第24話 推しと会える日
演奏会が終わっても、誰もが胸の奥の高鳴りはまだ収まっていなかった。
歌楽殿の扉が開かれる。
中で溢れていた歓声と熱気は、
春の陽射しの中で、ゆっくりとほどけていく。
高く澄んだ空から差し込む光が、白い石畳をやわらかく照らしていた。
風は穏やかで、果実の香りがかすかに混じる。
昼の空気は明るい。
けれど――胸の内だけは、まだ舞台の余韻で満ちている。
支持者たちは、案内に従いながら歩き出す。
興奮を抑えきれない様子で、自然と声が弾んだ。
「歌姫団、凄かったな。まだ夢みたいだ」
「歌声が、耳から離れない」
「このあと……直接会えるんだよな」
その言葉が交わされるたび、胸がもう一度、高鳴る。
人の流れは、舞台とは反対側へ向かっていた。
春の光を受けて新しく建てられた建物――歌縁館。
ここは、舞台の延長ではない。
歌を“聴く側”と“歌う側”が、
同じ高さで、同じ目線で、言葉を交わすための場所だ。
明るい春の昼下がり。
支持者たちは、胸に残る歌声と高揚を抱いたまま、
静かな期待とともに、その入口へと近づいていった。
《視聴者数:193,647》
〈コメント:ついに〉
〈コメント:現地行きたい〉
〈コメント:羨ましい〉
歌縁館。
歌と縁を結ぶための場所。
入口の前には、自然と列ができていた。
押し合う者はいない。
皆、胸の奥に残る余韻を抱えたまま、静かに順番を待っている。
入口に立つ裏方が、淡々と、しかし柔らかく声をかけた。
「入場札を、お見せください」
支持者は懐から札を取り出す。
一枚ずつ確認され、
危険な物を持っていないか、視線を走らせられる。
「どうぞ。中へ」
その一言で、足が前に進む。
中は、思っていたよりも落ち着いた空間だった。
石壁と木材を基調にした内装。
歌楽殿の華やかさとは違う。
だが、その分だけ心が穏やかになる。
人々は案内に従い、ゆるやかに折れた列を作って進んでいく。
他の人の様子が、よく見える。
前でどんな言葉が交わされているのかも分かる。
だから、必要以上に煽られない。
焦らされない。
自分の番が来るまでの時間が、少しずつ“楽しみ”に変わっていく。
列の先、最奥には一段高く設けられた挨拶の儀の場。
そこに立つ歌姫たちの姿が、
場全体を穏やかに見渡していた。
エレナ。
リィナ。
ミュラ。
セレス。
ミルファ。
ナディア。
リーシャ。
七人。
壁はない。
だが、自然と一歩の距離が保たれている。
最初の歌姫の前に立つ。
エレナが、柔らかく微笑んだ。
「……今日は、ありがとうございました」
差し出された手に、そっと触れる。
温かい。
舞台を見ていただけとは違う、確かな体温。
「歌、すごく……勇気をもらいました」
エレナの目が、少しだけ揺れる。
「……そう言ってもらえて、嬉しいです」
短い言葉。
けれど、視線が合い、想いが通う。
係の者が、そっと合図を送る。
次へ。
リィナは、静かに頭を下げた。
「森の歌……あんな声、初めて聞きました」
「自然の中で育った声です。
……届いて、よかった」
声は穏やかだ。
だが、その静けさがかえって深く残る。
次。
ミュラは、少し照れたように耳を動かす。
「踊り、かっこよかったです」
「……ありがとうにゃ。
もっと踊り頑張るにゃ」
笑顔が近い。
それだけで、場の空気が少しやわらぐ。
次。
セレスは、月光のような微笑を浮かべる。
「歌声が……綺麗で……」
「あなたの心に、幸が訪れますように」
その言葉は、まるで祝福みたいだった。
握手を終えた後まで、指先に静かな余韻が残る。
次。
ミルファは、元気よく手を握る。
「楽しかったです!」
「えへへ!
また、歌うからね!」
その笑顔だけで、また次も来たくなる。
そんな真っ直ぐさがあった。
次。
ナディアは、真っ直ぐに目を見てくる。
「力強くて……心が震えました」
「……そう言われると、頑張れます」
飾らない。
だが、だからこそ真っ直ぐに刺さる。
最後。
リーシャ。
少しだけ、息を吸ってから、手を差し出す。
「……来てくれて、ありがとう」
「こちらこそ。
歌、忘れません」
その瞬間だけ、リーシャの目がほんの少し潤んだように見えた。
七人全員と、握手を交わし、
言葉を交わす。
〈コメント:推しと握手とか神イベント〉
〈コメント:これ文化になるやつ〉
背後から、やさしい誘導の声がかかる。
「出口は、こちらです」
心が温かく、満たされた気持ちのまま、
出口へと向かう。
外に出ると、春風が頬を撫でた。
胸の奥に残るのは、
興奮ではなく、静かな満足。
――会えた。
――言葉を交わせた。
挨拶の儀は、高揚した気持ちを穏やかにさせ、
次また会える日を楽しみにさせてくれる。
歌縁館は、
支持者たちの想いを叶える場所だ。
誰も壊れず、
誰も傷つかない。
そして歌姫団は、これから一層、
人々の心を掴んでいく。
《視聴者数:257,396》
〈コメント:無事に終わった〉
〈コメント:推し活〉
〈コメント:最高だろ〉
《神コメント:ある意味加護だな〉
《神コメント:人を癒す場所が出来た》
――
挨拶の儀が、静かに幕を下ろした。
歌縁館の出口から最後の支持者が去ると、
張り詰めていた空気は、ふわりと緩む。
歌姫団は案内に従い、裏動線を通って楽屋へと戻っていった。
扉が閉まった瞬間――
ミュラが小さく、息を吐き。
「……終わったにゃぁ……」
その一言で、更に緊張が溶けた。
握手のたびに背筋を伸ばし続けていた反動か、椅子に腰を下ろすと一気に力が抜ける。
「でも、ちゃんと話せたよね」
そう言ってナディアが微笑んだ。
「うん……声、震えなかった」
セレスは自分の手を見つめ、確かめるように呟いた。
ミルファは、羽を小さく整えながら、
「初めてが春で良かったね。外が明るいと、気持ちも落ち着くよ」と柔らかく笑う。
リーシャは無言のまま水を一口飲み、
それからぽつりと。
「……みんな、優しかった」とだけ言った。
リィナは、静かに目を閉じ、場に残る気配を感じ取っている。
そして――
中央で皆を見渡していたエレナが、深く一礼した。
「……お疲れさま。
初めての事だったけど、楽しかったよね」
その言葉に、全員が小さく頷く。
挨拶の儀の間、
支持者から向けられた想いは確かに濃かった。
けれど――
それは暴走せず、
《感情共鳴率》は高まりすぎることもなく、
場は終始、穏やかな安定を保っていた。
やがて、楽屋から笑い声がこぼれ出す。
楽屋の外。
ゼノは壁にもたれながら、
その声に耳を傾け、静かに息を吐いた。
(……大丈夫だな)
支持者たちの想いはどんどん大きくなっている。
だがそれは「熱狂」ではなく、
「応援」という形で、
静かに、確実に積み重なり始めていた。
ゼノは扉越しに聞こえる少女たちの安堵した笑い声に、
ほんの少しだけ、口元を緩める。
「……よくやったよ」
それは、誰に聞かせるでもない言葉。
だがその声は、
場を支え、歌姫団を守り続けた者の、
確かな手応えがあった。
《視聴者数:311,139》
〈コメント:ゼノ最高〉
〈コメント:文化作ってる〉
〈コメント:ブクマ押した〉
《推命神コメント:これを与える》
《推命神コメント:どう使う》
《特別加護付与》
次の瞬間。
ゼノの視界の端で、金色の文字が浮かび上がる。
《音憶石》
分類:記録魔石
――音を憶え、正確に留める石。
《共鳴鈴》
――音憶石に触れた音を呼び起こし、同じ響きで再生する鈴。
一瞬、時間が止まる。
音を、残せる。
歌を、そのまま留められる。
ゼノの思考が、一気に先へ飛ぶ。
歌姫団の歌。
温泉郷の外へ持ち出せる声。
この場所に来られない者へ届ける方法。
そして――“一度きり”で終わらない商売。
口元が、ゆっくりと上がる。
『……そう来たか』
神々は、ただ見ているだけじゃない。
この世界に――
新しい文化が生まれる瞬間が来る。
歌は、その場で消えるものじゃなくなる。
次は――
歌を、残す番だ。
――――
次回
第25話 歌は、残る




