69.ネクタイピン
鍵のついた引き出しを開けて、中に仕舞い込んだ宝石箱を取り出す。
中に入っているのは私の数少ない貴重品と、思い出の品。
1番新しいものは、母の家から持ち帰った彼女のアクセサリー。価値はわからないが、父が貴族である事が真実ならば、父の妻であった母の宝飾品にはそれなりの値がつくのだろう。
次に新しいものは、エドワーズ様からの小切手。これは価値など図らずとも、そのまま貴重品である。
そして次が……父の遺品。
「…普通の品物にしか見えないわね」
手に取りクルクル回したり、灯りに透かしたりしてはみるが、特に変化は起こらない。
…そう、ただのネクタイピン。先端部分の複雑なデザインを除けば、一見すると何処にでもあるネクタイピン。
「…もう隠しごとしてないでしょうね」
返事があるはずもないが、面倒くさい性格の思い出の中の父に文句を言う。
あの日、エドワーズ様とオリバーと一緒に探した父の隠しものは、結局のところ私宛では無かった。
父が手紙に書いた〝私を迎えに来る男〟は、疑う余地さえ無くエドワーズ様の事に違いなかった。
私と彼は、お見合いをしなくても、いつか必ず出会うことになっていた。
もしお見合いをせずに、婚約をせずに出会っていたならば、私は彼に恋をする事はなかったのだろうか。
そこまで考えて、無意識に唇に指をあてる。
あの夜、父からの手紙とアレックス・シモンズの本をエドワーズ様に手渡した後、彼はとても悲しそうな顔をした。
表情こそいつも通りだったけれど、とても…悲しそうだった。
何を思ってそんな顔になったのか、彼の顔を見ていたら私も何だか悲しくなって、部屋に下がると申し出た。
『部屋まで送ろう』
そう言って彼が私の体を支えるほどに、確かに足取りは覚束ないものだった。
オリバーから見えなくなるとすぐに彼は私を横抱きにして、部屋のベッドまで運んでくれたのだ。
ベッドに横たわる私の頭を撫でながら、何度も何度も『すまない』と繰り返す彼に私は尋ねた。
どうして謝るのかと。私は感謝しているから謝らないで欲しいと、悲しそうな彼にそう言った。
『ハワード殿には、最後ぐらい、君にだけの贈り物をして欲しかった』
彼のその言葉は、きっと私が心のどこかで父に対して叫んだ言葉だったのだろう。
気づけば溢れる涙で視界はかすみ、必死で押し殺したはずの声が喉の奥から漏れていた。
『…私は、君を望んではいけない人間だったのかもしれない。君から一方的に奪うばかりで、何も…与えてあげられない。気の利いた言葉一つ言えない』
そう言って私の頬を流れる涙を拭う彼に、私は必死に伝えた。
『望んでください!言葉なんかいりません!手を…離さないで…お願い……』
それからの記憶は、顔中にゆっくりと振ってくるキスの雨を受けながら、ゆるゆると眠りについた所までしか残っていない。
目が覚めれば、彼の姿はまた邸から消えていた。
「それにしてもエドワーズ様は間違ってるわ。どう考えても何も与えてないのは私でしょう?この生活も、この部屋も、与えられてばっかりじゃないの」
そしてこの写真も…。
机の上に飾った写真立てを見る。
母の家に隠されていた家族写真…。
初めて見た、二人が夫婦だった時の写真。
この一枚の写真だけで、両親からの遺品は十分だと思えた。
私に届けられた父の三つの遺品は、バートリー夫人の詩集と、古ぼけた私の写真と、このネクタイピン。
詩集でさえエドワーズ様へのメッセージのヒントだったのだから、このネクタイピンも…と思うのは考え過ぎだろうか。
さすがに私の写真がメッセージだとは思いたくない。
「ああ…どうしましょう。本当にどうしたらいいの…?」
もうさっきから独り言が止まらない。
だって1週間後は……エドワーズ様の誕生日なのだから。
そしてもう一つ大きなイベントがある。
「やっぱり人生の先輩に相談するしか無いわ…!」
私は貴重品をまた宝石箱に詰め、引き出しにしまい込み鍵をかける。
そしていそいそと教材を準備して立ち上がる。
「そろそろ出ます。お願いしてよろしいですか?」
廊下で待機する男性に声をかける。
「ははっ。ではお供しましょう」
エドワーズ様の姿が消えた代わりに私の視界に入るようになったのは、どう考えても身のこなしが常人では無い初老の男性。
最初は気のせいかとも思ったが、大学でも彼の姿を見かける以上、彼はエドワーズ様が寄越した、おそらく私の身辺警護の人だろうと理解した。
だから何かする前にはあえてこちらから行動を申告するようにしている。
その方がお互いに無駄な時間が省ける。
「ローさん、申し訳ありません。すぐそこまでなのに来て頂いて」
「いえいえ、かまいませんよ。さ、参りましょう」
少しずつ賑やかになる私の周囲。
だけどやっぱりいつだってあなたの顔が目に浮かぶ。




