3.夜の訪問者
「すまないね、ベゼル君。まさか店で乱闘騒ぎが起きるなんて……」
「かまいませんわ、オーナー。私ここ片付けますから、帳簿の整理をどうぞ」
私が毎日働くレストランは、街ではそこそこの高級店で知られている。
やって来るお客様もそれなりに余裕のある人たちが多いのだが、今夜は珍しく店で痴話喧嘩が起きた。
最初はコップの水をかけたりほっぺたを叩いたり、あらあらまぁまぁ、で済むような争いだったものが、それでは女性の気が済まなかったのだろう。
椅子を投げ、机をひっくり返し、なかなかどうして激しい乱闘へと様変わりしてしまったのだ。
「…まずは箒がけね」
床に散乱した食器の破片の片付けから始め、その日も黙々と掃除を終え、帰路についた。
それにしても珍しい事というのは重なる時には重なるものだ。
レストランからてくてく歩き、ようやく我が家だという時に、屋敷の前に見慣れない車が一台止まっているのが目に入った。
まぁ高そうな車!
などと暢気な感想を浮かべた直後、屋敷の門扉に黒い人影を確認。
とりあえず鞄を体の前で抱きしめて、身構える。
立ちすくむ私に影がツカツカと近づいて来る。
「き…きゃ」
と叫ぶ間もなく頭上から降って来たのは…
「遅い!何時だと思っている!」
という、年頃の娘を叱責するような声だった。
「あのう…お待たせして、申し訳ございませんでした…。ええと…エドワーズ…様?」
なぜ怒られているのか、何となく理不尽なものを感じるが、彼が屋敷の前で待っていたのは間違いなさそうなので応接に通しお茶を出しつつ謝った。
…安茶葉で申し訳ないが。
「…こんな時間までどこで何をしていた」
鋭い目付きのエドワーズ氏が私に問う。
「え?どこでって…」
「君の働くレストランは夜の10時までだろう。…今は夜中の1時だぞ!」
「…え、どうしてご存知なのです?」
「…見合い相手の素性を調べるのは当然の事だ」
「そ、そうなのですか!?」
ということは、前の6名の方も私のこと調べたのかしら…。ちょっと嫌かもしれないわ。
「それで、仕事のあと何をしていた」
なぜこの方はこんなに機嫌が悪いのかしら…。
「あの、エドワーズ様?私…最近、レストランでの勤務の後に、店の清掃の仕事も始めましたの。今日はたまたまトラブルがあってこの時間ですけれど、普段は1時間早く帰っておりますわ」
エドワーズ氏の眉間に皺が寄る。
「最近…。毎日…2時間も掃除を?」
「え?いいえ、だいたい1時間ですわね」
「…計算が合わないだろう」
…そうかしら?
「お店が終わって、掃除をして…着替えて…いいえ、やっぱり毎日12時ちょっと過ぎですわ」
私の言葉にエドワーズ氏の目が見開かれた。
「…まさか、歩いて通っている…とか」
「え?当然でしょう?…たまに走りますわね。…こっそりと」
「………ありえない」
彼の鋭い目付きが、今度は不審者を見るような目つきに変わった。
…失礼しちゃうわね。
「…ところで、こんな夜中に…いったい何の御用ですの?」
「いや待て。誤解を招く言い方をするな。ここに来たのは夕方だ」
「…夕方!?それからずっと屋敷の前に…!?」
「そんなわけないだろう。私がそんな暇なものか」
「あっそう……ですか」
「夕方訪れた時に不在だったから再度8時頃に来た」
「は、はぁ。…それから屋敷の前に……」
「そんな暇は無いから次は2時間後に」
…会話がすごく面倒くさいわ!
「…それからは屋敷の前に」
「はいっ!?」
「今日行くとこちらから連絡しておいて、来ないわけにはいかないだろう」
「…え?」
なんのこと?
「…ほう、なるほど。やはり読んでいなかったのだな…?」
「…え?」
「前回の二の舞にならぬよう、今回の手紙は書留で送ったのだが…?」
「…えー…え?」
「……………。」
エドワーズ氏の顔が先ほどよりも無表情になる。
「…もういい。これに目を通しておくんだ。いいな、必ず目を通して、修正が必要なら書き加えておくように。…返事は…受け取りに人を寄越す」
「は、はい!…ご足労頂きまして、本当に申し訳…」
「その通りだな。…失礼する」
不機嫌なんて思って申し訳ございません。
手紙…どこに行ったのかもわかりません。
心の中で謝罪をしながら、彼の姿が玄関から消えるまで、ひたすら頭を下げていた。
彼の姿が消えた後に残った感想は…つかれた…のみ。