98.一子相伝
「…あの当時、この地はこのように分かれていた」
ルーカス様が机上の地図に赤線を引いて行く。
歪な楕円形のようなこの国が、3つの大きな固まりに分けられる。
「国土の中央から北東部が旧タングル王国。そして残りのうち南が旧グラント王国、そして北西部が旧アバロン王国だ」
私は頷く。
「…何か気づくか?」
何か……。旧タングルは広大ね。北部は山脈、東側は隣国のトラウトと接してる。そして西にアバロン、南にグラント。
旧タングル王国は内陸国だったんだわ…。
ルーカス様が地図上のタングルに指を落とす。
「賢王エルドレッドの一つ前の時代、タングルとトラウトは全面戦争を行なっていた。長い戦争で国土が荒廃する中、この地を大飢饉が襲う。…多くの餓死者が出たが、それでも後に引けない王家は戦争を止めなかった」
…ありがちなことだ。
時として為政者は止まる事なく骸の上を歩く。
…教科書ですら知ることができる、歴史が語る事実だ。
ルーカス様が地図をトントンッと指で弾く。
「…ある時、タングルの王族がアバロンの王の元を訪れた。……1人の姫だ」
「姫……」
「ああ。その姫がアバロンの王に願ったことは、〝父王を討って欲しい〟というものだった」
「!!」
「このままではタングル王国は滅びる。滅びるぐらいならばせめて民だけは助かる道を…そう願ったらしい。その姫の願いにアバロンとグラントは応じた。……ここで、旧タングル王国は途絶えたのだ」
「途絶えた?……国が滅んだという事ですか?」
ルーカス様が首を横に振る。
「王家の血統が断絶したのだ。……断絶させたのが私たちの祖先」
「!!」
「…と言いたいところだが、タングル王家に連なる血統で、唯一残った者がいた。もう分かるな?」
「……姫ですね」
「正解だ」
ルーカス様の指が地図上をアバロンへと移動する。
「旧タングルの姫は、アバロンの王子との間に男子を成す」
今度は彼の指がグラントへと移動する。
「そして、その男子の元へグラントの姫が嫁ぎ、産まれたのが……賢王エルドレッドだ」
「!」
「それぞれの王家は、領土への相互不可侵と、この国の今後の運営について約定を結び、ようやくこの地は今の形に近づいた」
「…全く知りませんでしたわ。歴史の教科書にはそんな事は一行だって……」
「…そうだな。一子相伝、それぞれの王家の子孫にだけ伝わる………秘密だ」
「…え?」
ルーカス様が私の瞳をじっと見つめる。
「まさか、ベゼル公爵領とは……」
そして彼がしっかりと頷く。
「…タングル王国北西部、この国最大の貿易港と軍事拠点を持つ、そうアバロン州が……君の故郷だ」
「!!」
「クレア、約定は生きているのだ、今もなお。アバロン州とグラント州だけは、長いこのタングル王国の歴史の中で、一度たりとも境界線が変わっていない」
「…本当ですわ。地図の囲いの中は今も昔も同じ……まさか……」
「…私たちはタングル王国から独立する権利を持っている」
「!!」
「…独立し、そして、エルドレッド王の敵を討つのだ」
「なん…ですって…?」
「私たちは今の王の両の手などでは無い。三か国統合の象徴である、エルドレッド王との古い約定のためにだけ働く。必要ならば討つのだ。例えそれが……現国王であろうとも」
どのぐらいの時間が経ったのだろう。
頭の中は目まぐるしく動いているのに真っ白だった。
成人するまで明かされない秘密、そしてベゼル家の本分。
ルーカス様が守ろうとしてくれた少女時代。
母ではなく、父が私を育てた理由。
全ての点が繋がって、ようやく靄が晴れるはずなのに、私の心は受け入れる事を拒否する。
重たかった。
とても…重たかった。
「…受け入れなくていい。…知っておくだけでいいのだ」
ルーカス様が隣にやって来て、肩を貸してくれる。
あなたも…心が揺れた?
邸を取り壊すぐらい…心が荒れた?
重たい秘密を分け合う人のいないこの1年半、あなたはどれほど孤独だったのだろう。
彼にとって父が特別だった理由が分かった。
2人は秘密の共有者だった。
私は2人に守られていた。
決して1人にならないように、私の分の重たい荷物を出会う前から背負ってくれていた人がいる。
背負わせた人がいる………。
「…ルーカス様、ありがとうございます。あの日…私に会いに来てくださって、ありがとうございます」
「…私が会いたかったのだ、君に。礼を言うのはこちらの方だ」
「私…何かしましたか?」
「……いてくれるだけでありがたい」
寄りかかった彼の体温が心地よかった。
真っ白な頭を彼の静かな声が埋めてくれるのが幸せだった。
考えなきゃならない事はたくさんある。
これからの身の振り方や当主としての責任や立場。そして一子相伝のベゼル家の本分と、左手の仕事……。
でも今夜は……二人の秘密を引き出しに仕舞う時間にする。
「ルーカス様、私…眠いです…」
「ああ、今日は相当疲れさせたと思う。部屋へ…」
「…ここで一緒に寝てもいいですか?」
ルーカス様が固まったのが肩越しにわかる。
「…駄目ですか?」
「駄目ではない。決してそうでは…いやしかし……」
「…ベッドが無いんです、私の部屋…」
「…………は?」
「ベッド…消えました……」
その後発覚する衝撃の事実。
何と、ルーカス様の部屋からもベッドは消えていたらしい。…それに気づかないほど、彼は緊張していたという。
そんな事を私が知るのは、翌朝見知らぬ部屋で目覚めた後だった。




