139.私怨
「…私怨……。くくく…私怨で儂を屠るか。ならば結局は儂の勝ちでは無いか。そなた達は訳の分からない理由で公爵を襲った狂人として、未来永劫語り継がれるがよいわ!」
レアード公爵も馬鹿では無い。
国を売り飛ばすほどに悪知恵の働く人物だ。
…だが、やはり甘い。
彼に連なる人間は、どこかしら詰めが甘いのだ。
絶対的な身分がもたらす油断なのか、手に入るかもしれない、より大きな権力に酔っているのか…。
「レアード公爵、ここで私が貴方を殴るのは私怨です。蹴るのも撃つのも、ついでに邸を荒らすのも」
「は…」
銃を構え、撃鉄を起こす。
ジリジリと近づくカルロス殿とリンジーに、レアード公爵が往生際の悪い顔をする。
「馬鹿者!儂は王になるのだぞ!?脳味噌の足りんダライアスよりも優れた王に……」
パァンッ!
放った弾が公爵の耳元を掠める。
「ひ……!!」
わかりやすく青褪めた男に告げる。
「…あなたが王であったならば眉間に風穴を開けられたのですが。…幸運な事にあなたは王ではない。貴方の命を奪ったところで我々は何も得るものが無い。残念なほど、何も残らない」
「そうですねえ…。ベゼルにもエドワーズにも腐るほどの資産がありますし、権力も身分もありますから…。おや、本当に何も残りませんね」
カルロス殿がにこやかに意地の悪い顔をして、舌鋒鋭く公爵の心を抉る。
「私が貴方に求めるのは、犯罪者としての裁きを受けて頂く事です。…その為の下準備が大変でした」
「な…にを。儂が裁かれる謂れなど……」
「あるのです。…一つだけ。我々が高位貴族として肝に銘じておかねばならない事。もうお分かりですね?」
スタンリー・クルーズには描けずに、私だからこそ描けたこの山の終着点の絵図。
「…連座制……?」
公爵が乾いた声を出す。
「その通りです。我々は従属爵位の管理義務を負う。勢力を拡大する為にばら撒くもよし、一族に貸し与えるもよし。だが…与えた爵位の全ての責任は主家が負う。だからこそ、主従の関係が何よりも重たいのです」
私の言葉に、リンジーが唇を噛むのが見える。
…クレアならば母親の事を許す気がするが、そこは私が口を挟む事では無いか。
「娘可愛さにあの男にケンドール伯爵位を与えたのが誤りだったか………」
「まだお分かりでは無いと。貴方の誤りは、トラウトの企てに乗った所から始まる。…ジェレミー・ブロウズがトラウトの工作員だった事を知らなかったとは言わせない。…まぁ、あえてここで言う必要も無いですね。然るべき場所で申し開きをされよ」
カルロス殿に目線を送る。
彼は承知したとばかりに口端を上げて、レアード公爵に手錠を掛ける。
ベゼル公爵家の私兵だと思っていた人物によって掛けられた手錠に、レアード公爵が最後にまた一つ目を見開いて、そして項垂れた。
彼を逮捕する為に必要だった要素、それは他でも無いケンドール伯爵位を持つ人物を〝貴族のまま〟罪人とする事。私は商会の会頭としてのジェレミー・ケンドールには用が無かった。
回りくどかったが、手足となる娘と息子…伯爵本人より余程こちらの動きに聡い人間を押さえることに手間をかけたのもその為だ。
しかし終わってみればこんなもの。
作戦が滞りなく進んだ時というのは、いつだって拍子抜けするぐらいに呆気なく、そして後から虚しさが去来する。
全てが虚しくなる。
エドワーズ家に産まれた事も、幼い頃から仕込まれた勉学も、こんな事のためにしか使えない…そんな現実が虚しくなる。
レアード公爵、貴方に告げた私怨…あれは私の隠す事ない本心だ。
この虚しさを唯一分かち合ってくれたハワード殿を、私から突然奪った貴方を絶対に許さない。
今夜庁舎に帰ったら、作戦の成果を讃えてくれる人間はいるだろう。
だが、私をいつまでも追いかけてくる孤独に寄り添ってくれる人間はいないのだ。
無表情で完璧主義で一分の隙も無かった彼が、唯一仮面を外して見せたのは、私が虚しさを隠せない時。
もう辞めたいと、口にした時。
手帳に挟んだ娘の写真を取り出して、その頬を撫でながらこう言った。
『私も辞めたい。成人した日からずっと辞めたいと思っている。でもクレアにはさせたく無い。だから明日もここにいる。』
そう、寂しそうに微笑んだ。
寒さ極まり、雪が降り出した空を見上げる。
静かな空間にドカドカと品のない足音で近づいてくる大きな姿に目をやれば、そこには顔をグチャグチャにして私に飛び掛かろうと走り寄る脳筋がいる。
何だ、お前は何もして無いだろうが。
何の権利があって泣くのだ。
巨漢の涙は醜い。
…とは思ったが、まあいい。
嫌味はまた明日にしてやろう。




