15.愛の形
「…俺は今、新しい愛の形を見ている」
「うるさいザック、黙れ。そして気色悪い」
「気色悪いのはお前だ!何だその受験生の机みたいな有様は!」
「カーソン商会の息子に遅れを取るわけにはいかん」
「…カーソン?カーソンって、あのカーソン商会?」
「そうだ」
「…なんだ仕事かよ。俺はてっきり愛しの…なわけないか。ルーカスだもんな」
「…………。」
そう、これは仕事だ。9割は。
残りの1割は…罪滅ぼしに決まっている。
彼女が仕事を失った、あの日を見て見ぬふりした罪滅ぼしだ。
それにしても彼女は何だというのだ。
我々が接触したい人間を吸い寄せる機能でもついているのか?
工作し、根回しし、ターゲットの警戒心を解き…。
膨大な人員と時間を掛けてようやく我々が飛び込める相手なのに、なぜ彼女には向こうから近づいてくる。
今朝、昨日の約束通り彼女の働くパン屋へ行った。
コック帽にコックコート姿の彼女は新鮮だった。
驚くほど似合っていなかったが。
あれではまるで、服で溺れているのかと見紛うではないか。
まあそれはどうでもいい。
問題はその後だ。
『まぁ!本当にいらっしゃったのですね。冗談かと思ってさぼらなくてよかった。これ…試験範囲なのですが……』
彼女には私が冗談を言う人間に見えているのか?この私が?生まれてこのかた堅物だのつまらないだの…いやそれもどうでもいい。
本題はここからだ。
『エドワーズ様、あさっての土曜日、オリバーも誘っていいですか?』
…彼女は頭がおかしいのか?
どこの世界に婚約者と会うのに他の男を連れてくる女がいるというのだ。
それともこの期に及んでまだ私との婚約を無かったことにしようとしているのか?
『オリバー私よりたくさん授業取ってるから、私と共通の科目だけでも効率的に勉強できたら喜ぶと思うんですけど…』
などとごちゃごちゃ言っていたが。
普段なら無視して立ち去る所だが、相手がカーソン家の息子なら、実際の所こちらから願ったりかなったりだ。
我々は、カーソン商会との繋がりが欲しい。
もっと言うならば、カーソン商会はこちら側の陣営に取り込んでおかねばならない。
ヴィンセント・アンダーソンの毒手に陥る前に。
…それにしても、知らなければ良かったのだろうか。
あの瞳が語る孤独を。
知らないままだったら、この仕事の前では家族の犠牲など些細な事だと割り切れたのだろうか。
知らないままだったら、こんなにどうにもならない事を考えることもなかったのだろうか。
彼女はあの屋敷でずっと一人で生きていくのか、あんなに折れそうな体で一人で暮らすのか、結婚すれば、生活にゆとりができれば、少しは穏やかに過ごせるのか…。
それとも……名前を呼ぶときに唯一瞳に光が宿る、オリバー・カーソンと一緒になれれば……
「はぁ……」
毎回そこまで考えては、胸に苦いものが上がってきて思考が途絶える。
考えたところで、彼女にそんな人生が訪れない事は自分が一番分かっているのに。
「ルーカス、そういや俺結婚決まったわ」
「………!」
突然の同期の告白に一瞬で頭が冴える。
「俺も30だしなぁ。仕事する上でもそろそろ未婚じゃ差し障りが出る」
「まあ…そうだな」
他人に警戒心を持たれないためには、平均的な人間である必要がある。それはそうだが……。
「まだ相手の顔も知らんけど」
パラパラと書類を捲りながらそっけなく話すザックの姿に違和感が込み上げる。
「いやザック…お前、そんな感じの人間だったか?愛だの恋だのいつも気色悪い台詞にまみれて……」
「は?お前と一緒だよ。俺の場合は相手が研究者かなんだかで、ほとんど外国にいるんだと。要は別居婚。都合いいだろ?」
「都合がいい……」
「まぁ、この仕事しながら一緒に暮らすってことは、離婚に怯える日々の始まりだしな。別居ぐらいが丁度いい」
「…………。」
都合が良くて、丁度いい……。
我々にとって当たり前の事なのに、今日は妙に言葉が心臓に突き刺さる。
「何ボケっとしてんだよ。ほれ、お前は愛しの婚約者の前でカッコつけて、さっさとカーソンを釣り上げて来い」
……言われなくてもその為に準備してるんだろうが。
自分が結婚によって幸せになる未来など描いた事もない。
だが……まだ成人すらしていない彼女が、結婚に夢さえ見ていないという現実が、すごく物悲しかった。




