6:悪魔祓い
前半パートは第三者視点となっております。後半パートはまた主人公に戻ります。
「やっと見えてきたっすね……疲れたぁ……早くビールを飲みたいっすよ」
その街は山脈の山々の間に広がる荒野の谷間に、まるで外界からその姿を隠すかのようにひっそりと存在していた。街の中心から外側に向かって放射状に伸びる大きな道が5つ。そしてそれからさらに左右に伸びる道沿いにびっしりと建物が連なっており、上から見れば、街全体が何か巨大な花のようにも見えた。
その異様を谷の上から見下ろしているのは、一人の青年と、細葉巻をくゆらす黒衣の男性だった。
「おーおー、あれがゴミと虫とネズミどもの巣か。思ってたよりも随分とデカいな。絶景絶景」
黒衣の男がそう言うと、まだ先が残っている細葉巻を投げ捨てた。その掘りの深い顔は、若い頃はさぞかし色男と持て囃されていただろう事が分かる。無数の傷と年月によって刻まれた皺が、その男が只者ではないという雰囲気を醸し出していた。
長い黒髪は後頭部で縛っており、身体には胸甲や脚甲と一体化したやけに物騒な見た目の神父服を身につけていた。腰の左右には剣を何本も差しており、首からは銀の十字架を何個もぶら下げている。
「迷宮都市ダイダロス! 凄いっすねえ。ジョンさん、僕達も悪魔祓いなんてやめて探索者やりません? 結構儲かるらしいですよ」
青年はというと、上質な布で作ってあると分かる、動きやすそうな服を身につけており、武器類は一切持っていなかった。唯一、腰のホルダーに聖書らしき分厚い本が取り付けられていた。
「お前は何も分かってねえなアンジェロ。あそこにいるのは全員が全員、悪魔の手のひらの上で踊っている哀れな人形だぞ。お前もそうなりたいのか?」
「……でも金は欲しいっすよ。というかジョンさん、なんで遠回りしてわざわざ谷の上に登ってまで街の全景を見ようと思ったんです? まるで、出来の悪い映画の悪役みたいっすよ。〝ついに……始まるぞ……〟とか思わせぶりな事セリフでも言うつもりですか?」
少し癖のある金髪の青年――アンジェロが冗談めかしてそう口にすると、ジョンが皮肉げに笑った。
「かはは……良いじゃねえか、悪役。あそこにいる連中は全員が邪教徒でクズだ。その中でも特にどうしようもねえゴミ虫を潰しに行くんだから――悪役が相応しいだろうさ」
「……例の預言、本当なんすかねえ」
「我らが聖女様がそう仰られたんだから、きっとそうなんだろ。まあご自慢の聖罸部隊を動かさない辺り、ムカつくがな。そんなに大層な預言なら俺らみたいな民間人に頼むんじゃねえよ」
そう吐き捨てたジョンが新しい細葉巻を取り出すと、澄んだ金属音と共に、銀の十字架が刻印されたジッポの蓋を開け、火を付けた。
「さて、行くか。まずは調査だ。ついでに迷宮に潜んでいる悪魔共も殺しにいくぞ。一体につき200万ガルドの追加報酬があるらしい」
「おお! 夢がある金額っすね! 了解っす! あ、言わないんですか、あのセリフ――〝悪魔狩りの始まりだ……〟みたいな。いや、〝ついに……始まるぞ……〟でしたっけ?」
「言わねえし、言った事もねえよ。そもそも何も始まらないように俺らが来たんだろうが。ふん、〝デーモンロードの凱旋〟なんてくだらねえ。きっちりばっちり二度と地上に出てこれねえように地獄に送り返してやる」
ジョンの言葉と共に、二人の気配が消えた。
谷の上には乾いた風が吹く、どこかもの悲しい音だけが響いていた。
☆☆☆
【迷宮都市ダイダロス】――探索者街、天秤通り。
俺は、馴染みの商店に来ていた。狭い店内には、迷宮産の素材やら何やらが積み重なっており、雑多な雰囲気を醸し出していた。
リズが物珍しそうに周囲をキョロキョロしている。ちなみにハウレスはまだ宿屋で寝ていた。あいつ、ガバガバ飲む癖に、実は結構酒に弱いんだよな。
俺はリズに朝まで付き合わされたおかげで寝不足だ。目をこすりつつ、昨日の探索で手に入れたドロップ品や装備品を取り出して、この店の店主である、カエルみたいな男――リックの前にあるカウンターへと置いた。
「調子が良さそうだな、トルネ。ついこないだまでスライム素材しか売りにこねえ、落ちこぼれだったのに」
「言ったろ、色々変わったんだ。仲間も出来たしな」
「美人が近くにいて羨ましいよ」
リックがリズを見てそう呟くと、俺が持ち込んだ物の検分を始めた。
「えー、どれどれ。ふむふむ、どれも質は悪くないな。全部で、4万ガルドと端数ってところか」
「おいおい、この剣なんて結構なランクだろ? ちと足下見過ぎだ」
俺は二階層で拾った剣――未鑑定なので、黒ずんでいてこのままだと使い物にならない――から何かしらの力を感じるので、高ランク品だと予想していた。
魔物のドロップ品には、その魔物の素材以外に、低確率ながらアイテムや装備品である場合もある。そういった物は全て未鑑定品で、そのままだと使い物にならないが、こうして街に持って帰ってきて鑑定出来る者に見てもらうと、それの価値が分かるのだ。
そしてアイテムや装備品にはランク付けがされており、ステータスと同様に、質が悪い順にZからSまでランクが割り振られていて、当然ランクが高いほど高く売れる。
ちなみにドロップ品は拾うと全て自動的に光となって専用のポーチに収納される。そしてそれは、取り出す時に再び元の形に具現化されるのだ。なので、1回の探索で剣を数十本とかを持ち帰る事が可能になる。
何とも便利な仕様だが、これも悪魔の力によって成立しているらしい。
ハウレスは何やらそれについて知っているようだが、教えてくれなかった。
「チッ……目敏いな。未鑑定なまま買い叩こうとしたのに。しゃあねえな」
リックが【商人】の専用アイテムである、【検分鏡】を剣へと使う。すると、黒ずんでいた剣が光り輝き――元の姿へと戻った。
それは赤い、まるで炎のような形をした刃の曲剣だった。柄には赤い宝石が埋めこまれており、中で火が踊っている。
「ほう……フレイムタンか。しかもランクはCだ。2階層でランクCは凄えな」
「ほらみろ。最低でも3万ガルドはするだろ」
「……じゃあ素材と合わせて8万ガルドぴったりでどうだ」
8万なら悪くないな。武器については、ハウレスに当分は銀のロングソードとメイスを使うようにと言われているので、このフレイムタンは手放す他ない。なので、リックの提示する金額で手を打とうとすると、背後からしゃがれた声が掛かった。
「あくどい商売はやめろと言ったじゃろ、リック」
俺が振り返るとそこには背の低い老人が立っていた。
探索者の装備をしており、白髪とその下にある小狡そうな顔を俺は良く知っていた。
「ブラス爺じゃねえか」
「久しぶりじゃな、トルネ。随分と最近……調子が良いらしいのお」
白髪の老人――ブラス爺がリズを見て、にやついていた。リズが露骨に嫌そうな顔をするので、俺は思わず笑ってしまう。
「まあな。それより、あくどいってどういうことだ?」
「そのフレイムタン、最低ランクでもトルネが言うように3万ガルドは下らん。そしてそれと素材を合わせて8万となると……素材が4万ガルドなのはともかくとして、Cランクのフレイムタンが4万は、買い叩きすぎじゃ」
リックが露骨に嫌な顔をするが、反論しない辺り本当なのだろう。ブラス爺はこのダイダロスの生き字引のような存在で、盗賊の癖に商人並の目利きが出来る。
「儂の見立てでは、最低でも一本6万ガルドじゃな。四階層へ向かう探索者なら倍の価格でも買うじゃろうし」
「わかったわかった。じゃあ、素材と合わせて11万ガルドでどうだ。これ以上は出せねえ」
リックが降参したかのように手を挙げた。商人との取引は基本的に騙される方が悪い、というのがこの街のルールだった。もちろん明らかな詐欺行為は厳しく取り締まられるので、その加減が商人の腕に直結するようだ。
俺はまだこの街に来て日にちが浅い。まだまだ舐められているのだろう。
「分かった。それで手を打とう。ついでにサラマンダーの火皮で防具を作りたいんで、2着分の手配を頼む」
「その分の手数料も、今回は無しにしとくさ」
リックがそう言って、手続きを始めた。一部の商人はリックのように加工屋を兼業しており、仕入れた素材で装備品を作ってくれる。
火蜥蜴の防火服さえ出来れば、2階層は突破可能だろう。
「ほらよ。明日には出来るからまた取りに来てくれ」
リックがそう言ってダイダロス内でのみ流通する紙幣で、11万ガルドを俺に手渡してきた。
「金貨にしてくれよ」
俺が不満そうにそう言うが、リックは首を横に振った。
「紙幣のが軽いし持ち歩きやすいだろ? これからはこっちが主流になるだろうから慣れておけ。使わないと商人ギルドに睨まれるんだよ、理解してくれ」
「分かったわかった。これで良いよ」
「ほら、ブラス爺、あんたはこれだろ」
もう俺に用はないとばかりにリックが、ブラス爺へと包みを渡した。
「ふむ……どれどれ」
ブラス爺が包みを開け、中の物を検分する。
それは、まさに今俺が手配した火蜥蜴の防火服だった。
「ブラス爺……あんた二階層行くのか」
「何を驚いておる。お前にだって行けたんじゃ。儂も行けるに決まっているじゃろ。――ふむ、やはり腕の良い職人を抱えておるな、リック」
ブラス爺は満足そうに服を包み直すと、上機嫌で去っていった。
俺もリズと一緒に店を出た。
この天秤通りには、探索者向けの商店がひしめいており、そこら中で探索者と商人による激しい戦いが繰り広げられている。
「トルネ様、防火服、私の分までありがとうございます」
リズがそう言って、律儀に頭を下げた。綺麗な黒髪がふわりと動いて、良い匂いがふと鼻をよぎる。
「いいよ、気にすんな。ハウレス曰く、俺らはそもそも必要ないみたいだから無駄になるかもしれないけどな」
「でも嬉しいですよ。そういえば、先ほどの老人は知り合いですか?」
一旦いつもの酒場に戻るべく、天秤通りを南下しながら会話を続ける。
「ん? ああブラス爺か。俺がこの街に来たばかりの頃に少し世話になっただけだよ。あの人は根っからの盗賊でな。そして1階層でしか活動せず、特定のパーティにも所属しない変わり者だよ」
「パーティに所属しない?」
リズが、通りにいる不躾な視線を送ってくるガラの悪い探索達を睨み返しながら俺に質問する。なんだか随分と気が強い性格になった気がするが、元々そういう子なのかもしれない。
「そう。あの爺さんは、誰よりも迷宮の怖さを知っているからな。1階層以下はリスクとリターンが釣り合わないってのが持論だそうだ。んで、どこのパーティも大体迷宮の踏破を目標にしているだろ? だからどこのパーティに入らず、1階層専門の先導や案内役をしているんだ。で、俺もその薫陶を受けて、1階層で細々依頼をこなしていたのさ」
「なるほど……。でも、どうやら私達同様に2階層に挑まれるようですね」
そうなんだよなあ。ブラス爺らしくない感じだ。
「きっと、トルネ様に刺激されたんですよ」
「俺に?」
「だって、どこに行っても言われるじゃないですか。あのトルネが2階層に挑んでいるのか……って。私が聞いた話では、探索者の約半数が、1階層すらも突破出来ずにいるそうですよ。だからこそ、みんな、1階層を突破したトルネ様に負けまいと張り切っているのではないでしょうか」
探索者の半数が~ってのは有名な話だ。1階層の階層主であるオーガを倒すのは、そう簡単な事ではないのだ。実情で言えば、流石にもう少しいると思うけどね。
最近は1階層については先人の努力によって攻略法が確立されつつある。突破率が7割を上回るのも時間の問題だろう。
「ま、張り切るのは結構だが、それで無茶したら何の意味もない」
俺がそう言うと、リズが小さく笑った。
「ふふふ……なんだかんだ言って、トルネ様はお人好しですね。私を助けた事も含め」
「あれは……まあ」
ただの気紛れだったと俺は思っているけど、それをリズがどう感じるかがまた別だ。
「哀れな女を放っておけなかった?」
リズが悪戯っぽい笑みを浮かべながら俺の顔を覗きこむ。その縦長の瞳孔がネコのように細められ、俺は昨夜の事を思い出した。やれやれ、リズは悪魔は悪魔でも、小悪魔の類いらしい。
「……あいつらが嫌いだっただけだよ」
「それは同意します」
俺とリズはお互いに悪い顔をすると、笑いながら【廻るドラム亭】へと向かった。
その時、俺は前から歩いて来る二人組の男に妙な違和感を覚えた。
「……臭えな。邪教徒共のゲロみてえな臭いがプンプンしやがる」
「あんまり大声でそういう事を言わないで欲しいっす……誰が聞いてるか分かんないっすよ」
「知るかよ――おっと、すまない」
黒衣の男がたまたま手がぶつかった俺に謝ってきた。
「いや、俺も見てなかった。気にしないでくれ」
「ほら、ジョンさん、ダメっすよ余所見したら」
「分かってるよ。では、失礼」
黒衣の男は頭を少し下げるとそのまま去っていった。
「どうしたのですかトルネ様」
男の去っていく方へと、振り向いてそのまま立ち止まっていた俺に、リズが怪訝そうな声を掛ける。
俺はあの男に当たった手に妙な痛みを感じ、その手を顔の前へと上げた。
「……あいつ、なにもんだ?」
その手を見て、俺は思わずそう呟いてしまった。
なぜなら――
俺の手は、なぜか火傷をしたような痕があり、そこから微かに煙が上がっていたからだ。
それが、後に俺の因縁の相手となる男――ジョン・オンスタインとの初の遭遇だった。
新キャラ登場です。ジョン・コンスタンティンを直近で見た影響が出ている可能性は大です。
ちなみに、この世界はわりと文明が進んでいるので中世ではなく近世~現世ぐらいの文明のイメージですかね。ダイダロス自体は辺境の地にありますが、世界中から人々が移住してきています。
次話から2階層攻略開始、そしてまたぞろ何やら巻き込まれるみたいようです。