表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/161

35.逮捕

「…ルーカス、行っちゃったわね」

「そうだな。アイツ作業服恐ろしく似合ってなかったな」

「そこはどうでもいいわよ。大丈夫かしら…。だって、彼女…10日間も他の男の所に……」

「…ま、大丈夫じゃねーの?」

「…何でよ」

「アイツ言ってただろ?〝変わらない〟って。どんな姿でも、クレアちゃんが無事ならそれでいいんだろうよ」

「……………。」



 間違いない。彼女がここにいる。

 最上階スイートルームの風呂場で工作班とともに作業を行いながら、それでも私の背中は彼女の視線を捉えていた。

 美しく装い、見事に化粧を施されてはいるが、間違いない。……クレア嬢だ。

 元気そうでよかった。…本当に、よかった。

 ヤツを捕らえるための絶対条件は、〝彼女がここにいる事実〟だ。偽証も証拠隠滅も、彼女の存在が許さない。


「…やはり間違いないですね」

 工作班の一人がボソリと小さな声で呟く。

「…おそらく何かを故意に流してます。粘性の何かを」

「…!」

 ああ…そうか。君が頑張ってくれたのか……。

 確証は無いが、恐らくそうなんだろう。きっと、塩水とゆで卵のような何かを、君が成し遂げたんだ。

 

「…引き上げましょう」

 工作班の掛け声で風呂場を出る。

 そして部屋の扉の前で頭を下げる。

 出口の方を振り向くその一瞬、もう一度彼女を見る。

 いつもと変わらない穏やかな微笑み…だがどこか寂しそうな彼女の姿を目に焼き付ける。

 必ず…必ず迎えに来る。

 だから、もう少しだけ…待っていてくれ。



 


 彼…また痩せたみたい。

 眠れていないのかしら。

 検査のため部屋にやって来た配管工事の男性達の中に、作業服が似合わない彼がいた。

 ずっと背を向けていたけれど、帽子から覗く黒髪も、眼鏡越しに見えた灰色の瞳も、間違いなく彼だった。

 追い縋りたかった。彼の背に追い縋って、今すぐここから連れ出して欲しかった。

 また少し痩せた彼に、心配かけてごめんなさいと謝りたかった。

 けれど彼の背が、今じゃないと語っているようで、ただただ見つめる事しかできなかった。

 きっと今日は、わざわざ会いに来てくれた。そんな気がした。

 彼が追いかけているのがヴィンセント・アンダーソンならば、きっと本番は…明日。



 


 そう、だから何も感じなかった。

 目の前で、黒服が、カールが、ヴィンセント・アンダーソンが、大勢の人間に銃を向けられて、後ろ手に手錠をかけられる姿を見ても。

 最後にアンダーソンが、黒い瞳で私を見つめた時も。

 いつものように少し微笑んで、彼を見送っただけ。

 だから彼も薄く笑って、静かに私に背を向けた。

 


 今日は朝からどんよりとした曇り空で、なんてこの日に相応しい天気なのかしらと思ったわ。

 雨が降っても走れるように、ドレスではなくて掃除婦の格好を選んだのもこの空のため。

 あなたは今日どんな姿で来るかしら。それしか頭になかったの。おかしいわよね。


 現れたあなたは、いつものあなただった。

 きっちりと整えられた黒髪に、獲物を射抜くような鋭い灰色の瞳。体の線に合ったシャツを着て、細身のスラックスに革靴。きっとその服は、色別にきっちり並べられたあの不思議なクローゼットから選んだのね。

 ただ一つ違ったのは、体から腰にかけて巻かれたホルスター。似合って無いとは言わないわ。あまり見たいものでも無いけれど。


 朝10時になる前に、1022号室の扉から沢山の人が入って来た。

 皆両手で銃を持ち、大声で何かを叫んでた。

 人波をかき分けて、一際体の大きな男性がゆっくりゆっくりと前に進み出る。

 アンダーソンはその様子をとても優雅に眺めていた。ゆったりとソファに腰をかけ、やはり琥珀色の液体を揺らしながら口端を上げて、まるで客人を迎えるかのようだった。


 壁際に佇み、黙ってその様子を見守った。

 体の大きな男性が、何か紙を読み上げた。と同時に再び動く人の波。

 だけど黒い髪のあなただけ、人の波に逆らって、私の方へ駆けてきた。

 

 伸ばされた手を握り返すより早く、私はあなたに吸い込まれた。

 彼の肩ごしに黒い瞳を見送って、ようやく私は瞳を閉じる。

 

 そんな…曇り空の今日だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ