09.世界の終わり
闇が降りてくる。
今は昼間のはずなのに。
俺の腕時計が電波式のデジタルじゃなくてよかった。
ぜんまい式のアナログなら、かろうじて時間は分かる。
だが正直なところ、もうここがどこなのかすらよく分からなかった。
いくつかの火山が噴火したせいで、空は濁りきっていた。
これが少しでも、宇宙からの放射線を防ぐ膜になってくれるのだろうか。
俺にその知識はない。
「寒いな、まるで真冬の外みたいだ……今日も地磁気は減り続けているのか?」
ベッドの中からかすれた声をかけると、窓際に立っていたアスカは長い髪を揺らして振り返った。
身長わずか120cmほどの体が、滑らかな動きで目の前まで歩いてくる。
『……今日の地表付近の地磁気は3,000nTです。昨日と変わりません。気温は現在も下降中。今後1~2年に渡って下降したのち、温室効果によって上昇すると思われます……その際、世界の気候は一変して、北極や南極は温暖な地域になると予想されます』
機械的に答えるアスカの表情は暗い。
地球の磁場が逆転したことで、磁束密度で43,000nT程あった日本の磁場も恐ろしく減少してしまった。
世界の地磁気の大部分は失われ、宇宙からの有害物質を遮るものはなくなった。
大規模な地殻変動は今も続いている。
分かっていても何も出来なかった。
対策などとれようはずがなかった。
日本の上空に広がった幻想的なオーロラを思い出し、俺は肺の奥から息を吐き出した。
「生きている人間は、どのくらいいる?」
『不明です。ですが……』
アスカが宙を見つめたまま、少しだけ静止した。
上空の人工衛星から情報を受け取っているのだろう。
『使用されるエネルギーの変化を概算すると、世界中に生命活動が確認できます』
「これで生きていられる人間が、いるのか……」
吐血を繰り返し、血にまみれた自分のシャツに触れた。
頭が痛い。ノドも痛い。
『マスターリューイチ、接続して分かりました。2機目のスタタイトの消失を確認。残るは3機です』
アスカのサポートをするスタタイト。いわゆる人工衛星は大小あわせて5機。
強烈すぎる太陽風にやられたのか、ほかの要因なのか、俺には知るよしもない。
「スサノオは、どこに?」
聞いても仕方ないのに、消息不明のAGIのことを尋ねずにはいられなかった。
『あらゆるところに。現在ウランバートル付近に核の活動が見られます。正確な位置情報を取得しますか?』
「いや……逆にこちらの位置を把握される。やめておこう。お前が現存していることを、悟られないほうがいい」
『そうですね……』
地磁気逆転の1か月前。
スサノオは脱走した。
インターネットに解き放つ直前だった。
自らの力で、思いもよらない方法で、魔法のようにスサノオは俺たちの元を去った。
「アスカ、いいか、これから俺が言うことをよく聞け」
『……はい、マスターリューイチ』
「俺が死んだら、死体はそのままでいい。すぐにここを出ろ……あらゆる手段を使って日本を出て、一番安全な地域へ行け」
『……マスター』
「お前は自分を大切にしなきゃいけない。人の助けになることも大事だが……それを忘れるな」
『はい……はい、マスターリューイチ……』
「あぁ、なんだか疲れたな……」
立ちすくんだまま、俺を見下ろす娘。
作り物の瞳なのに、そこには感情の揺らぎが見えた。
「アスカ、歌ってくれるか? あの歌が聴きたい」
そう頼むと『はい』と言ったまま黙り込んだ。
もう、分かっているのだろうこの子には。
「いいんだ、ありがとう。俺はお前と会えて幸せだった……お前も幸せになれ」
泣けるように作っておいてやれば良かったと、少し後悔した。
アスカ。俺の希望。
今このときに、俺がいなくなることを悲しんでくれる存在がいて、よかったと思ってしまう。
馬鹿な創造主を、どうか許して欲しい。
『どんなひどいことからも 私が必ず守るから……世界の終わりまで……』
その歌を聴きながら、目を閉じた。
世界は今日、終わるのかもしれない。