71.侯爵領
この1年半、ずっと心に引っかかっていた事がある。
…どうしてハワード殿の事件は、私に任されなかったのか、だ。
自分なりに色々と考えてもみた。
関係性が近すぎたからなのか、直属の上司の弔合戦では正常な判断が難しいからなのか、それとも、彼の死因が疑いようもないほど明確だったから、あえて捜査員を増やす必要も無かったのか…。
しかしながら、難しく考える必要などなかったのだ。
私は確かに彼の直属ではあったが、ベゼル家とエドワーズ家の因縁については誰も知るはずが無いことである以上、外形としては通常の上司と部下であった。
そしてハワード殿が命を落としたのが貴族の集まりの最中であった以上、私に捜査命令が下るのが普通であったはず。
であるのに、だ。
つまりは組織に口を出せる人間が裏にいるという事。
誰が……などととぼける必要などない。
王族に決まっている。
雨の中、クレア嬢から託された本を携えて私は車を飛ばしていた。
いつもより早く通常業務を切り上げて向かう先は、自領。
そう、エドワーズ侯爵領。
カントリーハウスの表玄関に乱暴に車を止めると、見計らったかのように扉が開く。
「お帰りなさいませルーカス様…いえ、卿…」
「ルーカスでいい。それより先方は」
「お見えでございます」
「しまった…待たせたか」
「1分半ほど」
「このまま向かう。準備を」
「はっ」
家令に指示を飛ばすと、城内が騒がしくなる。
今夜の客人にはこちらから面会を申し込んだというのに、待たせるとは何たる失態……。
しかも、絶対に隙を見せたくない相手に……だ。
「…お待たせして申し訳ない」
広間へのアーチ扉をくぐると、窓から外を眺める背中が見える。
「いえ、大して待ってはいません。それよりも……いい車ですね。速そうだ」
「ええ…。時間に追われる事が多いので最近買い替えました」
「…痕跡は消しているのでしょうね、エドワーズ侯爵」
「領内までは大衆車ですよ。…カール、いえ、カルロス殿…」
「そうでなくては困ります」
そう言って振り向くこの男こそが、私が人生で最も苦手とする人物……カルロス・ダンヒル。
アンダーソンの元で右腕としての地位を築き、秘密警察内では諜報官として働き、我々を欺いた三重スパイ…ベゼル家の、筆頭工作員だ。
そもそも秘密警察庁に二つある局のうち、捜査局と情報局という別部署に所属する我々に面識は無かった。
庁舎に頻繁に出入りする捜査官に対して、情報局所属の諜報官は……我々でさえ活動の全容を知る事は難しい。
私が彼を知ったのも、逮捕された彼を隣の局長が迎えに来たからだ。
…しかし、ハワード殿は抜かりが無い人だ。
「おかけください。食事はお済みですか?」
「ありがたいお言葉ですが、我々は他家から供される食事に簡単に手を付ける事ができません。…ご存知の通り」
「…そうでしたね。そう考えると、エドワーズは随分と甘い物差しで生きている」
「それが役割というものです」
にべもなく口にする彼の眼鏡の奥の冷たい瞳に向かって、着席する様に手で合図する。
そして入って来ようとする給仕を目で制す。
「では早速本題に入らせて頂く。今日お時間頂いたのは他でもありません。……貴方の主人の件です」
無表情な瞳が鋭く光る。
「……遺言が見つかりました」
「!」
ここに来てようやくカルロスの表情が動く。
「姫宛て……でしたか?」
姫…
「いいえ、私宛てでした」
「そうですか……」
彼らの気持ちは痛いほどわかる。
主人を失ってすでに1年半。よくぞ団結を保ったままでいられるものだと感心する。
いくら定めだとは言え、名乗る事もできずに、ただただ未来の主を待ち続ける彼らの気持ちはよくわかるが……。
「あと半年…クレア嬢が貴方の前に現れるまでに、私はハワード殿の事件を解決したいと思っています」
「…………。」
「貴方もそれがわかっているからこそ、今夜ここに来た」
再び眼鏡の奥が冷たく光る。
「…お伺いしましょう」
私は頷くと、あの本を彼の目の前に差し出す。
「ハワード殿が、私たちに動けと指示したものです。…ベゼルの代表であるクレア嬢を通して、エドワーズへと直接届けられた」
「……今度は内憂ですか。忙しいですね」
やり取りの意味を瞬時に理解して、カルロスが静かに溢す。
「いいえ。内憂の原因はやはり外患です。…トラウトの手が、王族にまで伸びています」
「100年振りの嵐……ですか」
私は頷く。
ハワード殿の死は、必ずこの嵐に関係する。
彼は秘密警察の一員として命を落としたのではない。
公爵として命を落としたのだ。
そう、嵐の結末を左右する、ベゼル家の当主として。




