3:迷宮のみぞ知る
二階層へと続く階段に、張られていた結界が消えるも俺は動けずにいた。
「……あー」
「んだよ、ぼけーっとして。ははーん、さてはあたしの美しさに惚れちまったな?」
「いや」
「違うのかよ。そこは嘘でも、そうですって言っとけよ」
「【サモンデーモン】で召喚された……んだよな?」
いや、悪魔的な強さであることは確かだが、あまりになんというか……規格外な存在すぎて、どうしたらいいか分からない。
「おいおい、自分で喚んでおいてそれはねえだろ。まあいいや、んで、何が欲しいんだ?」
ん? 欲しい? どういうことだ?
「あん? 悪魔を喚び出すってことは、そういうことだろ? クソ坊主を殺してでもあたしを喚んだんだ。欲しいのは力か? 金か? 名声か? それとも――女か?」
ハウレスが意地の悪そうな表情を浮かべ、俺を見つめた。露出値の高い服から覗く谷間や太ももが艶めかしい。しなやかな肉体に、獣のような耳と尻尾が妙に扇情的で似合っていた。
生唾を飲み込む音がやけに大きく響く。
だけど俺の脳内には色気よりも、もっと暗い、陰鬱とした感情が支配していた。
何が欲しいと言われると、全部欲しいが答えになる。金も力も名声も女も全部欲しい。だがそれは――迷宮さえ踏破出来れば嫌でもついてくるものだ。
しかしこの迷宮は1人で踏破できるほど甘い場所ではない。だから探索者は皆――パーティを組む。
だけど、俺は怖くなっていた。ずっとパーティ加入を断られ続け、無能やゴミ扱いされた。やっと組めたと思ったらクズばかりのパーティで、拷問まがいなことをされ、殺されかけた。
パーティってなんだ。仲間ってなんだ。いくら俺が強くなっても、またあのイリスの表情と同じ、まるで悪鬼を見たかのような顔をされるのだろうか。
怖いんだ。拒絶されるのが――恐怖なのだ。
だから。
だから俺は――
「……なあ。俺の命令は絶対なのか」
俺の言葉に、ハウレスの頭部に生えた耳がピクリと動いた。
「言葉に気を付けろよマスター。あたし達悪魔は、小間使いじゃないんだぜ? つまらねえ願いなら、それはマスターごと燃やしてやるよ」
そう言ってハウレスが手のひらの上に、あのオーガを一撃で倒した黒炎を灯した。
しかし、不思議と怖くなかった。
「ハウレス――俺の仲間になってくれ。命令はしない、好きにしてくれていい。ただ、俺の迷宮攻略を手伝って欲しいんだ」
なぜか、ハウレスなら裏切らないと俺は確信していた。俺が召喚主だからかもしれない。それに根拠は何もないのだけれど……俺は何か予感めいたものを感じていたのだ。ハウレスは――きっと俺に協力してくれると。
「……かはは、面白え。金でも力でも名声でも女でもなく――仲間かしかも好きに動いて良いときた。よっぽどの馬鹿じゃねえとそんな願いはしないぜ?」
「馬鹿なんだよ。それにもう人は信じられないんだ」
「くくく……それで悪魔を頼るのは本末転倒だろうが……でもまあ、悪くない。全然悪くない。なんせあたしは退屈してたからな! それにこの迷宮なら……都合がいい」
ハウレスが耳をピクピク動かしながら俺の横に立つと、腕を俺の肩へと回して、ぐいっと引き寄せた。
怖いぐらいに整った顔がすぐ目の前に迫る。
「嫌と言っても、最後まで付き合ってやるよマスター。このハウレス様がついたからには百人力だ……おら、顔が近いぞ、離れろ」
自分で引き寄せといて、何とも理不尽な物言いをするハウレスだった。
俺が、力の抜けたハウレスの腕から抜けると、彼女はパンパンと手を叩いた。
「さって。じゃあ、サクッと迷宮攻略しようぜ。助けてやりてえ奴らもいるしな。しかしそうなると……流石にあたし1人じゃちと厳しいか。マスター、さっさと他の悪魔も喚ぼうぜ?」
「他もいるのか?」
「当たり前だろ。あー、でもあれか。レベルを上げねえとな。だが、マスターは本当に運が良い。初手であたしを引くなんて神がかり的な運の良さで、そしてとんでもないロクデナシだ。まあ、神なんてクソ食らえだし、聖職者殺しを忌避するのは人間だけだしな」
そう言って、ハウレスがスタスタと二階層へと続く階段へと向かっていく。細い尻尾が左右に上機嫌に揺れていた。
その後姿を見て、俺はようやく何かを成し遂げたという実感が湧いてきた。
第二階層の【入口の間】に着くと俺はハウレスに言われ、ステータスとスキルの詳細を改めて確認した。
***
名前 :トルネ
種族 :悪魔
ジョブ:悪魔騎士
レベル: 5
体力 :475 ランクE
筋力 :590 ランクD
耐久 :530 ランクD
敏捷 :390 ランクF
魔力 :590 ランクD
スキル
・【デモリッシュ】
・【黒の衝動】
・【サモンデーモン】
称号
・聖職者殺し
スキル詳細
【黒の衝動】
ユニークスキル。使用者の感情が負の方向に高ぶるか、一定以上のダメージを喰らうと発動。一定時間、全ステータスに上昇補正が掛かるが、使用者の理性が一時的に麻痺し、普段よりも破壊的かつ凶暴な行為を行いやすい。
【サモンデーモン】
悪魔騎士固有スキル。【原始の悪魔】のうちの一体をランダムで召喚する。ただし、召喚する為にいくつか条件がある悪魔は、条件を満たさない限りは召喚されない。一度使うと、レベルが5以上アップしないと再度使用することができない。最大使用回数は3回。3回目の発動と共にこのスキルは自動消去される。
称号詳細
【聖職者殺し】
聖職者系ジョブの人間を2人以上殺すと取得。聖職者系ジョブへの攻撃に上昇補正が掛かるが、聖属性に対する耐性が弱化する。<生臭坊主を殺す事こそが、救いへの第一歩である ~炎豹の悪魔ハウレス~>
***
「なるほど……レベル上げろってのはそう言うことか」
どうやらサモンデーモンは、使用制限があるスキルのようだ。
「そういうこった。あと2回しか使えないから、さっさと15まで上げて残り2人を喚ぼうぜ」
「そう簡単に言うなよ。階層主倒してもレベルが上がらなかったんだぞ」
「あー。ま、あたしがいるし、心配するな!」
そう、ハウレスが笑うと俺の肩をバンバンと叩いた。
「しかし【黒の衝動】か……」
レーゼとガムドを殺してしまったのもそのせいか。
でも恐ろしいのが……それを俺は全く後悔していないし、罪の意識もない点だ。
俺は……どうなってしまったんだ。少なくとも正当防衛とはいえ、人を殺して平然といられるような人間ではなかったはずだ。
「答えが出てるじゃねえかよ。マスター、あんたは人間じゃないんだよ」
「……悪魔か」
「そういうこった。まあ今後は【デモリッシュ】を使って人間に戻るのは止めとくことだな。罪の意識でやられちまうぞ……心が」
「肝に銘じておくよ」
「そうしろそうしろ。とりあえず、聖職者を見掛けたら先制攻撃でぶっ殺しておけよ。なんせあたしらは唯一あいつらに弱いからな。あと、あたしは水とか氷とかそういうの苦手なんでそこんとこよろしく」
そういえば、悪魔は自身の属性の反対となる属性――例えば、火属性らしきハウレスの場合は水・氷系、が苦手だったっけ。
「ま、格下なら問題ないけどな。お、あそこに僧侶がいるぞ。殺しておくか」
そう言ってハウレスが、2階層の【入口の間】にいた違うパーティの僧侶へと殺気を向けた。
「アホか! 他の探索者を殺すとかなし!」
「えー。魔物倒すより経験値効率が良いんだぞ? 悪魔の由緒正しきレベルの上げ方だ」
「ダメだ!」
「ちぇー」
拗ねたような顔をするが、おそらく半分は冗談で、半分は本気だと分かる。
俺は気を引き締めなければならないと思った。ハウレスは確かに強い。ステータスは謎だが、オーガを一発で倒すぐらいだ、相当な強さとレベルだろう。
だが、劇物だ。
彼女を暴走させない為にも俺がしっかりやらないと。
「さあ、ガンガンいこうぜ! 今日中に4階層まで一気に行くか!」
楽しそうなハウレスの声に、周囲の探索達が好奇の目線を向ける。しかし、彼女はそんな物は気にしない。
「いや――戻るよ」
「はあああああ!? なんでだよーいこーぜー」
俺には1階層でやり残した事がある。
イリスの顔が頭にちらついて離れないのだ。護衛が死んだ今、おそらく彼女一人ではよほど運がない限り生還は果たせないだろう。
だが、もし彼女が運良く地上に戻れて……またあの酒場で会ったら、街ですれ違ったら。
俺は正気でいられる気がしなかった。
だから――俺は彼女を探さねばならない。殺すかどうかはともかくとして。
ハウレスが俺の後ろについてくるのを感じながら、俺は1階層へと一方通行ながらも戻れる通路を見付けて、そこを進んでいく。
「せっかくボスを倒したのに、また倒すのか? 流石に今のマスターのステータスじゃ、ソロはちと厳しいぜ?」
「いや……ちょっとね」
俺は1階層に戻ると、俺がイリス達に襲われた部屋へと戻った。レーゼ達の武器や防具はまだ落ちたままだ。流石にここにはいないか。
「んだよ、まさかわざわざこれを取りに来たのか? そりゃあ装備は重要だけどよ」
俺はメイスを拾い、ずっと持っていた銀のロングソードを落ちていた鞘に納め、両方を左右の腰に差した。
盾はいらないとして、サイズの合わない銀のメイルは分解して、サイズの合う脚甲、腕甲、胸甲だけを身に付けた。最低限これで守れるだろう。
「はは、中々、様になっているじゃねえか。まあ銀なのが気に食わないが……使っているうちに変わるだろうさ」
「変わる?」
「銀にはそういう特性があるんだ。まあ使っていれば分かる。武器も当分その2つで事足りるな」
「うん。じゃあ行こう」
「今度はどこに?」
俺は答えずに、そこから、1階層の【入口の間】へと戻る道を進んでいく。まだ、どこかにいるはずだ。
しばらく進むと、横の通路の方で悲鳴が上がっていた。
「た、助けて!! 誰か!!」
見ればそこで、僧侶の少女がゴブリンの群れに襲われている。棍棒で滅多打ちにされており、頭からは血が出ているし、顔も原型が分からないほど、酷い有様になっていた。
だが、その服と声に俺は覚えがあった。
「よお……イリス」
「ひ、ひいい!! やめて……お願い!! 許して!! 助けて!!」
イリスが怯えたような声を出すと同時に、ゴブリンが獲物を横取りされると思ったのか俺へと襲いかかってくる。
俺はロングソードとメイスをそれぞれの手に持つと、迫るゴブリン達へとそれらを薙ぎ払っていく。
「はん、あたしの出る幕もねえな」
ハウレスの独り言と共に、ゴブリン達が全滅。経験値の光が俺とイリスへと吸われていく。ふむ、どうやらハウレスには経験値が入らないようだ。その辺りも後で聞いておかないとな。
「あ……あああ……やめて……こないで……!!」
怯えるイリスの目には、かつてのあの嗜虐的な光はなく、恐怖しか映っていない。
「お願い……許して! レーゼもガムドも死んで、私一人じゃとてもじゃないけど、街には帰れないの! 足もさっきゴブリンに折られたし、魔力も切れてしまってもう回復魔術も使えないの!」
必死の形相で懇願してくるイリスに対し、心の奥で黒い炎が灯りかける。
イリスを見つめていたハウレスが邪悪な笑みを浮かべ、こう言った。
「なるほど……大体察したぜ。だからマスターはあたしを召喚出来たのか……。ってことは、そいつ多分クズだろ。目を見れば大体わかる」
「ああ。とんでもないクズだ。おそらく、手口からして何人も殺している」
「いや……違うわ……殺したのはレーゼ達よ! 私はただ回復要員として連れ回されていただけ!」
「そうなのか、イリス様? 嘘をつく余裕はまだあるみたいだが」
俺はくるりとイリスへと背を向けると、その場から立ち去ろうとした。
「いや……待って……違うの! お願い! なんでもするから! 置いていかないで!! もうゴブリンは嫌! 迷宮も嫌!」
そう言って、イリスが金貨の入った袋を差し出してきた。
「それは……俺の正当の報酬だろうが」
「じゃ、じゃあ戻ったらもっとあげるから! ね!?」
泣き顔で懇願するイリスを無視してハウレスが俺へと問いかける。
「どうするんだマスター。あたしがやってもいいぜ?」
「いや、いいよ、ハウレス。〝迷宮内でのいざこざは迷宮内で済ませろ〟っていう探索者の格言があってな。だからもし彼女が無事、街に戻れたら全部チャラにするつもりだ」
ここまで酷い仕打ちを受けていれば、少なくとも俺の気は済んだ。
「じ、じゃあ助けてくれるのね!!」
「お前が助かるかは……迷宮のみぞ知る」
俺は金貨の入った革袋だけ拾うと、イリスを残してその場を去った。
「待って!! お願い!! 置いていかないで!! いや! ゴブリンに殺されるなんて嫌!! ……た……す……け」
遠くで残響するイリスの絶叫はやがて聞こえなくなった。
運良く探索者に助けてもらえるかもしれない。ゴブリンに殺されるかもしれない。どうなるかは、彼女次第だ。さぞかし徳は高いだろうから、きっと大丈夫だ。
俺がそう嘯くと、ハウレスが笑った。
「お前の方がよっぽど悪魔だな」
「悪魔に言われても嬉しくねえよ」
俺達はそんな会話をしながら、街へと帰還した。
「うおおお!! でかい街だな!」
街の様子に興奮するハウレスを引き連れて俺はいつもの酒場へと向かう。
「まあ何はともあれ……ハウレスが仲間になったことを祝して――乾杯だ!」
「ひゃっはああ!! ビールが美味いぜ! やっぱり嗜好品は人間製が一番だよ。まじでそれだけは尊敬してる」
ハウレスが嬉しそうにビールを飲んでいる。俺はいつもより少しだけ苦く感じるビールを飲み込んだ。大丈夫、何も問題はない。
「あら? あらあらあら? トルネさん、その女性は? 獣人なんて珍しいわね!」
目敏く俺達を見付けたイーシャが、にやにやしながら俺にそう声を掛けてきた。
「彼女はハウレス、俺の――仲間だ」
「ちらちら見てんじゃねえぞ小娘。喰っちまうぞ!」
「きゃ~」
笑いながら上機嫌で脅すハウレスに、黄色い声を上げ、楽しそうに逃げていくイーシャ。
俺とハウレスによる小さな宴会はその後、夜更けまで続いたのだった。
まだ、主人公の甘さが残っていますね。イリスさんの生死についてはまたどこかで触れるかもしれないですが、彼女に関してはこれでざまあ完了です。
次話からは1話冒頭のあいつらが出てきます。何もしなければ良いのですが……さて。