110.恋心
さすがクレア・ベゼルだとしか言いようが無い。
彼女には我々が接触したい人間を吸い寄せる機能が付いている。ほぼ間違いない。
ビバリー商会とハーパー商会……。
スタンリー・クルーズからこの任務を与えられたその日のうちに、すぐに行き着いたニ商会。
あの場では言わなかったが、公爵家の紋章を刻んだハーパー商会の方は、当然告発者だという事がすぐにわかった。
しかしビバリー商会の方は私一人では断定できずにいた。
飴の成分分析の結果、初期の飴と直近の飴ではミントの配分量が増えている事が分かっている。
セドリック殿にこの話をしたところ、初期の飴で十分に利益を得られていたものに対して、あえて原価率を上げる必要性を感じないと言っていた。
彼は明言しなかったが、甘い飴にミントの刺激を追加するという事は、せめて子どもの犠牲者を減らそうと考えたと推測できる。
飴の包み紙に描かれた紋章がなぜケンドール商会では無かったのか。その疑問もあっさりとオリバー・カーソンが解いて見せた。
精査が必要だが、おそらくケンドール伯爵位はレアード公爵の従属爵位だ。
であるならば……。
ベッドのフレームにもたれ掛かり、2枚の紙をじっと見つめている彼女をチラッと横目で確認する。
手に持つのは、オリバー・カーソンから渡された2つのピラミッドの相関図。
ベゼル公爵家を頂点とする相関図と、エドワーズ侯爵家を頂点とする相関図……。
よく調べてある。本当に、怖いほどよくできている。
そして彼は本当に頭の回転が早い。この2枚をあえて製本に回さなかった。
「ルーカス様、ベゼル公爵家に連なる貴族と商会は、皆アバロン州に籍を置くのですか?」
「…そうだな。ベゼルは団結心が強いからな。何よりも公爵家とアバロン州を優先させている。他家が入り込む隙間は殆ど無い」
「…そうなのですね」
相関図の向こうにある、まだ見ぬアバロン州に思いを馳せているのか、クレアが何処となくぼんやりとピラミッドを指でなぞっている。
「クレア、アバロン州にはベゼルより有名な家名がある。国の三大商会は知っているか?」
「三大……ええ。ロジャーズ商会、シェリンガム商会、ウィルキンソン商会…ですわよね?」
「ああ。それにカーソン商会を加えて、今は四大商会といったところか」
「まあ!オリバーにかかる重圧は相当なものね!」
…彼女は、冴えている時とそうじゃない時の落差が激しい。
「…その発言は、あえて、なのか?」
「どうしてですの?」
「………ロジャーズ商会とウィルキンソン商会は、ベゼル公爵家の筆頭家臣が経営している。その紙を見たらわかると思うが……」
「…………!!」
目が皿のようになる彼女。
ベゼル公爵家を守るために、表には常にこのニつの家が出て来る。
そして彼女との婚約の際に一番説得に骨が折れた相手だ。
「わた、わたくし、とんでもない事態になっておりません…?」
「さあ、どうかな?今日カーソン邸に集った人間の中で、君が一番資産家なのは間違い無いだろうが」
「は、は、はいっっ!?」
「オリバー君への進言…素晴らしかった。将来有望な若者を青田買いして投資する…。これも一つエドワーズの人心掌握術に加えよう」
「私、そのようなつもりでは…!」
それにしてもオリバー・カーソン……。
どう考えても彼はクレアの事が好きだろう。
しかも恋という段階などとうの昔に飛び越えて、もはや昇華された愛のようなものを感じる。
彼があのように聡い人間で無ければ、入学早々クレア・ベゼルの隠された背景に気づくような事もなく、当たり前に恋をしていたのだと思う。
……頭が良すぎるのも考えものだな。
相関図を食い入るように見つめるクレアの隣に座る。
私が彼女に出会う前に、彼女が見合いを受けていたらどうなっていたのだろう。
今となれば、考えるまでも無くベゼルの手が裏から回ったことは想像に難く無い。
だが仮にそういう事態に陥っていたとして、彼女が成人を迎えたその日、私はどんな顔をして真実を告げに行ったのだろう。
例え泣かせたとしても、その頬に触れる事さえ許されない間柄で、秘密の共有などできたのだろうか。
オリバー・カーソン…。君は賢くて、そして強い。
世の中にはどんなに望んでも手に入らないものがある。
望むことさえ許されないこともある。
君は正しい。クレア・ベゼルの側にいようと思えば、永久に消えない友情を貫く他無い。
「私は……運がいい」
思わず口から漏れる。
「そうなのですか?」
相関図から顔を上げたクレアがきょとんとした顔をする。
「ああ。こうして素晴らしい女性に巡り会い、その素晴らしい女性は素晴らしい友を持っていた」
クレアが自分の事のように嬉しそうな顔をする。
「ふふ、オリバーは本当にすごいでしょう?私、オリバーだけは、きっと明日も明後日も10年後も変わらずにいてくれると思うのです」
「……………。」
……なるほど。
私はオリバーの賢さだけでは無く、彼女の鈍さにも感謝しなければならないわけか。
「ルーカス様…?」
じっと見つめて来るその瞼に唇を落とす。
「…あえて変わりたく無い、そう言っているようにも聞こえるな」
「どうなさったのです?わたくし何か……」
ああ…大人気ない。
「…すまない。私たちの関係がずっと今のままなど有り得ないことは分かっている。だが、もし…冷めてしまったらどうしようかと…。君の、恋心が」
恋心がいかに危うく、そしてすぐに消えてしまうものなのか、この目で嫌と言うほど見て来た。
そして夢から醒めるように現実に戻れば、時として恋心は激しい憎しみに変わる。
情け無い気持ちで俯いていた顔をあげれば、クレアが目をまん丸に見開いて、そして…あどけない少女のように微笑んだ。
「…私、この年になるまで両親以外の夫婦の姿を知りませんでした。ですが今日のカーソンご夫妻はとても素敵でしたわ。あれが…伴侶、というものだと思いました」
「伴侶……」
「ええ。私まだまだあなたには追いつけませんもの。共に歩むには、色々と…足りないのです」
彼女がジリジリと近づいて来る。
「クレア…?」
そしてポフと私の胸の上に頬を乗せる。
「ですから船の上で申しましたでしょう?私まだ…あなたに甘えていたいのです。伴侶になるその日まで……冷めないように、毎日恋に落として下さいませ」
「ーーー!」
オリバー君、君には大変申し訳ないが、私の理性の番人として、しばらく彼女を守ってくれ。




