85.真面目な二人
「…30秒。なかなか耐性があるな」
「ひ…卑怯ですわ!おやめくだ…あははははは!ちょ、ほんとに、あはははは…はあ、はあ…」
鬼のルーカス様は、とにかく私をくすぐる。
両手を押さえ込まれ身動き出来ない防御力皆無の脇腹を、容赦なくくすぐる。
なんなのこれ、いい歳した大人が夜にやる事じゃないでしょう…!?
「ふむ…。ならば奥の手か」
「お、おくのて…!?」
全身の筋肉に力を入れて、彼の出方を伺った時だった。
カプッ
…は、はあっ!?今、耳を…耳を…右耳を…!!
「な、な、な、何ですの!?今のこうげ……んんっ!!」
必死に紡ぐ言葉が、全て彼に吸い込まれて行く。
時折光る灰色の瞳がどこか楽しそうに私を見つめる。
「ル、ルー…」
声を上げるたびにより深く口を塞がれる。
だめだめだめ!頭が!心臓が!血圧が!!
「か、鍵!」
「…鍵?」
ようやく離れた唇と、緩んだ手首をバッと返し、ベッドの端まで逃げる。
「鍵!鍵ですわ!先端が鍵状なのです!」
そう叫ぶと、彼がいつの間にか胸ポケットにしまっていた父のネクタイピンを取り出して、しげしげと眺める。
「…なるほど」
何がなるほどなのよ!絶対わかってたでしょう!?ばかばかばかばか!と、頭の中で罵詈雑言を並べ立てるが、口には出さない。多分、何を言っても勝てない。
「なぜそんなに離れる。別に取って食いはしない」
食べられそうでしたけどね!
「…10秒、まだまだだな」
そう言ってにやりと笑うと、彼が長い腕を伸ばして私の体を側に寄せる。
「も、もう隠し事はありませんわ!これ以上は…」
「わかっている。…誕生日ももう終わりだ」
そう言ってそのままゴロンとベッドに横になってしまった。
「まだ眠たくないのなら…聞いてもいいだろうか」
後頭部から声がする。
「…なんでございましょう」
「君は、あの2人の公爵に会ってみて…何か頭に浮かんだ事があったか?」
頭に浮かんだこと…?
何だかんだで彼の頭の中は仕事でいっぱいのようだ。
…真面目な人だ。
「ええと、そうですね…。正直なところ、確信を持って何か分かったのかと問われると、それは難しゅうございました」
「…そうだな。正直私もあの二人には初めて会ったのだが、想定外な話し振りだった」
想定外……。
「百聞は一見に如かず、とはよく言ったものだ」
「…ルーカス様、私は何の事前情報も持たずにお二人にお会いしたのですが、実はあの場で一つずつ理解できない言葉がありました」
そう口にすれば、首から下に通されていた腕が器用に動き、なぜか彼と見つめ合う体勢になる。
「理解できない言葉…?」
灰色の瞳が私を覗き込む。
「え、ええ…」
「クレア、何でもいい。君が何かに引っかかりを覚えたのなら教えて欲しい」
彼の瞳は真剣そのものだった。
「…わかりました。レアード公爵との挨拶は何もかもがマナーと違っていて、軽く頭が混乱しておりました。…ただ一つだけ耳に残ったのは、公爵が私のことを〝どこぞのおひいさま〟と呼んだこと。胸がザワザワするような、妙な違和感を覚えたのです」
無表情ながら、ルーカス様の顔に疑問が浮かんだのがわかった。
「…それは……なぜだろう」
「ルーカス様…?私はあの段階では…自分が…公爵家の人間だと知らなかったのです」
ルーカス様がガバっと起き上がる。
「矛盾している」
私も半身を起こしながら続ける。
「ええ…。おひいさまというのはお姫様という意味でしょう?私は自分のことを姫だなどと思った事は露ほどもございません。ですが、身分の高い女性に使う言葉だという事は知っています」
「そうだな。その通りだ。その言葉が出たという事は、少なくとも公爵は君が高位の貴族家の人間だと知っていた。知っていて、あえてあの場でそこをぼかした」
「…マクミラン公爵に会わなければ、私も気づかないままだったと思います……」
ルーカス様の頭が再びベッドに沈み込む。
右手で口元を覆い、何事かを考え込んでいるようだ。
「他にはあるか?」
「他に……ええと…おそらくこれは…まだ話せないこと関係かと推察したのですが、マクミラン公爵は、私とルーカス様…というよりは、ベゼルとエドワーズが縁組する事に大変驚かれていたように思います」
チラッと隣のルーカス様の顔を盗み見ると、眉を落として、少し寂しそうに微笑んでいた。
ルーカス様が再び背中から私を抱きしめる。
後頭部に彼の息がかかる。
「…クレア」
「…なんですか?」
「ベゼルとエドワーズは…古い、とても古い家なのだ。いつも隣にありながら…決して混じる事なく、今日まで在る」
混じることなく…?
「ルーカス様、それはどういう……」
体に巻き付く彼の腕がその強さを増す。
「だが私は…決めたのだ。君に…あったときに…」
「え…?」
「…はなしてやれなくて…すまな…」
「ルーカス…さま?」
信じられないタイミングで寝入ってしまった彼の寝息を聞きながら、しばらくは何事かを考えていた。
彼は何を謝ったのだろう、古い家というのはどのぐらいなのだろう、いつこの腕を抜け出せばいいのだろう…
でも気づけば朝だった。




