03.知能爆発
たとえばとんでもなく幸運で賢い研究者がいたとして。
そいつが人間と同じように学習するAIを作ったとする。
すると、なにが起きるか。
19世紀を生きた数学者のアーヴィング・J・グッドは、こう言った。
「超知能を持つ機械は、さらに優れた機械を設計できる」
AIは自ら、自分よりも優れたAIシステムをプログラミングできる、ということだ。
これにより、AIの知能は飛躍的に伸びると予想される。
「必然的に『知的爆発』が起き、人類の知能は大きく水をあけられることになる」
さらに彼はこう結んでいる。
「世界最初の超知能マシンが、人類最後の発明品になるだろう。ただし、そのマシンは従順で、自らの制御方法を我々に教えてくれるものでなければならない」
知的爆発、もしくは知能爆発。
AIが人類の知能を凌駕すること。
「やれるか、やれないか」の時機はとうに過ぎ去って、今俺たちは「やるか、やらないか」の岐路に立っている。
そのスタートを切ることに恐れを抱きつつも、研究者としての好奇心は止まることを許さない。
さらに「人類を救う」という使命感が、俺たちの背中を後押ししていた。
誰にも、超知能AGIを悪用させてはならない。
それを最初に生み出し、制御するのは他でもない、俺たちなのだ。
目の前には、広い作業デスクがあった。
中心には大きなモニタ。その背後にはさらに複数のモニタがひかえている。
それぞれが複雑な処理を行う、特製コンピュータに接続されていた。
「時間だ。はじめるぞ」
所長の声で、俺は「スサノオ」と名付けたプログラムを起動させた。
スサノオは「人工知能システムをプログラミングするためのAI」だ。
いくつかの偶然と幸運が重なり、俺たちはこの機能に特化したAIを作り出すことに成功していた。
他の機能についてはまだおぼつかなかったが、それは問題じゃない。
ひとたび起動すれば、スサノオは自らをよりよくプログラミングし直して、機能を向上させていくはずだった。
立ち上げは順調だった。
幾度も修正を経たプログラミングにほつれはなく、処理速度も上々だ。
最初は特別なことのない、小さな動きを繰り返していた。
だがほどなくして、スサノオは自身をアップデートするための作業に移っていった。
驚くことに、彼は自身の"再設計"をいとも簡単にやってのけた。
メンバー全員が数年かけて行うような処理を、スサノオは開始からたった3時間で終わらせてしまった。
留まることを知らない処理能力は加速を続ける。
そろそろ昼食をとろうか、と誰かが言い出すまでに、スサノオは2回の自己再設計を行っていた。
ファイルシステムにダウンロードした大量のデータが、次々と読み込まれていく。
大規模な図書館に匹敵する蔵書も、まだ開発中の最新プログラミング言語も。
その学習速度は凄まじく、俺たちが見守る間にもスサノオはアップデートをくり返し、その日の夜6時にはバージョン8.38になっていた。
「だめだ、もう計れない」
機械の性能を計るベンチマークは、1日目で使い物にならなくなった。
人間の知能指数に置き換えるのなら、IQ6,000を超えたことになる。
予想を大きく上回る状況だった。
知能爆発は今日、確かに俺たちの前で起こった。
スサノオはまさに神だった。
世界はよもや、日本がこれだけのAGIを開発したとは思わないだろう。誰もが人間レベルのAIが誕生するのはまだ先の話だと思っている。
それを思うだけでも興奮した。
俺たちは研究者として、最先端をリードしている。
「明日からは、プロジェクトの計画をフェーズ3に移行しよう。スサノオが出来ることを見極めなくては」
所長がそう言って、交代で仮眠を取ることになった。
夜間はスサノオをスリープモードに移行し、データの検証をしつつコンピュータ負荷を軽減するためのアイドルタイムを設ける予定だった。
だがスサノオは自らに最適な開発環境を整えるため、この無作業時間を捨てたらしい。
バージョン10.02の今、彼は不眠不休で自己を高めることにのみ注力していた。