72.ベゼルとエドワーズ
「なるほど……。確かにこの手紙と残された品々から察するに、秘密警察の中にトラウトの内通者がいる事は間違いないでしょう。…そして貴方はその心当たりもある」
「ええ…。残念ながら」
信じたくない気持ちが半分と、なるほどな、と得心する気持ちが半分ではあるが。
「わかりました。私もその心算で事に当たりましょう。…諜報官の1人として」
「…ご協力感謝します」
しばし訪れた沈黙のあと、カルロスが静かに口を開いた。
「……クレア様はいかがお過ごしでしょう」
「!」
「カペリンで、アンダーソンに呼ばれて入った部屋の中に、クレア様の姿があった時の衝撃がわかりますか……?」
「…その節は………」
この話になるとは想定していたが、ここまであからさまに話題にされるとは…。
「貴方がクレア様と婚約したいと申し出た時は、何をとち狂ったかとベゼルの一同で驚愕したものです」
「ええ。領地を訪問した際に、かなり渋い顔をされました」
彼女との婚約を成立させる時に1番骨が折れたのは、実のところ組織への申請では無く、ベゼル家の幹部連中の説得だった。
「ですが、全ては貴方の目論見のお陰でクレア様を国外に拐かされずに済みました。……婚約の届出、きちんと為されていたのですね」
「…ええ」
カルロスの瞳が少し和らぐ。
「あそこまでの事態を読んでいたのなら、流石はエドワーズだと称賛する他ありません。お陰で私は何の工作も必要無く、ありのままをアンダーソンに報告すれば事足りた。…実際のところ、クレア様の護衛の任が不要になったら、貴方はどうされるのです?」
…そう、この質問だ。最初の違和感は……。
「………………。」
「エドワーズ侯爵?」
「ああ、すみません。そうですね、今と同じように過ごします」
カルロスの瞳が大きく見開かれる。
「貴方…まさか、何の脈絡も無く、ただクレア様に恋慕しただけ…とか」
「…その通りですね」
針の筵とはこの事だな…。居た堪れない。
「信じられません!エドワーズの当主ともあろう方が恋をしたと?ベゼルの次期当主に?」
「おっしゃる通りです」
もはや誰に何と言われようが、彼女を手離す事など考えられない。
開き直りではないが、仕方ないではないか。そうなってしまったものは。
カルロスの瞳が白ける。
「エドワーズとベゼルは、王の右手と左手。王に益をもたらす人間を意のままに操る右手のエドワーズと、王に益無き者、仇なす者を屠る左手のベゼル。……貴方、両の手になる覚悟はあるのですか?」
「…元より、覚悟の上です」
覚悟などとうの昔に出来ている。
私は彼女に暗殺稼業などさせたくはない。…その業も全て背負うつもりでいる。
「ああそうですか。…ふーん、なるほど。お父上も随分と恋多き方でしたが、それがエドワーズですか」
…父の話は耳が痛い。
「貴方の覚悟、しばし高みの見物とさせて頂きます。…クレア様を弄んだら……エドワーズに明日は無いとお思いください」
「両の手だとおっしゃった割に物騒ですね」
「私にとってはベゼルさえ在ればよいのです」
「…心得ました」
やはり……私は彼が苦手だ。
「侯爵、先ほどの話に戻りますが、我が主人を死に至らしめた相手は、我々の本当の存在意義を知らない人間だと言えます。両家を手中に納めねば、王位の維持などままならない事を知らぬ、愚かな人間」
確かにその通りだ。高位の王位継承権保有者ならば成人とともにその秘密が明かされる。だが……
「…こうも考えられませんか?…そもそもの目的が王位の簒奪ではなく、国ごと売り渡す事ならば……」
カルロスの眉間に皺が刻まれる。
「何をもってそう思うのです」
「…この本、ですよ」
そう言いながら、私はアレックス・シモンズの料理本の裏表紙を見せる。
「…二重底」
私は頷く。そして本のハードカバー部分をグッと押しながら上に滑らせる。…クレア嬢から教わったやり口だ。
中から出て来たのは小袋。
白い粉の詰まった……小袋。
「なんということだ……」
カルロスが呻く。
「…ハワード殿を死に至らしめた元凶です。我々の本来の存在意義を知らずとも、ベゼル家が王の懸念を拭い去って来た事は知っている。であれば……」
「…ベゼルを葬れば、事は為る…と」
静かに、だが強い言葉でカルロスが言う。
「クレア様が無事に成人を迎えられ、爵位の継承が為るまでの間、我々は主人の残した命令以上の事はできません。…何としても、ベゼルの次期当主をお守り下さい」
「…ええ、もちろんです」
「虫の処理だけは……我々よりクレア様の方が得意かもしれませんが」
「ああ…。いえ、本来私は見かける前に始末する派なので」
「フ、そうですか。では今日の所は失礼します。繋ぎはいつものように」
そう言ってカルロス・ダンヒルが音もなく部屋から去る。
本当に水の一杯にすら手を付けずに去っていった。
ハワード殿の願いを叶えるために、越えるべき壁は高い。




