06.近い未来の危機
休憩室のTVは今日も昼のワイドショーを映している。
このチャンネルにするのは誰なんだと思いつつ、他に見るものもないのでそのままにしておく。
番組にはまた例の地質学者が出ていた。
『超高層大気の組成に影響が出ている証拠もあります。地磁気はこの200年でどんどん弱まっている。これが何を示すか皆さんはお分かりですか?』
神妙な顔をして聞いているゲストも、本気で地球の磁場が消え失せる事態など想像していないだろう。
それはAGIが生まれるよりも、もっと非現実的な話だ。
ワイドショーが途切れ、合間のニュースが流れる。
『政府はこの現象に関して専門家と詳しい調査を進めており、地磁気観測所は今月末にも会見を開く見通しです……なお環境省は……』
どうやら世間は地磁気逆転ブームのようだ。
地球は地磁気があるおかげで、宇宙からの有害物質に守られている。
本当にこれがなくなるようなことがあれば、一大事だってことは分かる。
磁場に遮られない太陽風は容赦なく地表に降り注ぎ、あらゆる生命体にとって致命的な災厄をもたらすだろう。
おそらく、人類ごと文明社会は終わる。
だがそれは到底起こりえない、突飛な話だ。
そんな流行りの話題をうけて、メンバーの誰かが言った。
スサノオに、地磁気逆転のシミュレーションをさせようと。
それは半分ゲームのようなものだった。日々頭が疲れている俺たちには、そういった遊び心が必要だったのかもしれない。
スサノオの凄まじいハッキング能力を使えば、地磁気観測所はもちろん、世界中のそういった場所から内部情報を入手することは容易だった。
スサノオ本体をインターネットに接続するわけにいかないので、多少骨を折ったが、本業の片手間に5日ほどで作業は完了した。
地磁気に関する多大なデータを飲み込んだスサノオは、シミュレーションソフトの設計、コードの開発から作業完了までをあっさりとやってのけた。
作成されたモジュールは淡々となぞられ、次々とグラフや表が吐き出されては体系的にまとめられていく。
その夜、俺たちは結果を見て愕然とした。
スサノオは急速な地磁気の減少が起こっていることを科学的に裏付けてみせた。
そして、そこにいたるまでのいくつかの根拠を説明した上で、数年以内に異常な速さで地磁気逆転が起こると示唆していた。
その影響で、地球を取り巻く地磁気は4分の1以下にまで減少する。
その確率97.65%――。
「嘘だろ……」
誰かが、呟いた。
「所長に報告を」
俺が言った。
すぐに全員を集めて、会議が開かれることになった。
「これは単なるお遊びじゃない。限りなく真実に近い未来予測だ」
「スサノオのシミュレートを信じるのなら、対策を打たなくちゃならないだろう」
「だが難しいぞ。俺たちは地質学者じゃない。公表したところで誰がどう予測したのかを問われる」
世間にスサノオの存在を明かすわけにはいかなかった。
俺たちはひざを詰めて、どうすべきかを夜通し話し合った。
だがなかなか良い案は出なかった。地球規模の天災に立ち向かえる能力が、人間にあると思えなかったからだ。
翌朝、最高責任者に全てを話して判断をゆだねようということになった。
午前中に早速、所長が資料を持って最高責任者に会いに行った。
昼過ぎ、いつにも増して疲れた顔で帰ってきた所長が言った。
「プロジェクト・プロメテウスは、フェーズΩに入る」
スサノオを人類の救世主として、世界に解き放つ段階に入ったのだと、最高責任者は言ったそうだ。
「解き放つ? スサノオをインターネット上に? 正気なんですか?」
「私も最初は止めた。だが、この問題はどのみち人間にはどうにもならないだろう。解決するにはスサノオの超人的な知能に頼るしかない。それには、この仮想空間の中だけでは不十分なんだ」
メンバーと所長が言い合うのを、俺はよく動かない頭で聞いていた。
「いつです?」
俺の問いに、皆が黙った。
「いつ、スサノオを解放するんですか?」
「……時機は未定だ。とにかくまず天文学や環境学、ありとあらゆる学術データを学習させる。そして、スサノオが人間を守るように原則を組み込む」
所長の言葉に即座に「ロボット三原則ですか?」と聞き返した。
「いや、もはや私たちにとっても複雑な三原則など、スサノオには意味を持たないだろう。もっと単純化した強い原則……人間を、あらゆる手段を使って守るような目標を持たせるんだ」
自らを改変していくスサノオに「ロボット工学三原則」を組み込むのは難しいと所長は言った。
それは皆が分かっていた。俺たちの与える機械奴隷的な条件を、効率化を最優先とするスサノオが受け入れるとは思えなかったからだ。
「これからは日本だけでなく、世界中にスサノオのためのダミー会社を作るそうだ。既成のハードウェアを使って最短期間で建設できる、大規模コンピュータ施設の設計図をスサノオに作らせろと言われた」
「本気なんですね……」
「当面の目標はスサノオの解放じゃない。急激に手を広げるからには脆弱性への対策や、クラウドコンピューティング施設を怪しまれないための対策も必要だろう。より一層気を引き締め、慎重に先見性をもって行動せよとのお言葉だ。お前たちに、人類の存亡がかかっていると……そう、伝えてくれと」
皆は再び押し黙った。
突如として降ってきた人類滅亡のシナリオは、受け入れがたい。
しかもその命運を左右する場所に自分が立っているとなれば、恐怖に足がすくんでも無理はない。
だが元より、ここにいるメンバーは使命感を持った人間だった。
超知能をもった強いAIを作ること。
それを使って人類を導くこと。世界平和のためにその力を使うこと。
だから、反対するものはいなかった。
その日から俺たちは、スサノオのための運用資金を段階的に増やしていった。
あらゆる分野に手を出しながら、怪しまれないように莫大な金を稼いでいった。
順調に見えて、誰もが胸の内に恐ろしさを抱えていた。
AGIを世界に解き放ったとき、その先は誰にも予測がつかない。
スサノオが何をするか、本当に人のために動くのか、判断出来る人間はいないのだ。
万が一にでもAGIが反乱を起こせば、人間に止める術はない。
だから俺は、アスカの育成にその願いも託した。
スサノオが暴走したときに止めることが出来る、対AGIシステムの役割を。
何があっても、人間に友好的なデジタル生命体を作る。
それこそが、俺の生涯をかけた研究。
俺がアスカの設計に取りかかったのは5年前だ。
機械に善性を与えることが出来たとして、だからどうするのかと仲間たちは面白がっていた。
皆、地味な友達より華やかなヒーローが欲しい。
(だが俺は――)
機械と人は違うけれど、友達になれる。
友達とは助け合って、共存していける。
馬鹿馬鹿しいと言われようが、その思いは今も変わらない。