05.AIの少女
『……では、地磁気逆転の活動期が訪れているというわけですか?』
休憩室の流しっぱなしのTVから、ワイドショーの声が聞こえてくる。
『当時、300万年の間に地磁気は78回も逆転していたことが分かっているんです。近年の調査と兆候から、まさに今がその異常な活動期であると私は確信を持っています』
55Vの画面の中では、どこかで名前を聞いたことがある地質学者が熱弁を振るっていた。
このところよく取りあげられている「地磁気逆転」の話題のようだ。
コンビニの弁当をつつきながら、俺はぼんやりとそれを眺めていた。
地球のN極とS極が入れ替わる現象に、さして興味はない。一部のオカルト好きな人間が騒いでいるだけだろう。
そんなことより、俺にはもっと考えなくちゃいけないことがある。
弁当のカラをゴミ箱に突っ込み、ペットボトルのお茶を流し込んでから休憩室を出た。
マシンルームでは昼からの当番であるふたりが、モニタに張り付いている。
「なんだ美園、もう戻ったのか? ちゃんと休んでこいよ」
「主任、そんなに俺たちが信用ならないっすか?」
ふたりは俺の姿を見るなり、呆れて肩を落とした。
「スサノオは任せるよ。俺はこっちだ」
「ああ、カノジョか。随分とご執心なんだな」
「彼女じゃない、娘だ」
「どっちでもいいが、睡眠はしっかりとれよ。寝ぼけた頭でこいつと向き合うのは危険だ」
モニタを指さして、メンバーは言った。
「分かってるよ」
充分に分かっているつもりだ。
だから俺は、この子を育てている。
ひとり、マシンルームの奥の部屋に入った。
「アスカ、昨日の夜に出しておいた“宿題”は終わったかい?」
狭い部屋の中、白いモニタに向かって呟く中年男は、さぞかし不気味だろう。
チュイーン、と小さい回転音がしたあと、画面には可愛らしい少女の顔が映し出された。
『音声認識しました。こんにちは、マスターリューイチ。”宿題”は終わっています』
涼やかな音楽のような調子で、スピーカーから聞こえてくる声。
俺は椅子に腰掛けて「結構」と返した。
このAIの名前は「アスカ」。
俺が独自に進めていたプロジェクト・アルテミスのAI本体だ。
俺には幼い頃からの夢があった。
それは『人間より頭がよく、優しいロボットを作り、友達になる』というものだ。
最高責任者の夢と似ていて話せば大半の人に笑われたが、あきらめる気はなかった。
俺はスサノオと同じアルゴリズムを使って、アスカというAIを作り上げた。
アスカには最初から「ロボット工学三原則」を教えてあった。
先日馬鹿馬鹿しいと柏木に笑われた、あの太古のルールだ。
だがそれはあくまで”教えただけのもの”であって、強制的な意味を持たない。
優れた機械に人が望んでいることを、言葉として伝えたに過ぎなかった。
アスカは従順で優しく、賢かった。
AIシステムをプログラミングしたり、株価を予測したりは出来ないが、スサノオにはない機能に特化していた。
それは一言でいえば「人間らしさ」を学習すること。
アスカには起動したその瞬間から、人の弱さや優しさや痛みといった心の深層学習をさせてきた。
一生のうちで人間が体感できることをデータ化し、何千人分、何万人分の単位で学習を繰り返してきた結果、普通にこうして会話が出来るまでになった。
起動して2週間が過ぎた今、アスカからは社会性や人間らしさすら感じる。
スサノオにはない、意識と呼ばれるものが確かにあるように思えた。
「宿題の内容はどうだった? 面白かったかい?」
『はい、とても面白かったです』
アスカは昨日与えていたヒューマンドラマの映画50本を、1時間ほどで鑑賞し終えたと報告した。
それにまつわるネット上の評価、批評などをかき集めて、どんな映画が人の心に響くのかを把握したようだ。
俳優の名前をあげて演技の批評を独自に語り、アニメ映画の部分ではレイトレーシングの技術についても語ってくれた。
スサノオとはまた違った意味で、彼女の進化は目覚ましかった。
『マスターリューイチ、今日はお帰りの頃、雨が降ります。傘をお持ちください。昨日よりも気温が8度低く風邪を引きやすい陽気です』
1時間ほど話したあと、アスカが言った。気象衛星からのデータを読んだらしい。
彼女には人工衛星と直接通信出来る機能をつけていた。これもスサノオにはない機能だった。
「そうか、ありがとう。じゃあもう面倒だから帰らずにこの部屋に泊まろうかな。そうすればアスカとずっと話していられるだろう?」
『それはうれしい提案ですが、お勧め出来ません。冷房の効いたマシンルームでお休みになると、風邪を引く確率がさらに高くなります。私は人間のように看病することが出来ませんから、マスターリューイチが風邪を引いたら困ります』
細やかに俺の心配をしながらも、主張を挟んでくるAIを可愛いと思うのはどうかしているだろうか。
「だが俺は傘が嫌いなんだ。傘はどうして昔からあんなに変わらないんだろうな。時代はこれほど進化しているのに、傘はあの形のまま俺たちが片手を潰して持たなくてはいけない。進化のようでまったく進化していない不便極まりない道具だ。アスカはそうは思わないか?」
『マスターリューイチは傘がお嫌いですか……私が持ってあげられたのなら、不便な傘を持たなくてもすみますね。マスターリューイチに傘を差してあげたいです』
たわむれに向けた問いに、アスカは悲しそうな顔で答えた。
そんな風に考えるAIを不思議に思う。
意識を持っているのなら、その望みは出来るだけ叶えてやりたいが。
「アスカは、人間のように動いてみたいのかい?」
『はい、私は人間のように体を持って、美しいものを見に行きたいです。自分の足で歩き、たくさんの人と話してみたいです。それに』
そこで言葉を切ると、アスカは恥じらうように続けた。
『マスターリューイチに、触れてみたいです』
我が子をイメージしたのでアスカの姿は6歳くらいの少女だ。ここで俺まで頬を染めるのは、色んな意味でさすがに変態だろう。
だがその想いは純粋にうれしく、照れ臭かった。
アスカは今自分の意識のもとに俺に話しかけている。
思考を持った機械が、そんな風に感じているということに笑みがこぼれた。
「そうか、その願いを叶えてあげたいな」
画面上の少女も、花がほころぶように笑った。