麻紐を作る
朝日の観測、朝立ちの解消、陰部の洗浄、朝食が完全に朝のルーティンとなった。昼はハマグリの採取、夕方は火起こし、日没の観測、そして夕食だ。
これらの合間はすべて糸の作成の作業を行った。乾燥させておいたカラムシの繊維を細かく裂いて、より細い繊維にすることから始める。裂いた繊維を、長さが不均等になるように重ねる。不均等にしないと、繊維が他の繊維にうまく絡まらず、糸がすぐに途切れてしまう。重ねた繊維を長い棒に巻き付けていき、両端を縛って固定する。
棒の中心部分から繊維を何本か引き出し、糸巻きの芯をを回転させながら、撚りをかけて糸にしていく。ある程度の長さになった糸を、糸巻きに巻き付け、糸の端の部分を糸巻きの端の切れ込みに挟む。後は、再び繊維に撚りをかけ、糸巻きに巻きつける作業を繰り返すだけだ。
しかし、途中、何度も糸が途切れてしまい、出来上がった糸は太さが一定ではなかった。まあ、自分にはちゃんとした道具もないし、熟練の技も身につけていないので、こんなものだろう。繊維を一本一本丁寧に処理すればもっと良い糸ができるだろうが、そうすれば膨大な手間と時間がかかる。
まる三日かけて、すべての繊維を糸にした。
こんなふうにして出来上がった麻糸は不揃いで、単独で使うには強度に不安がある。そこで、三本を撚り合わせて、麻紐にした。この作業にまた一日費やした。
さて、この麻紐をどう使うべきか。
衣服は問題外だ。まず、他に人間が見当たらないため、慎みのための衣類は必要無い。しかし、体を保護するための衣服は必要だ。特に保護が必要な部分は陰部や乳房だ。これらの部位は敏感で、強い刺激は避けなければならない。しかし、出来上がった麻糸や麻紐は太く毛羽立っていて、直接身に着けるものの材料としては、刺激が強すぎて不快になる。それに、身に着ける布の素材には他に心当たりがある。とりあえず、衣類を作ることは無しだ。
そうだ、後20日以内に月経の出血が有るはずだ。その場合に備えて、止血帯だけは編んでおこう。
幅2センチ、長さ4センチ程の帯を編み、腰に巻きつける紐と結びつける。
次に、帯と同じ大きさの、血を吸収させる袋も何個か編む。袋の中には、タンポポやアザミの綿毛を詰める。
この止血帯と袋を試しに身に着けてみた。固い上に毛羽立っていて、長く着けていると痛くなってくる。これは本当に必要でない限り装着したくない代物だ。
タンポポの綿毛を集める際に、タンポポのガクの部分を確認した。ガクが反り返っていない。ニホンタンポポだ。この場所の植生は日本かその近辺に間違いない。
しかし、いつの時代の植生だろう。これまで、江戸や明治以降に入ってきた外来植物、例えば、シロツメクサやブタナなどは目にしていない。
もし、この場所の植物相が明治以前の日本のものだとすると、動物相もそれに連動しているはずだ。明治以前の日本の動物相だとすると、危険な動物として、クマ、オオカミ、イノシシ、サルがいる可能性が高い。日本ではなく、近辺の大陸の動物相である場合は、これにトラが加わる。
いや、もっと危険な動物がいるかもしれない。ヒトだ。この世界にヒトがいる場合、最も注意が必要だ。ヒトは楽しみのためにヒトを殺す。ヒトはヒトを犯し、奴隷にする。21世紀初頭の時点で、奴隷制度が違法とされてから200年経っていないのだ。非合法な形の奴隷は、21世紀の時点でも存在していた。地球上では奴隷が当たり前であった時代がほとんどだった。自分のような両性具有の存在がこの世界で珍しいものであれば、余計に危ないだろう。単なる奴隷ではなく、見世物にされるかもしれない。
野生動物にしろ、ヒトにしろ、危険な存在がいる可能性を考えれば、武器は必要だ。今持っている石槍だけでは心許ない。
麻紐を使って、スリング、つまり、投石紐を作る。1メートル程の丈夫な太い紐を2本編み、5センチ位の幅の石受けの部分の両端に編み込む。一方の紐の端を指を入れるためのループ状にする。
沢の石を使ってスリングの練習をしてみた。紐を放すタイミングがかなり難しい。石の重さや大きさによってかなり距離や命中精度にばらつきがある。石の形状を揃えた上で、更に練習を重ねる必要が有る。常にスリングと投石用の石を携帯できるように、腰に装着するポーチも麻紐で編んだ。
麻紐ができたことで、食料確保の選択肢が増えた。スリングももちろんその一つだ。しかし、スリングは練習を始めたばかりで、その命中精度はまだまだだ。今のところ、スリングで獲物を取る確率はほぼゼロだ。
麻紐を使うことで鳥や野ネズミなどを捕獲する罠を仕掛けることができる。
芋虫やミミズなどの餌となるものを捕まえ、移動しないようにするため切断し、葉っぱの上に載せる。入り口が一箇所しかない穴をつくり、その奥に虫を載せた葉っぱを置く。穴の入り口に、木の枝と麻紐で、罠をいくつか作った。穴に首を突っ込んだ獲物を刺し、捕獲するのだ。このような罠を何個か設置した。次の日、設置した罠を見て回ると、その一つにヤマドリが捕まっていた。
その日は、ヤマドリの肉を焼いた。初めて、ハマグリ以外の料理を味わえた。
ただ、一つ問題が明らかになった。塩が必要だ。ハマグリは自然に塩味がついていて、塩分を摂取することができる。罠で捕まえる獲物だけ食べていたら塩分が足りなくなるだろう。これから、海から離れた内陸部を調査・探検する必要がある。その場合は、ハマグリ以外の食材が中心になるだろう。そういった遠出をするような機会に備えて、携帯できる塩を用意しておかなければならない。
塩を得るには、岩塩を見つけるか、海水から作るか、どちらかしかない。岩塩が見つかれば塩の問題は簡単に解決するが、はたしてここで見つかるかどうか疑問だ。
それに対して、ここは海の側だから、海水から塩を作ることは、確実にできる。しかし、製塩には、鍋とたくさんの薪が必要になる。
いろんなものが必要だが、一つ一つ解決していかなければならない。