95.父の手の平の上
呆然としていた。
正直言って、目の前に並べられた昼食がいつ届いたのかも記憶にない。
ただただ、呆然としていた。
…2人で。
「…何なのお前ら2人。どこ行ってんの?いつ帰って来んの?」
ザックさんの呼び掛けも聞こえてはいるが、頭に入って来ない。
「何にそんなに衝撃受けてるわけ?よかったじゃん。これで嫉妬で周囲に迷惑かける事なくいつでも結婚できて……」
ルーカス様が動いた。
「…それをさっき決めたばかりだったのだ。彼女の成人を待たずに、可能な限り早く婚姻を…と」
「あれま。…ハワードさんって、予知能力者?」
「いえ、ザックさん。でしたら今頃生きてますわ」
「お、おお…。クレアちゃん辛辣だね…」
父は…何をもってこの書類を?
私がルーカス様を頼ることが分かりきっていた?
それとも2人でこの結論を出す事を予測して…?
「…待てよ、ルーカス。俺は一つ疑問が浮かんだ」
「お前に構ってやる気持ちの余裕は無いが、何だ」
「おうおう、いい性格してんな。お前さー、いつからクレアちゃんの事好きだったわけ?」
「…は?」
………え。
「だって考えてみろよ。ハワードさんの遺品と遺言はお前宛だったんだろ?んで、こうしてせっせとお前のために婚姻の同意書まで準備されてる、と。…どう考えてもハワードさんが生きてる内からお前がクレアちゃんの事好きだったってバレてたんじゃないか」
「はぁっ!?」
………え。
「お前さー…人の事どうのこうの言える立場じゃないだろ、これ」
「ちょ、ちょっと待て。大いに反論がある。いや、結果そうなっただけで、ハワード殿が生きている間に?彼女に会った事すら無い……はずだ」
「どーだか。なら何か?自分が死んだ後にお前と娘が恋に落ちるって、そんな気持ち悪い想像するか?男親が」
「いや、待て、本当に記憶が……」
「俺はわかっちゃったもんねー。クレアちゃん、コイツ変態だったわ。ドンマイ!」
…………え?
「なんだと…!?おいザック、前言撤回しろ!私はいたって普通だ!なぜ私が変態扱いされる!!」
「はいはい。サッサと食って打ち合わせしようぜ」
「…待て。本当に待て」
「おおー、こりゃ美味い。一睡もしてなくても食えるなんて素晴らしい!」
「ザック!!」
ザックさんの言い分はどうあれ、ルーカス様がお見合いより前から私を知っていた事はわかっている。
けれど…父を動かすほどの感情があったとはとてもじゃないけれど思えない。
父が人の恋路を応援したりだとか、そういう機微がわかる人だったらなら、母が寂しさをあそこまで拗らせる事はなかったと思う。
つまりこの同意書は、父の描いた設計図の一部…。
私はまだ、父の手の平の上、という事ね。
再び視線を同意書からルーカス様とザックさんに戻せば、つい先ほどまで仲良くじゃれ合っていたはずが、打って変わって真剣な表情で今後について話し合っている。
オリバーの言ったことが今ならよくわかる。ルーカス様と対等な関係を望むなら、相応の知的水準が必要だと。
今はまだ甘やかされるので精一杯ね。隣にそっと立つ人形のようなものだわ。
それでもいつかは……。
「ルーカス様、よろしければ邸を見学させて頂いてもよろしいですか?」
彼がハッと私を見る。
「ああ、すまない。つい熱中してしまって……」
「何をおっしゃるのです。そのままで構いません。まだお会いできていない皆さまにご挨拶したいと思いまして。ウロウロしても…よろしいでしょうか?」
「もちろんだ。そうだな…本来ならそれが先だったな。家令以下邸の全員集めよう」
「い、いえ!それには及びません!それは…正式なご挨拶の時に。今日はこちらから出向かせていただきますわ」
ルーカス様がフッと笑う。
「わかった。扉の外にローがいる。案内を頼もう」
「えっ!いらっしゃいましたの?…全く気づきませんでした……」
「ああ…グレースがいる所では、いつもより気配を消すからな」
「…まあ」
「後で迎えに行く。入ってはいけない場所はない。…好きに見て来るといい」
そう言って左頬にキスを受け、彼に扉まで見送られながら執務室を後にした。
きっとこれから私の回りは忙しくなる。
ルーカス様はもっともっと忙しくなる。
…受け身では駄目。自分から動かなきゃ。
やれる事を…一つずつ。




