76.伝える
船内はどこもかしこも素晴らしかった。
至る所で催される手品ショーや楽器の演奏など、飽きるという感情が湧く暇もないほど私はパーティーを楽しんでいた。
「クレア嬢、喉が渇いただろう。何か飲むものを……」
船の先頭部分のデッキに着いた時に、エドワーズ様がそう声をかけてきた。
「そうですわね。ここはまるでガーデンパーティーのような雰囲気ですし、少し休憩しましょうか」
広々としたデッキにはいくつかのテーブルセットが用意され、海上の風を感じながら陸地の夜景が楽しめる。
「これだけのアイデアを出すのは大変でしたでしょうね」
「そうだな。彼らは人を楽しませる事が好きなのだろう」
そう言いながらさりげなく椅子を引いてくれる彼は、やはりエスコート慣れしているな、などと思ってしまう。
私が席に着いたのを見計らって、エドワーズ様が給仕係に合図を出す。
何事かを伝えると、給仕係は恭しく礼をして一度下がっていった。
「何か食べる物を取って来よう。…絶対に動かないこと」
「ええ。ちゃんとここにおりますわ」
そう言って微笑めば、額にフワッと触れるだけのキスをしてエドワーズ様が去っていった。
ーーー!?
な、何ですの、今の!?
はっ!そう言えば彼は夜会服の時は別人になるのでしたわ!それにしても別人すぎませんこと!?
「…クレア嬢は、お父上から食べ物や飲み物について煩く言われなかったのか?」
エドワーズ様がふとそんな事を口にしたのは、私が給仕係が運んで来たトレーから炭酸入りの飲み物を選んだ時だった。全てがノンアルコールな所を見ると、エドワーズ様が頼んで下さったのだろう。
「うるさく…ですか?」
「ああ。お父上には独特の食事の決まりがあったように記憶している」
「ああ、あの人は手作り恐怖症なのですわ。……ここだけの話ですわよ?」
そう言って私は少しだけ声をひそめる。
「ああ」
エドワーズ様が頷いて、少し耳を近づける。
「…何でも、若い頃にものすごくモテたのですって」
「…は?」
「あの仏頂面で何言ってるのかしらって思うでしょう?何度も何度も…コソ…媚薬を盛られたと」
「はっ!?」
「ああもちろん、子どもに聞かせる話ですから、その…自分が自分では無くなる薬…とか何とか言っておりましたけど…ねぇ?」
「あ…ああ、そうだな。なるほど」
「ですから、顔見知りの人間が差し出す食べ物は受け付けないのですって。…相手が男性の時は本当に困ったと……」
「ブッ!!ゴホッゴホッ…ゴホッ!」
「今思えば子どもに何を聞かせてるのって話ですけれど。私は父ほど煩く暮らしてはいられませんわ」
エドワーズ様が少し眉を寄せる。
「…もしかして、何か生活する上で困ったことが?」
「まさか!私は何でも美味しく頂く人間ですわ!勿体無いお化けご存知?…でも1つだけ、父の言いつけを守っておりますの」
これは生活習慣なのだから仕方が無い。
「外で何かを飲む時は、より冷たくて色の薄いものを選ぶようにと。何の意味があるのかはわかりませんが」
「冷たくて…色の薄い?その炭酸水のような?」
「え?ああそうですわね。これは…トニックウォーターですわ。父ならば氷を入れるところですわねぇ」
私の話を聞いていたエドワーズ様が、ぽかんとした顔をしている。
「エドワーズ様?」
「あ、ああ…すまない。クレア嬢は…お父上とよく会話をしていたのだな。少し意外で……」
会話…?あれは会話ではないわね。
「父の話は一方通行なのですわ。しかもおかしな話ばかり。エドワーズ様はいかがでしたの?お父様と……」
これは…聞いてはいけなかったかしら…。
「私の?ううむ…あの人は……いや、思い出すと鳥肌が…」
エドワーズ様が段々と死んだ様な目になっていく。
「…怖い方、でしたの?」
「…逆だ」
「え?」
「…いいか、ここだけの話だ。オリバー君には特に話すな」
「わ…わかりましたわ」
すごく重大な話なのね。
エドワーズ様の小さな声を聞き取ろうと、今度は私が彼に耳を近づける。
「私は……父に溺愛されて育ったのだ。…かなり」
「!?」
「私は……知らなかったのだ。まさか世間では11、2才の父と息子が手を繋いで歩く事などないと、13、4にもなれば頬にですらキスを嫌がるものだと……」
「え」
「…私は…人より…精神の発達が………」
「遅かった…?」
こくりと頷くエドワーズ様は…
「フ…フフフ、フフッ…だめ、だめよ私…フフフ…真っ赤…真っ赤ですわ!エドワーズ様!アハハ!」
「…やはり話すのではなかったな」
「か、可愛いですわ…!アハハ!嫌だわ、私ったら大口開けてはしたない。フフッ涙出ました」
立ち上がり、少し不貞腐れたように見える彼の側まで近づいた。
そして少し屈んで、まだやや赤い彼の耳元で囁く。
「お誕生日おめでとうございます。…私、あなたのことが大好きですわ」
バッとこちらを振り向く彼の灰色の瞳は、とても綺麗だと思った。




