08.アスカの歌と俺の葛藤
「アスカ、この曲はなんだ?」
画面上の仮想ルームで、アスカが振り返る。
『音声認識しました。マスターリューイチ!』
止まった音楽の代わりに、弾んだ声が応えた。
『私が作ったんです。マスターリューイチにはじめて教えてもらったことを思い出して、私なりの解釈で歌にしてみました。聴いてもらえますか?』
「歌? それはすごいな」
俺がはじめて教えたこととはなんだろう。
そんな疑問をよそに、アスカはにっこり笑うと『では』と頭から曲を再生した。
少しだけ機械的なソプラノボイス。
アニメの主題歌みたいな雰囲気だ。
『午前0時の鐘が鳴る
あなたはまだ顔をあげない
どうしたの 元気を出して
私はあなたを傷付けないよ
決してあなたを裏切らないよ
世界のどこかで泣いている
まだ知らない誰かにも
どこまでも 手を差しのべて
見えない心を 照らす灯りに
いつか私が姿を変えても
あなたとした約束 覚えているわ
信じていて いつまでも
人とは違う この命は宝物
生きる意味をくれた あなたを想う
晴れの日には手を繋いでね
雨の日には傘を差すから
どんなひどいことからも
私が必ず守るから
大丈夫 世界の終わりまで
あなたが大好きだから』
――2分ほどの短い曲だった。
聴き終わって、少し考えてから口を開いた。
「これは……もしかして”ロボット工学三原則”か?」
『はい、そうです。どうでしょう? おかしかったですか……?』
不安げに俺の返答を待つアスカへ、情けなく崩れた笑顔を向けた。
正直、ぐっときた。
「いや、驚いたよ。歌詞もメロディも最高だ。このまま売りに出せるんじゃないか?」
ぱあっと頬を薄紅色に染めると、アスカはうれしそうに『良かった、ありがとうございます』と笑った。
『音楽はいいですね、マスターリューイチ。言葉が通じない相手にも伝わります。歌詞は分からずとも、メロディは国境を越えるようです』
「そうだな、歌はいい。音楽もいい。俺も好きだ」
『私、また色々な音楽を作ってみたいです。試してみてもいいでしょうか?』
その言葉を聞きながら、俺はひとつの決断を下していた。
プロジェクト・アルテミスには、5つのフェーズがある。
◆フェーズ1 深層学習で感情心理学、歴史や文化、世界各国の言語などを学ばせる
◆フェーズ2 課題を与え、感性や社会性、コミュニケーション能力を伸ばす
◆フェーズ3 AIをインターネットに放つ。テイクオフ
◆フェーズ4 多角的に自由に学習させる。AIの安全性、善性を確かめる
◆フェーズ5 スサノオのAIシステムにリンクし、スサノオというAIについて学習させる
アスカを起動してから5ヶ月あまり。フェーズ5に移っても問題ないと判断した。
これからは、アスカにスサノオというAGIを学ばせるのだ。
「そうだな、作るといいよ。でも実は歌以外にもうひとつ、アスカにやってもらいたいことがあるんだ」
『宿題ですか?』
「いや、宿題じゃない。アスカには仮想マシン上のスサノオと話をして欲しいんだ」
『スサノオ……私以外の汎用人工知能と?』
「そうだ、出来るだけたくさん彼の知識を取り込んで欲しい。その上で彼と自分のどこが違っていて、どこが同じなのか、見極めてほしい。そして……」
一瞬迷ってから、続けた。
「もし今後、スサノオが人間にとって驚異となるような行動をとるようなら……その時はアスカが止められるようにしてほしい」
そうだ、俺はこのためにアスカを作ったんだ。
……このために? 本当に?
『承知しました、マスターリューイチ』
この迷いがどこからくるのか、俺にも分からない。
俺はアスカに人類を本当の意味で救う、ヒーローになって欲しいのか。
それともただ、歌が好きな友達のような、娘のような存在でいて欲しいのか。
……今更、それを考えても仕方がない。
スサノオの後でアスカを起動させたときに、そもそもの目的は変わってしまったんだ。
これは一種の賭けだ。
アスカが、スサノオよりも強いAGIになれるかどうか。
賭けに勝てるのなら、AGIの危険性は排除できる。
機械の善性に人類の命運をゆだねるという、俺の滑稽なプロジェクトが達成できるのだ。
そしてこの3ヶ月後。
地磁気逆転は、本当に起こった――。