#1548 学園長の心境。〈エデン〉が動き出したんだ。
「『学園長には心苦しいのだが、僕はこの流れ、非常に良い追い風だと思っている。もう足並み揃えてとか、先生がまず調査をしてとか言っている場合じゃない。〈エデン〉が望むのであれば、上級上位ダンジョン門、そして最上級ダンジョン門の解放を無条件で許可してあげてほしい』」
そんな回想を思い出すのは、我らが〈迷宮学園・本校〉の学園長――ヴァンダムド・ファグナーである。
今のはクラス対抗戦のおり、なぜかいらっしゃっていたユーリ王太子より学園長へ直接頼まれた言葉だ。
クラス対抗戦はとんでもなかった。
ただでさえ来場者数が去年の2倍を記録し、問題はそこら中で起こり、学園長の身体が3つくらいあっても足りないのではないかと思うほど大忙しだった。
そんな時、なぜかユーリ王太子が学園に来ているという報が届いたのである。
一瞬目を点にした学園長だったが、すぐにそのご老体では考えられないようなスピードでユーリ王太子の下へ馳せ参じた。
そうして遠慮するユーリ王太子を学園長室へ招き入れ、そのまま色々話すことにあいなったのだ。
学園長が残業という言葉を受け入れた瞬間でもある。
「『ユーリ王太子。来るなら来ると言ってくだされば良かったであろうに』」
「『いや、本当ならばお忍びで少しだけ対抗戦を見て帰る予定だったんだよ。だけど、なぜかラナとばったり遭遇してしまってね』」
「『…………それで、あの騒ぎだったというわけなのじゃな』」
それは一種の不幸。もしくは幸運?
ユーリ王太子、目的も完遂できたので帰ろうとしたら、ばったり今日の観戦目的だった妹と会っちゃった。往来のど真ん中で。
そしてフードで顔を隠していたはずなのに一瞬でバレた。
王女がフードの怪しい人と喋っていたら、そりゃあ注目を浴びるよね。
そしてユーリ王太子はめでたく周囲にもバレてしまい、学園長のところまで報告が飛んできたというのが真相だった。
学園長は、少し遠い目になってあの時のことを思い出す。
ユーリ王太子とは、ほとんど戦友と言っても過言ではない。
昨年度まで共に〈エデン〉のやらかしを処理した、苦労を共にした相手だ。
故に、ユーリ王太子も学園長に気を使ってお忍びで来て、そのまま帰り、学園長の仕事を増やさないよう努めようとしたのだ。失敗したが。
とはいえ、ラナと久しぶりに会話をしたユーリ王太子はちょっと嬉しかったりしているが、もちろん学園長には告げていないと添えておく。
「『こうなっては仕方がない。建設的な話をしよう。今日の観戦、どのみち学園長と話し合おうと思っていたからね』」
「『ユーリ王太子……』」
どのみち学園長のお仕事は増えていたようだ。
また仕事に忙殺されるのだろうなぁと感じて学園長は再び意識を手放し掛けた。
「ふう」
回想終了。あの時のことを思い出し、溜め息を吐く学園長。
頼まれた仕事は1ヶ月半に渡り根回しを済ませ、片付け、ようやく一息吐けると、今少し冷めたお茶を啜っているところだ。
「ようやく、根回しが済んだわい。準備の方が先に終わったのはいったいいつ以来じゃったか。もしかしたら初めてだったかもしれん。あ、コレット君、お茶のおかわりを」
「畏まりました。熱いお茶と、殺人級に熱いお茶、どちらになさいますか?」
「殺人級!? コレット君、そんなものを用意してどうするのじゃ!?」
「知りたいですか?」
「頼むからそんなもの用意しないでほしいぞ。間違ってもわしの湯飲みには入れんでくれよ!?」
「もちろんです。これは緊急時用です。では熱いお茶にしますね」
「……緊急時? いや、じゃからな? 緊急時でもわしの湯飲みには」
「どうぞ、熱いお茶です。学園長」
「あ、ああ。うむ。いただこうかのう……」
なぜか、いつかあの殺人級を入れられてしまう様な気がしてならない学園長。
最近、茶の温度を確かめる余裕も無く口へ運んでしまうことが多々あった。
おかげで一時は辛いものが全く食べられなくなったものだ。口の中がヒリヒリしすぎて。
頼むから普通の熱いお茶だけにしといてくれよと思いながらズズズと美味しいお茶をいただいた。
コレットはお茶を入れるのが一番上手い。というより学園長の好みのお茶を用意してくれる。何しろコレットは上級職【ヴィクトリアンメイド長】だ。
これに慣れると他の【メイド】のお茶ではダメだ。学園長はコレットが手放せない。
でも殺人級が怖い!
そんなことを考えていたときだ。速報が入ってきた。
「学園長、至急報告があります!」
「む、なんじゃ?」
「〈エデン〉が上級中位ダンジョンのランク7、〈大狼の深森ダンジョン〉を攻略した模様です!」
「ほ?」
それを聞いて学園長が固まり、コレットが殺人級の熱いお茶が入ったポットに手を伸ばす。
そんな光景を横目に見てしまった学園長はブルリと身体を一瞬震わせて我に返り、対処に出た。
「報告ご苦労! 詳しく話すのじゃ!」
そしてまた学園長の戦いは始まった。
かに思えたが、攻略して3日、今の所〈エデン〉に大きな動きなし。
それが学園長には嵐の前の静けさに思えてならない。
ゼフィルスは昨今、選択授業である〈上級ダンジョン攻略術〉で特大級の波紋を放ち続けている。
おかげで学園公式ギルドはのきなみランク2の〈守氷ダン〉や、ランク4の〈聖ダン〉も攻略することができ、今ではランク5の〈魔界ダン〉攻略を目指して鋭意努力を重ねている最中だ。
だが、〈魔界ダン〉の進行は遅い。先駆者だもん、普通はそんなものだ。
モンスターが強くなっているのはもちろん、フィールド環境の変化にも気をつけなくてはならないし、階層門を見つけるのも難しい。
〈聖ダン〉までの攻略が順調だったのは、全て〈エデン〉からの報告書があったからに他ならないのだ。
詳細な地図にモンスターの能力やエンカウント率。環境対策に階層門の位置などが詳細に書かれた報告書は、今では一部の学生にも売られていて、教師からは「教本の一部にするべきでは?」という意見すら上がっているレベルである。
まあ、すでにゼフィルスが自分の授業で教本に使っているからというのが理由だ。
今までも〈エデン〉が最前線を攻略し続けており、公式ギルドだけでは攻略までかなりの時間が掛かるということはもはや周知の事実。
このまま最前線を〈エデン〉に任せても良いのでは?
そんな意見も上がっていたほどだ。
そして極めつきが冒頭のユーリ王太子の命。
つまり〈エデン〉が動けば、とっても忙しくなるということ!
ここ2ヶ月平穏だったのは〈エデン〉が後輩を育成していたから何も無かっただけだ。
そんな〈エデン〉が、ついに動き出した。
今日はダンジョン週間の最終日。
何かあるとすれば、今日に違いない。
学園長はドキドキしながら仕事をこなした。そして時は来た。
――ゼフィルス襲来!
「学園長! お待たせいたしました。上級中位ランク7〈大狼の深森ダンジョン〉、通称〈上級の狼ダン〉の報告書をお届けに来ました! あとこれお土産の大剣と大斧です!」
なんか手土産持って来た!
ノーアにそれとなく聞いて情報を得てみた限り、ここ数日、〈エデン〉は〈上級の狼ダン〉にいるボスを全部狩り尽くすレベルでボス狩りをしていたらしい。
これはそのドロップだろう。とても強そうだった。
「あ、それと次は上級中位ダンジョン、ランク9、〈爬翔の火山ダンジョン〉を攻略しに行きます! それが終われば上級上位ダンジョンに入ダンできるようになるので、〈ダンジョン門・上級上伝〉の解放、お願いいたします!」
……やはりというかなんというか。
〈エデン〉はやはり上級上位ダンジョンへ進出する気のようだ。
根回しが済んでいて本当に良かったと思う学園長である。
思わず「ほほほ」と掠れた笑い声が出て意識が持っていかれそうになってしまったほどだ。これで根回しが済んでなかったら持っていかれていたことだろう。
あと、コレット君、殺人級に熱いお茶は入れないでって言ったでしょ!?
ついに入れられてしまった学園長である。
幸い、湯飲みが熱くて持てずギリセーフだったが。なんかコレット君がぼそりと不穏な呟きを残していたのがとても気になる学園長である。
話が終わるとゼフィルスは嵐のように去って行き、学園長のデスクには、分厚い報告書だけが残った。
「では、コレット君。これを〈救護委員会〉へ持っていってほしいのじゃ」
「ご自分で行ってください」
「え?」
「他にもやるべきことがありますでしょう?」
「あ、そうじゃな。うむ、行ってくるわい……」
クール秘書コレットに背中を押され、学園長はまず〈救護委員会〉のヴィアラン会長の下へ向かう。
この報告書をいち早く複写して広め、学園の公式ギルドも〈上級の狼ダン〉を攻略しなければならない。複写したものはまずは手の空いている〈ハンター委員会〉へ持っていくべきだろう。これは秘書ではなく自分が動かなくてはいけない仕事。
ゼフィルスたちが動き出した。
目標は2学期終業式の上級上位ダンジョン解放と今年度中の最上級ダンジョン到達だ。
学園長、短い休暇は終わりを告げ、次の休暇の見込みは無い。




