6.卒業アルバム
『何を悩む必要があるのさ。くれるって言うなら貰っておけばいいじゃないか』
駄目よ、何を言ってるのよオリバー!これだからお坊ちゃまは危険なのよ!
分不相応なお金は身を滅ぼすのよ?散々身の丈に合わない教育費を注ぎ込まれた私がいい例じゃない!
昼間の大学で、数少ない…唯一の友人であるオリバーに事の次第をそれとなく相談してみたのだが、彼は金銭感覚では全く役に立たなかった。
だけど彼はその明晰な頭脳で、一つとてもいい事を言った。
『エドワーズ…か。何をしてる人か確認したの?僕も大抵の商売関係者は把握してるんだけど……』
そう、そうなのよ。
とんとん拍子に進む話にうっかりしていた私も悪かったわ。
…そもそも彼、何者なの?
アルバイト後のくたびれた体に鞭打って、玄関ホール脇の階段を駆け上がり自室へと小走りする。
屋敷の中でも特に陽当たりのよい場所に設けられた自分の部屋。…まるで屋敷の主人の部屋であるかのように。
部屋の扉を開けソファに鞄を放ると、文机へと向かう。
着替えもしないで行儀が悪いって言われるかしら。…なんてね。私に小言を言う人間が今さらどこにいるのよ。
文机に備え付けた椅子を引き、すとんと腰掛ける。そして机の上に積み重ねられた書類から、目当てのものを引き抜いていく。
…お見合い相手の釣書を。
「…アダムズ氏、ベケット氏、…ああ、これね…。エドワーズ氏……」
この釣書を持って来たのは、確かお向かいのコレット夫人だったはず。普段は顔を合わせた時に会釈するぐらいの間柄だったから、少し意外に思ったのよね。
凝った装飾が施された厚紙を開く。
「ルーカス・エドワーズ…。1821年10月25日生まれ。タングル王国首都ストックブロス出身。学歴……」
ああ…もっと早くに目を通しておくべきだった。
覚書なんて作る前に、最初にやるべき事だった。
私は…なんて迂闊なの!
結局夕べはほとんど眠れなかった。
自分の愚かさにはほとほと愛想が尽きたし、自分がしでかしてしまった事が恐ろしくて、そして…これからの人生が怖かった。
「1843年度卒……本当にいたわ…!」
遅ればせながら昨日ようやく目を通したルーカス・エドワーズ氏の釣書。
〝選び抜かれた〟事実だけが記された釣書…。
『ルーカス・エドワーズ
1821年10月25日 タングル王国出生
現住所 ストックブロス中央区ハリブット通り10
学歴 1843年5月 マーリン大学法学部卒業
職歴 1843年9月 法務省入省……… 』
「…まさか先輩だとは思いもしなかったわ…。しかも3年で卒業するなんて…。優秀な上に学費が節約できて羨ましい限りよ」
大学の図書館にズラリと並ぶ卒業アルバムを手に取り、今より少し若い彼の写真をしげしげと眺める。
「…それにしても、彼が27歳というのはどう考えても……」
深く刻まれた眉間の皺、人を射殺しそうな鋭い目つきに隙のない身のこなし…。
私があと10年ほどであの雰囲気を纏えるか…無理ね。どう考えても無理。
…彼が微笑む事なんてあるのかしら。
「…だめだめ、余計な事は考えないの。やっぱり学歴までは正確だったわね。となると……」
彼がただの役所勤めのはずがない。
自分の将来の選択肢になり得るからと、何度も何度も調べたのだ。それこそ現役時代の収入から定年後の年金まで。
彼の振る舞いは…いや、物事の考え方は、公務員の収入で賄える規模を遥かに超えている。
そう…父のように。
一介の公務員を名乗りながら、私にこの国で最高峰の教育を与えた父のように。
「はぁ……」
一つ溜息を落とす。
調べたって、これ以上の事はきっとわからない。
実の親のことでさえ調べきれなかったのに。
少し若い灰色の瞳の彼をもう一度眺め、そっとアルバムを閉じた。
卒業写真ぐらい、笑えばいいのに。
…そんなどうでもいい事を思いながら。
明日彼に会ったら、やはり婚約の解消を取り決めなくちゃ。