鹿を射る
3度目の出血が終わったのは、浜辺で目覚めてから88日目、多分、8月22日だ。そろそろ台風が来る季節だ。
朝のルーティンを終えた後、沢で陰部を丁寧に洗浄した。褌を締め、ブラジャーを着け、その上から胸当てを装着する。
背負い籠に矢を10本程と、石斧、石包丁、竹のシャベルなどを入れて背負い、石槍と弓を持ち、これまで何回か鹿を見かけたことのある森に入る。
周りの木々の種類などを確認しながら森の中を進むと、少し離れた木の陰に2頭の鹿がいた。
これまでに遭遇した鹿は、人間をあまり警戒していないと見えて、10メートル位まで近づかないと逃げなかった。
多分、この鹿も同じだろう。いつも弓の練習で的にしている20メートル程のところで、鹿の腹を正面に見る位置まで近づき、背中の背負い籠を下ろした。
籠から矢を2本取り出し、1本の矢を番え、鹿の脇腹を狙い、矢を放った。矢は鹿の尻近くに刺さった。
鹿は一旦倒れたが、直ぐに立ち上がり、ヨロヨロとだが、その場から逃げようとした。
その間に、2本目の矢を番え、やはり、脇腹を狙って矢を射た。
矢は、狙った通り、脇腹に刺さり、鹿は、脱糞して、倒れた。
もう1頭の鹿は、矢を受けた鹿が、倒れた際に、驚いて逃げ出した。
近くに木に麻紐で鹿を吊り下げる。牝鹿だ。木の根元を竹のシャベルで深い穴を掘る。
首を石包丁で切り落とし、血抜きをする。石包丁で腹を裂き、内蔵を抜く。しかし、石包丁の切れ味が悪い。
内蔵を抜く時、肛門付近の扱いは注意しなければならない。失敗すると、肉全体が糞便で汚染されてしまう。
血抜きが済んだ鹿を引きずりながら沢まで下りる。沢の一番深い所に鹿を沈め、一晩そのままにしておく。
翌日、鹿を沢から引き上げ、木に吊るし、皮を剥ぐ。剥いだ皮は、沢の下流の小川に、一旦沈めておく。
皮を剥いだ鹿肉は、当然、数日で食べ切れる量ではない。大半は、切り分けた後、保存処理しなければならない。しかし、保存のための塩は圧倒的に足りない。
ここは海水を使うしか無い。しかし、肉をそのまま海に入れれば魚やカニなどに食い荒らされてしまう。そうだ、塩を作るために塩分濃度を上げた海水がある。あれを使おう。
鹿を仕留めた日のうちに、濃縮した海水を壺に集め、燻製小屋の所に運んだ。
切り分けた鹿肉を海水に浸け、燻製小屋に入れ、燻を開始した。
しかし、全ての肉を燻製にすることはできなかった。濃縮した海水や作っておいた塩が間に合わないし、燻製小屋のスペースも限られている。暫くは、鹿肉三昧が続くことになる。
鹿皮は、小川に沈めてから3日後、小川から引き上げ、残っていた肉や脂を取り除いた。水温の高い水に浸けていたため、肉や脂は、思っていてより楽に剥がすことが出来た。
皮鞣しにはタンニンやミョウバンを使うものなど様々な方法があるが、ここにはそういった薬品はもちろん無い。尿を発酵させたものを使う方法もあるが、皮を浸せるほどの尿を貯めておく容器がない。
そこで、松葉で燻すやり方を採る。肉や脂を取り除いた皮を、木の枝に紐で吊るし、石などを重しにして、張った状態で、一旦、乾燥させる。次に、竹を使った骨組みに被せ、下から松葉で燻す。燻した後、硬くなるのを防ぐため、皮を揉んだり叩いたりする。
これを何回か繰り返すことで、鞣し革が出来あがった。
浜辺で目覚めてから、97日目、8月31日のはずだ。