旧校舎の怪談
これは、学校のサークル仲間たちと合宿に来た、ある男子学生の話。
その男子学生が代表を務める、そのサークルでは、
学校が長期休暇に入ると、
合宿をすることが定例になっていた。
所属する部員たちの親睦を深めることが目的だった。
その男子学生が通う学校には、
普段は使われていない、古い木造の旧校舎があって、
いつもそこが合宿所として使われていた。
サークルに所属する学生、男女合わせて十数人。
この夏休みも、学生たちが合宿をすることになっていた。
夏休みの学校。
合宿に参加するサークルの学生たち十数人は、
昼過ぎになって、その旧校舎に集合した。
集合した学生たちは、
参加者の点呼を終えると、
旧校舎の中で比較的きれいな教室を選んで、
数人ごとのグループになって、部屋の割り振りをしていく。
各自で荷物を自分の部屋に運ぶと、部屋の掃除。
それから、
グループごとに分担して、夕食の準備をすることになった。
芋の皮むきをしたり、米を研いだり。
サークルの学生たちは歓談しながら、夕食の準備を進めた。
夕食の準備をしながら歓談する学生たち。
学生たちが夢中になる話といえば、それは恋愛の話だった。
学生たちが、
野菜を切りながら話をしている。
「ねぇ、知ってる?
このサークルの中で、
部員同士で付き合ってる人たちがいるんだって。」
「本当?
私、あの先輩が目当てで、このサークルに入ったのに。
もう誰かと付き合ってるのかなぁ。」
「別の学部のあの子も、付き合ってる人がいるらしいよ。」
そうして部員たちがおしゃべりをしていると、
サークルの部長である、その男子学生が、
学生たちを後ろから怒鳴りつけた。
「こら!
しゃべりながら包丁を使ってると、怪我をするぞ!」
部長であるその男子学生は、神経質そうに怒鳴ると、
ずり下がった黒眼鏡を手で上げて、
つかつかとどこかへ歩いていってしまった。
部長の姿が見えなくなってから、
怒鳴られた学生たちが、ヒソヒソと小声で噂話を続ける。
「おー、怖い怖い。
部長、気が立ってるなぁ。」
「聞いた?
あの部長、
付き合ってた相手と、この間、破局したらしいわよ。
お相手は、このサークルの女子学生だとか。」
「それで、
あんなに気が立ってるのね。
触らぬ神に祟りなし。
部長の機嫌を損ねないようにしようっと。」
そうして、夕食の準備は進められた。
サークルの夏の合宿。
一日目の夕食は、カレーライスだった。
カレーライスと付け合せのサラダ。
それと味噌汁。
それが、その日の夕食の献立だった。
合宿に来た学生たちが手作りしたものだ。
古い木造の旧校舎、
その教室のひとつを、
テーブルクロスなどで即席の食堂に変えて、
楽しい夕食が始まった。
「いただきます。」
「いただきまーす。」
「おっ、美味そうだな。」
そのサークルの学生たちは、
わいわいがやがやとおしゃべりをしながら夕食を楽しんでいた。
「カレーに味噌汁なんて、
そんな食べ方ってあるのかしら。」
「知らなかったのか。
慣れると美味いんだよ。」
「あたし、
もっと辛いカレーが良かったんだけどな。」
夕食を食べながら、
楽しそうにおしゃべりをしている学生たち。
しかし、
部長である黒眼鏡のその男子学生は、
誰とも口を利くこともなく、むっつりと夕食を食べていた。
夕食を食べ終わって、後片付けを終えてから。
残った時間を使って、
部員同士の交流を目的とした、課外活動などが行われた。
寝泊まりする教室の設備を確認して、必要な物を調べたり、
学校と旧校舎の成り立ちについて、レポートをまとめたり、
夜に現れる昆虫の生息状況を記録したり。
各々の学生は、学部も学科もバラバラ。
だからその活動も千差万別だった。
そうして、
協力できるところは協力し合って、
部員同士の交流も進んだ。
それから、
入浴などを済ませて、後は寝るだけになった。
夏の合宿で、寝る前のお楽しみといえば、
誰でも考えることは同じ。
みんなで一つの部屋に集まって、
怪談大会が行われることになった。
その旧校舎には、
4階に大きな和室があったので、
サークルの学生たちは全員、その和室に集まった。
古くてボロボロになった和室の床に、
集まった学生たちが、車座になって座り、
各々の前に置かれたろうそくに火を点けた。
「みんな、準備は出来たか?
では、明かりを消して怪談を始めよう。」
電球の明かりが消されて、弱々しいろうそくの明かりだけになった。
そうして、
部長であるその男子学生の合図で、怪談大会は始まった。
旧校舎の和室に集まった学生たち。
ろうそくを一本ずつ灯して、順番に怪談を披露していく。
雨の中に佇む長い髪の女の怪談。
高速道路を走るお婆さんの怪談。
だんだんと近付いてくる電話の怪談。
などなど。
学生たちは精一杯、
おどろおどろしく話を盛り上げようとする。
それに応えて、
怪談を聞いていた学生たちは怖そうに反応している。
「きゃー!怖い!」
「おい、あんまり脅かすなよ。」
「でも、本当の話なんだぞ。」
時折上がる悲鳴を混じえながら、
学生たちの怪談大会は進行していった。
怪談大会が進んで、十数人の参加者の、
おおよそ半数が怪談を披露し終わって。
次は、
部長であるその男子学生の順番になった。
その男子学生は、
咳払いをひとつすると、
ずり下がった黒眼鏡を手で上げて、
神経質そうに話し始めた。
「この話は、
この旧校舎で、実際に起きた事件なんだ。
昔、この旧校舎で合宿をしていた学生たちが、
夜に怪談をしていたらしい。
その時、火事が起こった。
この旧校舎は木造だから、火の回りが早くて、
逃げ遅れた学生が、全員死んだらしい。
それ以来、
その死んだ学生たちの幽霊が、今もこの旧校舎に彷徨っているんだ。
学生たちの幽霊は、仲間を増やしたくて、
この旧校舎に来た人間を、
あの世に連れて行こうとするんだとか。」
その男子学生の怪談が終わって、
話を聞いていた学生たちは、顔を見合わせた。
それから、おずおずと口を開く。
「まさか、その旧校舎って、
俺たちが今いる、この旧校舎・・・じゃないよな?」
その質問に対して、
その男子学生は、重々しく口を開いた。
「・・・この旧校舎だよ。
ここで昔、実際に起きたことだ。」
別の学生が質問する。
「怪談をしていて火事になったって、
火元は何だったんだ?」
「・・・ろうそくだよ。
怪談の雰囲気を出すために、
火の点いたろうそくが置いてあったんだ。
それが火元になって、火事になったらしい。」
その男子学生の応えを聞いて、
学生たちは、
自分たちの目の前に視線を移した。
そこには、
今聞いた怪談と同じように、火の点いたろうそくが置いてある。
静まった部屋の中に、ゴクリと喉を鳴らす音が聞こえる。
学生の誰かが、口を開く。
「危ないから、ろうそくは消しておこうか。
この旧校舎は木造だから、火事になるといけないし。」
その言葉に、別の学生が続く。
「そうね。
一応、消火用のバケツは部長が用意してくれてるけど。
火の気が無いに越したことはないものね。」
そうして学生たちが、
火の点いたろうそくを消そうとした、その時。
どこかの窓が開いていたのか、
旧校舎の中に風が吹き込んできた。
その風とともに、
火の点いたろうそくが、パタッと倒れた。
怪談の雰囲気作りのために用意された、火の点いたろうそく。
それが、どこからか吹きつけた風と共に、倒れてしまった。
旧校舎の和室の床は、古く乾燥した畳で、
半分くらいは傷んで、下の木材が剥き出しになっていた。
その乾燥した木材の上を、
ろうそくの火が滑るように広がっていった。
学生たちは、とっさに身動きが取れず、
その様子を黙って見ていた。
それから一瞬遅れて、悲鳴が上がった。
「火事だ!」
ろうそくの火は、
瞬く間に木造の床を広がっていく。
学生たちは、
今聞いたばかりの怪談と同じことが起こって、半狂乱になった。
「ろうそくが倒れたぞ!
風も吹いてないのに、何でだ?」
「そんなことより、火を消さなきゃ!
消火器は?」
「消火用のバケツが用意してあったはずだ!」
学生の誰かが、
消火用のバケツを手に取り、その中身を燃える床にぶちまけた。
すると、
火は鎮火するどころか、逆に大きく燃え上がった。
燃え上がる炎で、視界が真っ赤になる。
「火が大きくなったぞ!」
「何をかけたんだ!?」
「火が天井に燃え移った!
もうだめだ。
みんな、ここから避難しよう!」
学生たちは、
大きくなった火を消火するのを諦めて、
出口に向かって殺到した。
火は信じられない速さで燃え広がっていき、
旧校舎の和室は、瞬く間に炎に包まれてしまった。
和室を飛び出した学生たちは、
背後から来る炎と煙に追われ、
満足に目を開けられず、息もできない状態で廊下を走り続けた。
「こっちだ、もうすぐ出口だ。」
部長であるその男子学生が先導して、
その背中を、他の学生たちが追いかける。
廊下を曲がり、
階段を下り、
また廊下を曲がる。
そうして走っている内に、
先頭の部長と後ろの学生たちとの間が、徐々に離れていった。
置いていかれそうになって、学生たちが声を上げる。
「部長!
もう少しゆっくり走って下さい。」
「私たち、そんなに速く走れないわ。」
学生たちのそんな声が、聞こえているのかいないのか。
部長であるその男子学生は、どんどんと先に進んでいく。
そうしてとうとう、
後ろに続いていた学生たちは、部長の姿を見失ってしまった。
火事になった旧校舎の和室から駆け出して、
旧校舎の中を走っている内に、
部長の姿を見失ってしまった学生たち。
もう既に火事の火は見えない場所まで避難できていたが、
背後からは熱と煙が襲いかかってくるのを感じる。
明かりは、部長が持っていた懐中電灯だけだったので、
辺りは薄暗く、建物の大まかな形しか見えない。
それでも、
部長が進んでいった方向に廊下を進んでいく。
そうして学生たちは、十字路に差し掛かった。
目の前には、
真っ暗な3本の廊下が続いていた。
学生が、その廊下に向かって声をかける。
「部長、どこですか?」
「俺たち、明かりがないんです。」
学生たちは、明かりもなく、
薄暗い闇の中で、
周りをキョロキョロと見回した。
すると、
目の前に真っ直ぐ伸びる廊下の先で、
光がゆっくりと振られているのが見えた。
その方向から、何者かの声が聞こえる。
「こっちだよ。
こっちにおいで・・・」
どうやら、
振られているその光は、懐中電灯か何かのようだ。
光をゆっくりと振って、何者かが呼んでいる。
それを見て、
学生たちはほっと胸をなでおろした。
「あの光は、部長が持っている懐中電灯か。」
「よかった、探しましたよ。」
「さあ、この廊下を進みましょう。」
学生たちは、
呼んでいる声の方へ、真っ暗な廊下に足を踏み入れようとした。
その時、
後ろから大声で呼び止める声がした。
「あぶない!
そっちに行っちゃダメだ!」
その声に驚いて、学生たちが立ち止まって振り返る。
学生たちの後ろ。
少し離れたところに、
部長であるその男子学生が立っていた。
学生たちは驚いて、
その男子学生に話しかけた。
「部長!
そっちにいたんですか。」
「探しましたよ。」
そうすると今度は、別の疑問が浮かぶ。
学生の一人が、その疑問を口にした。
「じゃあ、
向こうで明かりを振っているのは、誰?」
その疑問には、誰も応えられなかった。
「こっちにおいで・・・」
今もなお、
真っ暗な廊下の先では、
光がゆっくりと振られていて、呼ぶ声が聞こえてくる。
黙り込む学生たち。
やがて、
部長であるその男子学生が、落ち着いてゆっくりと話し始めた。
「・・・そっちに行くのは危険だ。
この旧校舎は、老朽化が進んでいて、
その先の廊下は、床が抜け落ちているんだ。」
部長がやってきて、懐中電灯で廊下の先を照らす。
3本の廊下の先は、
床にぱっくりと闇が開けていて、明かりを反射する床板が無かった。
今まさに進もうとしていた先に、大穴が開いているのを見て、
学生たちは恐れおののいた。
怯えた女子学生たちが、お互いに抱きついたりしている。
「もし、
部長が呼び止めてくれなかったら、
私たち、あの穴に落ちていたところだったのね。」
「じゃあ、
向こうから呼んでいる声は、誰?」
「まさか、
怪談で言っていた、あの世に連れて行こうとする幽霊?」
その疑問に、部長が、
ずり下がった黒眼鏡を上げながら応える。
「わからない。
でも、危険なのが分かったのだから、
この先には進まない方が良いだろう。
少し危険だが、
一旦戻って、他の出口を探そう。」
学生たちは、
動揺しながらも、部長のその言葉に同意した。
「そう、ですね。
この廊下の先には進めないし、戻るしかないでしょう。」
「でも、
戻ると言っても、
旧校舎は火の海じゃないかしら。」
「旧校舎が木造とはいえ、
その全てが炎に包まれてしまったわけじゃないだろう。
まだ火が回っていないところもあるはずだ。
なんとかして、他の脱出方法を探そう。」
学生たちは、意を決して、
炎に包まれた旧校舎の方へと戻っていった。
「どこへ行くの?
こっちだよ、こっちにきて・・・」
その後ろからは、
誰のものかわからない声が、呼び続けていた。
「どこへ行くの?
こっちだよ、こっちに来て。
そっちはあぶないよ。」
学生が、懐中電灯を片手に呼びかけている。
その後ろから、別の学生が話しかけた。
「お前、誰に話しかけてるんだ?
向こうにあるのは、古い旧校舎だぞ。」
懐中電灯を振っていた学生が、その手を止めて応えた。
「あ、うん。
なんかさ、向こうの方に明かりが見えた気がしたんだよ。
誰かがいるのかと思ってさ。
だから、こっちに来るように呼んでたんだよ。
夜に旧校舎に入ったら危ないからね。」
ここは、出来たばかりの真新しい新校舎。
あの古い木造の旧校舎の、すぐ隣に建てられた新校舎だった。
その新校舎にいた学生が、
夜の真っ暗な旧校舎に向かって、懐中電灯の明かりを振って呼びかけていた。
その学生に向かって話しかけた学生は、気味悪そうに言う。
「お前、
向こうの旧校舎で昔に何があったか、知らないのか。」
懐中電灯を振っていた学生が、キョトンとして聞き返す。
「いや、よく知らないんだけど。
あの旧校舎で昔、何があったんだい?」
話しかけた学生が、
誰かに聞かれるのを恐れているのか、ヒソヒソと小声で説明する。
「向こうには、
使われなくなった、古い木造の旧校舎があるんだよ。
なんでも昔、
合宿中に火事があって、参加していた学生が全員亡くなったらしい。」
「火事で学生が亡くなった?
火元は何だったんだろう。」
「燃え方が激しくて、
詳しくは不明だそうだけど、
和室のろうそくが火元なんじゃないかって話だ。
ろうそくなんて何に使ってたんだろうな。」
「いくら木造の旧校舎だからって、
ろうそくの火で、人が亡くなるほどの火事になるかな。」
「それが、
どうやら何者かが、油のようなものを撒いていたらしいんだ。
学生の誰かが、無理心中を図ったんじゃないかって話さ。」
「学校で無理心中なんて。
合宿をしてた学生たち同士のトラブルかな。」
ふたりは気味悪そうに体を震わせた。
それから、ヒソヒソと話を続ける。
「さあ、どうだろうな。
とにかく、それ以来、
あの旧校舎は完全に使われなくなったんだ。
でも、取り壊し工事をしようにも、
その度に事故が起きて工事が中断されて。
それでとうとう、何も出来なくなって、ああやって放置されてるんだ。
だから、こんな夜に旧校舎に人がいるわけないぞ。」
そう言われて、
懐中電灯を振っていた学生が、頭を掻いて応えた。
「う~ん、そうなのか。
じゃあ、やっぱり気のせいかなぁ。
光のようなものが見えた気がしたんだけどな。」
「気のせいに決まってるさ。
あるいは、人魂だったりしてな。
そんな冗談はいいとして、早く戻ろうぜ。」
そうして、
そのふたりの学生は、真新しい新校舎の方へ戻っていった。
誰も近寄らなくなった、古い木造の旧校舎。
その奥の、煤だらけになった和室。
そこには、
炎に晒されて醜く歪んだ黒眼鏡が落ちていた。
その周りを、
十数個の人魂たちが、
何かに捕まって囚われているように、
ぐるぐると彷徨っていた。
「・・・誰も逃さない。
これからも、ずっと一緒だ・・・」
真っ黒な床の穴から、
そんな声が静かに響き渡っていた。
終わり。
学校の旧校舎を題材にした話を作りたくて、この物語を書きました。
生者同士のいざこざは、死者になっても続く、
という内容になりました。
お読み頂きありがとうございました。