4:悪魔の取引
少し、ハードな描写があります。苦手な方はご注意ください
【監獄迷宮パンデモニウム】――第2階層B6F〝その炎は導きの光か破滅の予兆か〟
「なんで先に進まないんだよ~。いい加減サラマンダー狩りも飽きたぞ」
高温の蒸気が噴き出す穴を避けて、俺はハウレスと共にゴツゴツとした岩肌の通路を進んでいた。時折現れる、赤い燃える鱗を持つトカゲのような魔物――サラマンダーをメイスで叩き潰しつつ、ドロップ品である【火蜥蜴の火皮】を集める。そろそろ、20枚ぐらいは集まったか?
竜系の魔物は斬撃に耐性があるので、メイスが良く効くので助かる。
この2階層は1階層の洞窟の続きといった感じだが、それに熱のギミックがプラスされている。現れる魔物も火属性の物が多い。さらにB7Fからは溶岩地帯も増えてくるので、炎対策は必須なのだ。
俺は、一部だけ銀のメイルで補強しているだけの防具しか装備していない。武器は問題ないが、防具は正直言うとかなり不安だ。なのでこのB6Fでサラマンダーの素材を集めて火属性と熱気に耐性がある防具を作ることにしたのだ。
どうもそれは2階層に来た探索者なら誰もが通る道、らしい。
「あたしなんて裸で溶岩に入っても平気だぜ?」
「お前と俺を一緒にするな……」
火属性の権化みたいなハウレスならともかくにわか悪魔の俺がしたら死ぬだろそれ。
「でも、お前も人間とは比較にならないぐらいには耐性がもうすでにあるんだぞ? いらねえと思うがなあ」
「俺は用心深いんだよ。なんせ、ついこないだまではB2Fすら怖くていかなかった男だぞ」
「まあ、そういう用意周到な感じは悪魔っぽくて嫌いじゃないけどさ。つーかさお前、B1Fまでしか潜ったことがないのに、やたら迷宮の事とか、攻略方法とかに詳しいよな」
ハウレスが何気なくそう聞いてくる。
「……昔、そういう情報を頼んでもいないのに教えてくれるお節介な奴がいてな。それを覚えているだけだよ」
「なんだ、お前にも仲間がいたんじゃねえか」
「いや、ただの友人……だった」
「死んだのか」
「ああ。あっさりとな」
今でも、時々あいつの顔が脳裏をよぎる。もしあいつが生きていたら……俺も変わっていたかもしれないな。
「迷宮に潜ってりゃそういうことはよくある。だから友情ごっこも愛情ごっこも止めておくに限るぜ。ま、あたしは死なねえから心配すんなよ」
やっぱりハウレスは良い奴だ。ま、悪魔だけどね……。
目の前に現れたサラマンダーを倒し得られた経験値で、俺はようやくレベルが6に上がり、ステータスを確認した。
***
名前 :トルネ
種族 :悪魔
ジョブ:悪魔騎士
レベル: 6
体力 :520 ランクD
筋力 :638 ランクC
耐久 :576 ランクD
敏捷 :432 ランクE
魔力 :638 ランクC
スキル
・【デモリッシュ】
・【黒の衝動】
・【サモンデーモン】
・【コントラクト・ヒール】(NEW)
称号
・聖職者殺し
***
力と魔力が既にCランクだ。この感じだと、極一部の探索者しか体験したことがないSランクも近いかもしれない。
それよりも気になるスキルを覚えた。
【コントラクト・ヒール】
対象のあらゆる傷を癒やし、消費したマナとスタミナを最大まで回復させる。さらにその探索中のみ全ステータスに上昇補正が掛け、状態異常、呪い、デバフ等を全てを解除する。
【使用条件】:対象者はこのスキルの使用者に対価を差し出さなければならない。使用者と対象者の間で取引が成立した場合のみ、発動する。使用者は自身をこのスキルの対象に出来ず、また対象者の差し出す対価が効果に釣り合わない場合は使用者自身の何かが犠牲になる。
……なんだこれめちゃくちゃ強いぞ。効果だけで言えば、正直言うと反則レベルだ。全回復だけでも凄いのにデバフ解除に全ステータスにバフなんて、僧侶の魔術やスキルの良いとこ取りだ。
だが、流石は悪魔のスキル。きっちりその効果分の対価は取るようだ。しかも俺は俺自身に使えない。更に俺が相手に求める対価を安くしてしまうと、俺の何かが犠牲になるという。
まあ、その条件がないと仲間に実質使い放題だもんな……。対価は1ガルドで~とか言ってさ。とにかく、ハウレスに使う機会は今のところなさそうなので、このスキルはしばらくは封印しておこう。
俺は気を取り直して、通路の先を進む。
この2階層からは罠も設置されているし、地形ギミックもある。探索者の死因の7割は階層主ではなく道中の魔物や罠、ギミックだそうだ。
なので例えステータスが高くても、油断して良い理由にはならない。
俺は早速、通路の床に不自然な出っ張りを見付けて、慎重にそれを避ける……が。
「お、なんだこれ」
ハウレスが嬉しそうにそれをわざと踏んだ。
「っ!! だからそれは止めっ――うわあああ!!」
俺が叫ぶと同時に、通路の前後を浮遊する火の玉が埋め尽くした。
「おー! 魔物召喚の罠か! かはは、しかもウィル・オ・ウィスプとはまたえげつないトラップだな。考えた奴は悪魔かよ」
「解説ありがとう! でもわざわざ踏むな馬鹿!」
ウィル・オ・ウィスプはこの2階層全てで出現する魔物だが、強さ自体は大した事はない。だが、厄介なのは――
「おらあ!」
ハウレスの蹴りによって、一撃でウィル・オ・ウィスプが死ぬと――小規模の爆発を起きた。
ウィル・オ・ウィスプは絶命時に爆発を起こす魔物で、それを止める術はこの時点の探索者にはほぼない。よって遠距離攻撃や魔術で、遠くから倒す他ないのだが……何をしてるんだこの馬鹿悪魔は!
爆発の範囲から逃れる為に俺は全力で前へと走る。ウィル・オ・ウィスプの爆発が更に別のウィル・オ・ウィスプに連鎖して通路が爆炎で埋め尽くされた。俺は背中でその爆風を受けつつ前へと飛んで、ゴロゴロと地面を転がって通路の先の部屋へと避難する。
幸い耐性があるおかげで痛くはないけど、心臓に悪い!
俺が顔を上げるとその部屋には3人の探索者がいて、壁際に座って休憩をしている。
そして俺はその顔に見覚えがあった。嫌な思い出が脳裏をよぎった。
「ん? 今の爆破はなんだ? って誰だあいつ」
「おい! ここは俺達【銀の竜】が使っている! さっさ違うルートを行け!」
「いや、待て……あいつは」
そう言って立ち上がったのは、軽鎧を身に纏い、腰に剣を差した男――【剣士】だ。
そして剣士につられて立ち上がったのは、大きなシールドと剣を装備した騎士に、両手にナックルを嵌めた【格闘家】。
この構成、やっぱり俺を散々馬鹿にしてパーティ加入を断った、【銀の竜】の連中だ。
だが、確かあと1人、紅一点の【魔術師】の女がいたはずだが……。
俺は立ち上がると右手をさりげなく銀のロングソードの柄へと添えつつ、3人を観察する。そういえば、ハウレスがついてきていないな。
「お前は――おいおいおい、黒騎士のトルネじゃねえか」
確かこのパーティのリーダーである剣士がそんな事を言いだした。一応覚えていてくれたようだが……忘れとけよ。
「何、お前一人? どうやってここまで?」
「……何でも良いだろ。あんたらどっちの通路に行くんだ?」
俺は冷たくそう返事しながら、その部屋の中を観察する。俺は北の通路から入ってきたのだが、それとは別に東と南、それぞれに通路が伸びている。
探索者同士の間にある暗黙の了解の1つに、ルート取りは早い者勝ちというものがある。
例えば部屋から伸びる通路が複数あるとすると、先に部屋に着いた方が、どちらに進むか選べるのだ。そして選ばれた通路は譲らなければならない。当然、通路が1つしかなければ、引き返す羽目になる。
同じルートで複数のパーティが進むとトラブルが増えるので、それを回避する為のルールだ。
「俺らは東の通路から来た。で、南か北のどっちに行くか迷っていたが……お前の来た道を行くのもしゃくだ、だから南に行くとしよう」
「そうか。邪魔したな」
「おいおいおい……待てよトルネ。なんだよ、つれねえな」
剣士がやけに親しげに声を掛けてくる。その視線は俺の装備と剣に向けられていた。
「そうだ、お前、こないだ俺のパーティに入りたいって頭下げてたよな? 今日はたまたま枠が空いているぜ? もっかい頭下げたら入れてやるよ。それにお前、良い剣を持ってるな。それ、俺に寄こせよ。心配しなくてもクソ騎士……失礼黒騎士を戦力としてアテにはしてねえから」
にやつきながら、そうのたまう剣士に対して黒い怒りが湧くが、俺は邪念を振り払う。
正当防衛以外の探索者殺しは、大罪と言われている。ただし、迷宮内はほぼ治外法権なので、したとしてもバレる事は殆どない。
だから人の命は……迷宮内においては銅貨より軽いのだ。俺はこいつらを斬り殺したい衝動に駆られるが、我慢する。
……こんなクズ共のせいで、リスクを負うのは馬鹿らしい。
「……俺は東の通路を進む。じゃあな」
こいつらが通ってきた道を行くのは少し嫌だが、元来た道を戻るのは非効率的だ。
俺が剣士を無視して通路へと進むと、俺の背中に声が掛かる。
しつこいやつらだ。
「あー、そういや、そっちの先に……クソ女がいるが……生きてれば、お前も使っていいぞ」
下卑た笑いが後ろで起こった。
使う?
「……そういえば枠が空いたと言ったな。あの魔術師は死んだのか?」
探索中にパーティの枠が減るなんて、メンバーの死亡以外は考えにくい。一人欠けるだけで戦力は大幅にダウンするので、パーティを分けて行動することはほぼないからだ。下層では時々、メンバーが欠けた複数のパーティが一時的にパーティを組む事もあるそうだが……。
だけど……こいつらの態度や余裕さを見る限り……メンバーが欠けたという感じがしない
どちからといえば――捨てた、という言葉がしっくりとくる。
「いやなに……ほら、お前も男だから分かると思うが……魔物をぶっ殺すのって妙に快感になるだろ? あれが続くとさ、だんだん興奮してくるんだよなあ。だから、ちと休憩がてらに、解消しようとしたんだが……あのクソ女は何を勘違いしたが、拒否しやがってな」
「くくく……馬鹿だよなあ。何の為に女をパーティに入れていると思っているんだか。そういやあいつ、なんて言ってたっけ?」
騎士が嘲るようにそう言うと、格闘家が下品な声まねをした。
「〝そんなにヤリたいなら、サラマンダーにでも腰を振っててください!〟だろ?」
「ぎゃはは! お前、声まね似てるな!」
……最低なクズ共だ。
「ま、そういうわけで、ちとお仕置きしてやったわけよ。手足の腱も不運な事故で斬れちまったし……まあ、生きて帰るのは無理だろうな。だから、言ったろ? 欲しけりゃくれてやるし、好きなだけ使っていいと。もし死んでてもまだ使えるだろ!」
俺は、不愉快極まりないクズ共の笑い声を無視して通路を進んでいく。
心の中で冷たい炎が灯っているのを感じた。別に俺が何かされたわけでもない。あの女魔術師に縁もゆかりもない。
だけどあいつらは探索者として、最低で最悪だ。
通路の先には、小さな部屋があった。微かに匂うのは、血と獣欲の残り香。
通路の壁際に、あの女魔術師が倒れていた。破られた服が散乱しており、血が周囲に飛び散っている。脇には折られた魔術師用の杖が捨てられている。
俺が近付くと女魔術師が顔を上げた。酷く殴られたのか、前見た時の、あの理知的な顔は腫れ上がり、涙とよだれでぐちゃぐちゃになっていた。
「た……すけて……お願い……」
かすれた声で助けを求め、俺を見つめる。手足はおそらくあの剣士に斬られたのか、折られたのか。不自然な方向に曲がっており、血が出ていた。
裸体から俺は目を逸らし、彼女の青い瞳をまっすぐに見つめた。
「……君は、辛辣な意見を口にしたが……あいつらとは違って決して俺を馬鹿にしなかったよな」
俺がそう言うと、女魔術師が目を見開いた。どうやら俺の顔を覚えていたようだ。
「……君……は!」
「悪いが、俺は回復系のスキルも魔術もない。だからあんたを助けることは出来――いや出来るか」
俺はそこで、【コントラクト・ヒール】の存在を思い出した。
彼女が助かる術はある。だが――それが使えるかどうかは……彼女次第だ。
「おね……がい! 助け……て……! 死にたくない……いや死んでもいいから……あいつらを殺して……」
その青い瞳の中に、俺は黒い炎を見た。
そうだよな。そりゃあそうだよな。悔しいだろうさ。他人事である俺ですら、腸が煮えくりかえりそうなほどだ。
俺だって、あいつらと大して変わらないクズなのにな。
「――君、名前は」
「……リズ」
「リズ――取引をしよう。その傷も治す。そしてあいつらを殺す機会も与える。だけど君はその対価に何を差し出せる?」
俺の言葉を聞いて、リズは即答した。
「――命」
俺は思わず笑ってしまった。凄い女性だ。
迷わず命、と答えられる奴は中々いないだろう。俺だってできない。
対価としては十分だろうさ。
俺は【コントラクト・ヒール】を使っても良いかと思い始めた時に――
「かはは! 面白い女だ、気に入ったよ。だけどなトルネ。それが対価じゃ面白くねえぞ」
ずっと消えていたハウレスが通路から現れた。
「あれ? あいつらは?」
「ん? ああ、あいつらなら南に進んだぞ。それより、女。命を差し出すのは安易でつまらねえぞ」
そう言ってハウレスがしゃがむと、リズを睨んだ。
「対価は死なないようなやつにしろ。せっかく助けたのに、そのあと死ぬなんて全然つまらねえ。生きてあがいて、一生――復讐の灰に苛まされろよ」
ハウレスの言葉にリズが叫ぶ。
「じゃあ……何がいいのよ! 何でも良いわ! 私の金でも身体でも! あんたの下僕にでも娼婦にでもなってやる!!」
「じゃあ、その中だと下僕だな。どうだトルネ。魔術師の下僕は中々に役に立つぞ。どうせ使うなら……自分にプラスになるように使うのがコツだ」
「流石は悪魔の先輩だ」
「任せとけよ。取引はあたしらの得意分野だ」
ハウレスは笑いながら立ち上がると、俺の肩をポンと叩いた。
「あとはマスターに任せる。くくく……楽しくなってきたな」
俺は改めてリズに向き直ると、取引内容を口にした。
「君の傷を完全に治して更にバフまで掛けてやる。あいつらへの復讐も手伝ってやる。その代わり、俺の下僕になる。それでいいか?」
「――それでいい。私は……絶対にあいつらを……許さない」
リズが力強く頷いた。その瞬間に俺の中で、スキルの効果に対価が釣り合っているという確信を得られた。そして自然とその言葉を口にする
「ならば、取引成立だ――【コントラクト・ヒール】」
俺の手から黒い光があふれ、リズの身体を包む。
光が消えると――リズが立ち上がった。破れた服や杖まで直っている辺り、このスキルの万能さを物語っている。
リズは後髪でまとめていた綺麗な黒髪を解き、杖を握り直す。ふわりと広がった長い黒髪が、俺には悪魔の翼めいたものに見えた。
その青い瞳の中は黒く燃え滾っている。
「――行きましょうか……えっと、そういえばなんと呼べば?」
「ん? ああ、トルネで良いよ」
俺がそう言うとリズは微笑みながら、口を開いた。
「では、トルネ様。あいつらを――殺しにいきましょう。ふふふ……不思議ですね。今なら……階層主も1人で殺せそうなほど絶好調です」
その笑顔は――怖いぐらいに美しかった。
迷宮内は治外法権で、力が全てを左右する世界です。強くなればなるほど、理性が少しずつ摩耗していくのでしょうね。
クズや悪人、外道がのうのうと生きて、のさばっている場所なので、女性の探索者はやはり少ないようです。ちなみに街に関しては、逆にガチガチに法律やルールが定められているので、犯罪率は非常に低いとか。街では良い奴だからといって信じると……痛い目を見るかもしれませんね。
次話で、リズさんの復讐が始まります。主人公も個人的な恨みはありますが……