護》
「よし。見てろ」
魔力が震えた。
ゼノの背後に、淡い魔力の渦が立ち上る。
【建築補助:思考設計】
完成後の“記憶”が脳裏に広がる。
中央――巨大な湖型温泉。
掘るのではない。
空ける。
ゼノは地面に手を置いた。
「……通れ」
世界が、応えた。
音もなく地面が沈み、円形にずれていく。
岩盤が割れるのではない。
従う。
村人が息を呑む。
「地面が……切れてる……」
地中三十メートル。
さらに下。
熱の脈。
確かにある。
その瞬間。
《推命神:深すぎる。崩れるぞ》
ゼノは鼻で笑った。
「崩すんじゃない。通すだけだ」
魔力を一点集中。
穿つ。
――ゴォォォン!!
地鳴り。
空気が揺れる。
そして。
白い蒸気柱が空へ突き上がった。
朝霧を貫き、雲を揺らす。
《視聴者数:58,921》
《コメント:うわあああ!!》
《コメント:空まで抜いた!!》
《コメント:神案件確定》
透明な湯が地底から溢れる。
村人が跳ね上がる。
「出たあああ!!」
だがゼノは動じない。
両手を広げる。
「暴れるな。流れろ」
噴き上がる湯柱が、弧を描き中央へ落ちる。
同時に地中に巨大な貯留槽を形成。
無駄な拡散はさせない。
循環路を作る。
「七十二度……高いな」
《神B:調整できるのか》
「サービス業だぞ?」
地中に冷却水路を併設。
温度を均す。
やがて。
巨大な窪地に湯が満ちる。
湖が生まれる。
《視聴者数:76,004》
《コメント:完成早すぎ》
《コメント:管理まで完璧》
ゼノは止まらない。
湖の縁から半透明の膜を伸ばす。
巨大ドーム。
光を通し、雨を弾き、熱を逃さない。
昼は青空。
夜は星。
長老が目を見開き。
「……雪の日でも入れるな」
「雪見温泉できますよ」
ゼノが笑顔で返す。
《神A:200,000加護》
《神F:300,000加護》
《視聴者数:93,882》
ゼノは空を見る。
「まとめて投げるな」
《神A:なぜだ》
「一瞬で盛り上げると飽きる。継続だ」
沈黙。
《推命神:未来が分岐し続ける》
ゼノは笑う。
「当たり前だろ」
「流れは、作る側が決める」
神界が沈黙した。
――
湖の半円に、温泉が派生する。
滝のように落ちる高温の湯。
静かな外湯。
岩に囲まれた半洞窟の内湯。
内湯は三段階の温度差。
サウナは二種。
高温乾式と、蒸気式。
外には水風呂、外気浴スペース。
湖は温泉プールとなり、子ども達も楽しめる。
湖もう半分の円周に、木製デッキとテーブル。
寝椅子は空を仰ぐ角度。
屋台が並び、食事を楽しむ事が出来る。
「癒しは、五感全部で作る」
ゼノはそう呟いた。
誰に向けた言葉でもない。
だが――神界が震えた。
《視聴者数:110,441》
《コメント:プロ設計》
《コメント:本気だ》
――
二十棟の酒樽宿は、湖を囲むように配置される。
温泉湖を主に楽しみたい家族連れなどは、温泉湖の近くの棟。
温泉で疲れを癒したい人達は、温泉に近い棟。
そして一棟一棟、内装を変える。
星空天窓。
森を切り取ったような内装。
カップル向け広床。
「使用分け……?」
ロイドが呆然とする。
「選べると、利用しやすいでしょう。
“どれでも同じ”は、客が一回で帰る」
ロイドが息をのむ。
(今、完全に“客”って言ったな)とでも言いたげな顔。
ゼノは肩を竦めた。
「……来る人の気持ちの話ですよ」
《コメント:神を客扱いし始めたw》
《コメント:太客用の導線w》
――
温泉の外周には、食事処。
温泉プールの屋台とは違う、落ち着いた店に。
「長老、宿も、温泉も、店も、全て村の経営にして下さい。そうすれば、出稼ぎせずに済みます。
家族が離れ離れは、子供達にとっても良くないです。
癒しを与える場所は、幸せでないといけないと思うんです」
「ゼノ、お主そこまで考えてくれているのか――」
村人達、皆んなが涙ぐんだ。
彼女達も、ずっと耐えていたんだろう。
「皆さん、忙しくなりますよ」
ゼノは笑顔で、少し大きな声で言った。
ガルドは更に大きな声で
「みんな!頑張ろうぜ!」
村が一つになった。
――
三日かかったが、主要な施設は完成した。
二十棟の樽宿。
中央温泉湖。
滝の音。
湯気。
灯り。
幻想的な光景。
《視聴者数:129,774》
《コメント:規模おかしい》
《コメント:神回スパ確定》
《コメント:住みたい》
《神群:総加護 1,200,000》
魔力が降り注がれる。
湯の質が、一段階上がる。
村人全員が、湯煙だけで、体が軽くなるのを感じる。
「……なんだ、この爽快感……」
――
夜。
まずは長老が一番湯に浸かる。
ため息。
「……生き返る……」
その声が、光となって空へ昇る。
ゼノは湯気の向こうで腕を組み、静かに言った。
「流れたな」
滞りが。
村が。
世界の一部が。
わずかに、だが確実に。
動いた。
ゼノはまだ知らない。
自分が世界のバグ修正装置であることを。
信仰を生み出す源に近いことを。
喜び合う村人を見ながら、考える。
「次は……村自慢の果実酒だな」
湯気の向こうで、ロイドが笑う。
「次の“客”も呼ぶ気か?」
ゼノは、口角だけ上げた。
「席があるなら、呼びますよ。
――払えるなら、ね」
《コメント:出た太客営業w》
《コメント:元ホスト出てきた》
――
温泉街は、産声を上げた。
誰もまだ気づいていない。
この場所が癒しだけを生むとは限らないことを。
人が集まれば、欲も集まる。
富が生まれれば、奪う者も現れる。
だがそれでも――
ゼノは、止めなかった。
世界はもう、引き返せない。
――――




