133.悪友
「姫様、こちらがアバロン州の地図と領地割でございます。そしてこちらが、各領主の一覧とその家系図……」
「ありがとう、エイダ。そうね、後はこの邸に勤める皆の名簿を持って来てもらえる?」
「かしこまりました」
オリバーから紹介してもらったシンシアさんの秘書のアルバイトから三日、大学は相変わらず休講のままで、おそらくこのまま冬季休暇に入るものと思われる。
私には膨大な時間があり、そしてこの邸にいる限り食べていくための労働は必要無い。
シンシアさんの言葉を借りる訳ではないが、私に必要なのは、ベゼル公爵家に連なる人々を路頭に迷わせないようにする事なのだろう。
…自信が無いなどとは言っていられない。頼り切るつもりでいた彼はもしかしたら………
「…姫様、ここのところ根を詰めすぎではございませんか?」
「あらゾーイ、私こう見えても女学校時代は一日15時間は勉強していたのよ?…サボりぐせがついちゃったのだけど、このくらい平気よ」
「ですが、ついこの間オリバー殿からの依頼の為に国中の商会について学ばれたばかりで……」
普段無表情なゾーイの顔に僅かに不安の色が宿る。
「…ゾーイ、大丈夫よ。本当なら春に貴方達と出会うはずだったでしょう?今のこの時間は特別に与えられた予習時間だと思う事にしたの。…春には、アバロンの皆を安心させてあげたいから」
「姫様……」
嘘では無い。ただ父の娘だというだけで大切にして貰うのは何かが違うとは思う。
だけど、〝父の娘である私〟という存在が彼らにとって大切ならば、私もそれを尊重したいと思う。
この数週間の公爵邸での暮らしは、私にそう思わせるには充分なほど温かかった。
「…なんだ、女公爵は勉強中か。ああ、ここでは姫と呼ぶのだったな」
冬の弱い陽の光を贅沢に集めるサロンに、国王陛下がヒョコッと顔を出す。
「…陛下、揶揄うのはおやめ下さい。ここにいらっしゃる間はクレアで良いと申し上げましたわ」
「儂もダライアスで良いと言ったが?」
「…………そうでしたわね」
無遠慮に私の対面に座り、テーブルに広げられた資料の山を目にする陛下。
ゾーイがすかさずお茶を用意し、部屋から消える。
「…ハワードも勉強ばかりしておったな」
呟く彼の顔は、明らかに肉が付き血色も良くなっている。
「…でしょうね。父からはやたらと変な知識を教わりましたもの」
「あいつはな、化学の研究者になりたかったのだ」
「そうなのですか?」
父が…化学者……
「子どもの頃から変な実験が好きでな。…その髪、見事に染まっておるでは無いか」
「…!!」
変な薬の製造犯は…父!?
「…国中で新種の薬物が出回っている事にも、ハワードは早くから気づいていた。珍しく儂に捜査の直訴をしてきてな」
「…父は、貴方の直属の部下、でしたわね」
陛下がじっと私を見る。
「…右手と左手、その機能をそのまま組織化したのがアレだ。王が恣意的に大貴族を動かせる時代はとうの昔に終わっておる」
ルーカス様は言っていた。『別にやりたい仕事があった』と。でも彼は右手の仕事に就かざるを得なかった。
では私もいずれ……
「…そなたは向いてないな。上手なのは作り笑いだけだ。作り笑いだとわかる、完璧な微笑みだ」
「…!」
「ハワードがそなたをそうしたのか、母親かは分からぬが、大人が寄ってたかってそなたを人形にしたのであろう。そして…王城で出会った時より酷くなっておる」
ひどく…?
微笑めれば、全ては受け流せるはずなのに……。
「…陛下は、いつ王の顔を手にされたのです?幼い頃から訓練を受けられたのでしょう?」
陛下が頬杖をつく。
「…言ったであろう。儂は王になるつもりなどなかったと。ただ王家に生まれただけの第二王子。…勉強大嫌い、マナーの時間は地獄。ここに来てハワードと悪戯してはそなたの祖父に拳骨をもらったものだ」
「…祖父……」
「ああ。学園に入ってからはそこにフェリクスが加わって……」
「…フェリクスさんというのは?」
「ああ、知らんのか。ルーカス・エドワーズの父親だ」
「…ルーカス様の!?では御三方は……」
「ああ、何というか、悪友というか…まぁ何だその……」
「…問題児だった?」
「……おそらく」
父がまともな人間だったとは思ってなかったけれど、どのレベルでの問題児だったのかしら。
聞きたいような、聞きたくないような……
「フェリクスは成人する前に子どもができたし、儂は知っての通りだ。ハワードは…嫌いな人間の前でしか笑わない…おかしなヤツだった」
「…は?」
「アメリアにもそなたにも、どうせ同じような態度だったのだろう?」
嫌いな人間の前でしか…笑わない…?
そんな変人がこの世にいるの…?
「もしかして……父は…母を…愛して…いた?」
「それはそうだろう。儂にも…いや、フェリクスには特に会わせぬように許嫁を大事に隠しておったわ」
「………!!」
いつの間にかただのお茶会の様相を見せるサロンでは、陛下から語られる思い出話が私の心を揺さぶっていた。




