27.最上階
「それで、ここが掃除用具入れ。だいたいのことはわかったかい?」
「はい。とても良くわかりました。ご丁寧にありがとうございます」
飛び込みで受けたホテルの掃除婦の面接。
思惑通り即採用となり、何とそのまま仕事に入るという上々の運びとなった。
先輩掃除婦であるベラさん…おそらく母より年上の気立の良い女性に伴われ、仕事内容の説明を受けている真っ最中である。
「しかしねぇ、あんたならもっとマシな仕事がいくらでもあるだろう?何でまた掃除婦なんだい?」
「まあ!こんなに今の私に適した仕事はございませんわ。それにこの不思議な掃除道具も使うのが楽しみです」
「ああ、窓用のワイパーかい。それは使うのに少しコツがいるね。それじゃ実際にやってみようか」
不思議な道具を大きなワゴンに乗せて、前を歩くベラさんを追う。
「掃除に入る部屋は事務所に連絡が来てるから、それぞれ手分けしてやるんだよ。今日から3日間は私があんたを指導するから、なるべく早く仕事を覚えな」
「はい!」
そう言いながらベラさんが部屋割りについて教えてくれる。
「このフロアは長期滞在者向けの部屋さ。本来なら2日に一度掃除に入るんだけど、それを望まない客もいるからね。間違っても指示が無い部屋には入らないこと」
「長期滞在……」
長期というのはどのくらいの期間なのかしら。
「あともう一つ。ここより上の階は立ち入り禁止だ。上得意客がフロア全部を借り上げてる。どこぞのお金持ちが家代わりにしてるって話だ」
「まあ…!ホテルを家代わりに…!」
きっとすごくお金持ちなのね。
一部屋一晩だってそこそこ高いのに…。
首都の一等地に建つ、ホテル・カペリンは、上流階級向けの高級ホテルだ。
おそらく私には縁がない場所。
しかし従業員向けの裏側は殺風景で、普通の建物と変わりない。
まあ、総じてそんなものである。
「それじゃあ実際の手順を見せるからね」
「はい!」
きっとこの夏休みは充実したものになるわ。少しの無駄も無い見事な時間配分。
あ、新しい職場のことを彼に手紙で伝えなくては。勉強しろって怒られるかしら。
などと暢気に過ごしていた私はあまり学習能力が無いのかもしれない。
両親の死で、十分に学習したはずなのに。
そう、楽観的で充実した日々は、たいてい唐突に終わることを……。
「最上階…ですか?」
「そうなんだよ。まさか今日呼び出しがかかるとは思わなくてね。悪いんだけどベゼル君お願いできないか」
掃除婦を取り纏めている中年の男性主任にそう声をかけられたのは、ベラさんから一人立ちして5日目のことだった。
「ええと確か最上階というと、全部のフロアをお一人で使われているという…」
「そうだ。いつもは2日前には連絡が来るから増員して当たるんだが、珍しく今回は今日の今日でね。1日では終わらないだろうから、とりあえず1021号室から頼むよ」
「…わかりましたわ。とりあえず行ってみます」
「悪いね」
たまにしか掃除をしない部屋なんて、絶対に汚いに決まってるわ…。
例の黒い虫が出たらどうしましょう。新聞かスリッパはあるかしら…。
などと頭に浮かべながら開けた1021号室。
「なんてこと…!足の踏み場もないわ!」
目の前に広がるのは、書類の山、山、山…。
机だろうがベッドだろうが所構わず積み上げられた紙の束。絨毯なんて姿も見えないほど敷き詰められた紙の束。
「ここを…掃除……」
何から手をつけたらいいの…?
部屋の入り口で立ち尽くす私に、その声は降ってきた。
「…動くな」
ーーー!
「何者だ。…ここで何をしている」
普段ならすぐに振り向いて、部屋に入ったお詫びを述べただろう。そして掃除のやり方の指示でも仰いだはずだ。
だけれど、背中に感じるこの無機質な細い筒状のものは………
「手を床に付け。…妙な動きをすると撃つ」
「…!!」
撃つ…撃つ…?やっぱりこの背中にあたるのは…!
頭の中は半分真っ白で、半分はなぜかものすごい勢いで回転していた。
暴漢に襲われた時はどうするのだったかしら…。お父様に昔教わったわね。確か相手の足のつま先をヒールで踏むのよ。…ああでも今はフラットシューズだわ。
「何をしている」
そうね、私何をしているのかしら。考えるより先に跪いた方が早いわ。
おそらく人生で一番の危機的状況のはずだが、やはり私はどこか他人事のように今の状況を遠くから見ていた。
右膝と左膝、どちらから折る方がいいかしら。両方いっぺんに曲げるべきかしら。
でも何となく右膝を曲げたその時だった。
「…待て。その髪色…見覚えがある」
おそらく30代ぐらいの男性の声が、私の動きを止める。
頭を覆っていた三角巾がファサっと取り払われ、一つ結びの髪が露わになる。
「ああ…随分と待たされたものだ」
背中にあたっていた無機質な筒の緊張が解けると同時に、肩を掴まれる。
「連絡をくれれば迎えに行ったのに。相変わらずつれない人だ」
掴まれた肩とは反対側の耳元で男が囁く。
「会いたかったよ。…美しい人」
ーーー!!




