9.美しい人
なるほど。彼女がエドワーズ氏の恋人なのね。
ちょっと推理からは外れてたわ。
…どう見ても彼女は貴族のお嬢様じゃないかしら?
今日はレストランに出勤していきなり、とある貴族邸で開かれる夜会への出張を言い渡された。
特別手当が出る以上、私に否やはなかったし、貴族の夜会というものにも興味があった。
豪華に飾りつけられた邸内には至る所に美術品が置かれ、大振りな花々がテーブルを盛り立てている。
そして何より、美しく着飾った女性たち。
今はプリンセスラインが流行なのであろう。たっぷりとしたスカートに、精緻な刺繍。そしてヒラヒラと揺れるレースの波。
その色とりどりのドレスの中にあっても、彼女の存在は一際目立つ。
鮮やかな赤い髪を豪奢に結い上げ、その髪に負けじとキラキラと輝く赤いグラデーションのドレスを纏う彼女。
そして彼女を引き立てるのは…見事に夜会服を着こなすルーカス・エドワーズ。
完璧だわ…。まるで一枚の絵画のよう…。
彼も恋人の前では優しい顔になるのね。いいもの見たわ。
それにしても、あの女性と結婚出来ない理由は何かしら。身分的にも私なんかより余程釣り合いが取れるでしょうに…。
だめだめ、余計なことは考えないの。
考えても無駄なことだわ。
「ベゼル!何ぼーっとしてんだ!仕事中だぞ!」
「あ、先輩申し訳ありません。物珍しくて……」
ぼんやりして手元が疎かになっていた私に、先輩ウエイターから叱咤が飛ぶ。
「ベゼル、シガールーム行け!酒が足りないんだと!」
シガールーム…
「私ですか?あそこは男性の社交場でしょう?」
「俺が知るか!お前をご指名なんだよ!」
「ええ!?」
シガールームは男性の社交場だと死んだ父も言っていた。しかし仕事と言われれば行くしか無い。
トレイに何種類かの酒瓶と、大小いくつかのグラスを載せ、えっちらおっちら、あくまでも優雅に見えるように片手で運ぶ。
実際には手首がプルプルしているのだけど。
給仕係は目立ってはいけない。
夜会場を出て、目当ての部屋にそろりと体を滑り込ませる。
そしてグラスが空きそうな人の側に、それとなく近づく。
影に徹して真面目に働く私に、なぜか話しかけてくる人物がいた。
「ああ君、来てくれたんだね。悪かったね、呼びつけて」
「いえ。…何を御用意しましょうか」
「そんなかしこまらずに楽にして。私はヴィンセント・アンダーソン。ヴィンスで構わない。君の名前を教えてもらえないか?」
「まぁ!ふふふ、せっかくなので、一番高いブランデーお出ししますね」
この手のナンパはよくあることだ。お酒が入ると男性は舌がよく回る。
「連れないことを。それにしても君は美しい。この国の女性の濃い化粧は私の趣味に合わなくてね。君のような女性に帰国前に出会えたのは運命だ」
なんとまぁよく回る舌なのか。
できれば私も青白い顔をふんだんに粉をはたいて隠したいのに。
化粧品は高いのよね…。
いかんせんそこまでお金が回らない。
「ええと…それはありがとうございます。御用が無いようなので、これで失礼しますね。ご帰国の際は、どうか道中お気をつけて」
営業用の笑顔を貼りつけ、そそくさとシガールームを後にする。
…疲れるわ。私、男の人はオリバーみたいなさっぱりした顔が好きなのよね。
あんなどこもかしこも濃い男性はあんまり……。
「ちょっと待って!」
呼び止める声に思わず振り返ってしまう。
ああ…私の馬鹿!
「一度でいい。二人で会ってもらえないか。…これは私の連絡先だ。良い返事を待っている。…美しい人」
「!!」
ポニーテールにした私の髪を掬い上げ、そこに一つキスを落とす何某。
無理矢理ウエイトレスの制服の胸ポケットにメッセージカードをねじ込んで、濃い顔の彼は踵を鳴らして去っていった。
ここまでしつこいナンパは正直初めてで、いつもは笑ってかわす酔っ払いの冗談なのに、思わず固まってしまった。
だから私はうっかり失念していたのだ。
…ここがレストランではなくて、夜会の会場だということを。
「…今のはマナー的に0点でしょう…?」
そんなどうでもいい事を呟いている場合ではなかったのに。