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55.起こる

 穏やかに過ぎるエドワーズ邸での日々。

 その穏やかな夏休みも終わりを迎えようとした日、彼から知らせが届いた。


『屋敷を借りたいという人間がいる。話を進めてもいいだろうか』


 正直言って、あの古いだけの屋敷に高過ぎる賃料を払ってまで住みたい人が現れるとは思っていなかったので、この知らせには驚いた。

 エドワーズ様の休暇の最終日、私は彼に屋敷を貸し出す事にした、と告げた。

 彼は一言『わかった』と言い、それからは光の速さで私物がエドワーズ邸に引き取られ、そして秘密の隠し場所に入れておいた小切手までもが私の手元に届けられた。

 …彼に隠し事は出来そうにない。

 

 空っぽになった屋敷にエドワーズ様が連れて行ってくれたのはつい先週のこと。

 忘れ物がないか最終確認をし、紹介された弁護士の方に屋敷の鍵を預けた。

 彼の言う〝その時〟がいつになるかはわからないけれど、次に屋敷に帰る時には父の事を偲ぶ気持ちになれていればいい。

 …そんな事を少し思った。


 私のエドワーズ邸での暮らしは、少しずつだが変化した。

 まず、カーソン一家は邸がようやく工事完了となったことで、お向かいへと引っ越して行った。

 とは言ってもほとんど毎日シンシアさんを訪ねるため、あの薄桃色の邸にも慣れたものである。

 そして私は自室をもらった。

 ほとんどの私の希望を叶える形で整えられた素晴らしい部屋。

 本当に有り難くて、嬉しくて、毎日感謝をしながら暮らしている。


 オリバーの言う通り、私は確かにエドワーズ様に甘やかされていると思う。

 顔を合わせる事は難しくてもこまめに手紙が届くし、大切にされている事は十分に伝わってくる。

 だけど……私は贅沢になってしまった。

 一人でも平気なはずだったのに、とても寂しい。

 邸には沢山の使用人たちがいて、何くれと不自由無く過ごさせてもらっている。

 3ヵ月前の自分が見たら、目を剥いて驚くような環境なのに……。




 だから私が彼女に出会ったのは、何かの導きだったのだろう。

 すっかり贅沢に慣れ、もっともっととねだる私を諌めるために。

 偶然だと思っていた全ての事が、起こるべくして起こった事を知るために。

 私のこの持て余すような感情が、どこから生まれたのかを知るために。



「お隣いいかしら?」


 大学新年度の初日、いかにも大人の女性と言った美しい金色の髪を靡かせる女性に声をかけられた。

 2年生の時、もっぱら睡眠時間に充てていた国際政治学の講義を再聴講するために、オリバーと別れた2時限目のことだった。

 滅多に女性を見かけることのない構内で、しかも初めてオリバー以外に声をかけられた事に心底驚いた。


「ええ、もちろんです」

「よかった。大学って本当に女性が少ないのね。驚いたわ」

 穏やかな口調で話し出すその女性。

 彼女は学生ではないのかしら…?

「私はレイチェルよ。よろしく」

「クレアです。こちらこそよろしくお願いします」

 軽く頭を下げて自己紹介をする。

 レイチェルさんも、柔らかく微笑む。

 外部聴講の方…?

 それだけで終わるはずだった。


「広い邸で寂しくない?」

 ……え?

「ルーカスあまり帰らないでしょう?」

 ルーカス……

「あ、私あなたに会ってみたかったの」

 会ってみたかった…

「レイチェルさんはエドワーズ様のお知り合いの方なのですか?」

「ええ、そうよ」

「そうでしたか。今日は聴講に?」

「いえ、たまたま仕事でオーランド教授に会いに来たの。今から授業だって言うから、ちょっとだけ聞いてみようかなと思って。そしたら女性の姿が見えたから、もしかしたら…と思って。突然話しかけてごめんなさいね」

「まあ…!不思議な事がありますわね」

 

 微笑んではみたものの、頭の中は騒がしい事になっていた。

 偶然隣に座った相手と共通の知り合いがいる確率……ゼロでは無いかもしれない。

 だけど彼女の口ぶりは、私の存在を確実に知っていたように思える。

 一方的に知られている相手が、隣に偶然座って来る確率ってあるのかしら。

 

 偶然って…どこまでを言うのかしら。

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