名もなき夜の為に
「うわー、めっちゃ降るねぇ〜」
突然降り出した雨を全身で浴びてしまわないように寅之烝と浅倉は廃線になった屋根付きのバス停跡で雨宿りをしていた。
「でも、すぐ止むよ。通り雨だと思う。雲の流れも早いし、ほら、月が見えてきたし。」
浅倉は雲の間から顔を出した月を見ながら言った。
「ワンッ!」
思い出したかのように浅倉が連れている犬が寅之烝と虎徹に吠えた。
「こらっ!オリバー!吠えないよ!あっ、この子の名前、オリバーって言うの。」
真っ黒なラブラドールレトリーバーを撫でながら浅倉は言った。
「うちのはコテツ。虎に徹と書いて虎徹、超ビビリなんだよ。」
と寅之烝が言うと虎徹は相変わらず寅之烝の後ろに隠れたまま動かなかった。
「可愛いね。」と言って浅倉は虎徹を撫でた。
「ビビりすぎて吠えたりもしないんだよ。元気なんだけど全然吠えないんだよね。」
と寅之烝が言うと
「いい子なんだね。」と虎徹の目を見てもう一度撫でた。
降り続ける雨の中、浅倉が言った。
「いつも、この道を虎徹くんと散歩してるの?」
寅之烝は「うん!浅倉さんに会えないかと思って」という言葉を言えるはずもなく。
「しばらく、このコースを散歩してるんだ」と答えた。
「こんな暗い道を?」と浅倉は言った
「このあたりはどこも暗いよ」と寅之烝は笑った
「だから、走ってるのよね。この辺暗くて1人じゃ心細いから。体力もつくかもと思って。オリバーも走るの楽しいみたいだし。」と間を入れずに浅倉は言った。
「じゃあ、これから時間決めて俺と一緒に散歩する?」という言葉は勇気を振り絞る事もなく気付いたら寅之烝の口からいつの間にか飛び出ていた。
一瞬の間があった後、「いや、いいよ。大丈夫。走るし。」
それが浅倉の答えだった。
寅之烝は断られてることに気づかず
「えっ?」という言葉とともに「えっ?」という絵に描いたような顔をした。
「嫌だとかじゃなくて、悪いなぁと思って」
と浅倉は困った顔をして降り続ける雨を眺めながら言った。
「あぁ、そっか。俺、卓球部だしバスケ部よりは走らないからなぁ〜そうだよね。」と寅之烝は納得できそうでよく考えたらなにも納得できない訳のわからない発言をした。
「そういえばさ、浅倉さんって音楽とか好き?」と間を埋めるためなのか寅之烝は降り頻る雨の音の中ですぐに次の話題を話し始めた。
「えっ?うん。」浅倉は少し困ったような感じで答えた。
「どんなの聴くの?」と寅之烝は話の流れを崩さないように聞き返した。
「パンク。いや、言ってもわかんないよ。たぶん。」という浅倉の返事に
「パンク?マジ?」と寅之烝は眼を見開いた。
寅之烝は今流行っている音楽には疎いがインディーズの音楽とマニアックな音楽を実はこっそりとチェックするのが隠れた趣味だった。
それ故に少しくらいマニアックなアーティスト名が返ってきても対応できる自信があった。
「パンク?俺さ、自分で言うのもなんだけど、音楽詳しいんだよ。マニアックなのは。ストリートロックマガジンって雑誌毎月買ってて...」
「ええっ?ストリートロックマガジン毎月買ってんの?」と浅倉は少し興奮した様子で話しかけてきた。
「えっ?うん。」と少し驚いた様子で寅之烝が答えると
「じゃあ、わかるかも!RAW-Lifeとか、直立猿人、the MOSH、THE THEATERS...」まるでメロディのように浅倉の口から聴いたこともないバンド名が流れるように出てきた。
マニアックなのを知っているつもりでいた寅之烝だったがひとつも分からなかった。
浅倉のほうが寅之烝よりも遥かにマニアックだった。
「あとは、Captain Cornelius」と浅倉が呟いた。
「ええっ?キャプコー知ってんの?あのめっちゃガチャガチャしてうるさいやつ!俺、CD持ってるよ!」
「私、あのバンド大好き」
「あの曲かっこいいよね?」
「えっ?あの曲かな?」
「"名もなき夜の為に"?」
2人は口を揃えて同じ言葉を呟いた。
Captain Corneliusのうるさくて速いビートの曲が揃うアルバムの中に突如として流れるスローテンポの激しいバラード"名もなき夜の為に"は寅之烝のお気に入りだった。
2人は驚いた顔をした後に笑った。
「キャプコーって略す人初めて会ったよ。私、何回かライブ行った事あるんだけど誰も"キャプコー"なんて呼んでないよ」浅倉は笑いながら言った。
「えっ?ライブ行ったことあるの?みんななんて略してんの?」と寅之烝は少し恥ずかしそうに聞いた。
「C Cってみんな言ってる。それかキャプテン。お姉ちゃんも好きで時々ツアーで来る時は行ってるんだ。この辺は小さなライブハウスばかりだけど...」
話に夢中になってる間にいつの間にか雨は止んでいた。
「雨止んだね。行こう。」寅之烝がそう呟くと
夏に雨が降った時に匂う独特な香りが漂う道を2人と2匹は歩きはじめた。
「じゃあ、また明日学校で!」
2人と2匹が浅倉の家の前にたどり着き、寅之烝がそういうと浅倉は寅之烝の少し先を歩きながら急に振り向いて言った。
「やっぱり、一緒に散歩するの...お願いしようかな。」
諦めていた寅之烝に舞い降りた嬉しすぎた浅倉からの知らせは寅之烝の身体を少し固まらせた。
「えっ?いいの?」寅之烝がそう尋ねると
「なんか話し合いそうだし。毎日、7時半からでいい?集合場所は...」迷う浅倉に
「あっ、俺、浅倉さん家まで来るよ!」
と寅之烝は食い気味で答えた。
「じゃあ、また明日学校で!」
2人はそう言って別れた。
帰り道を歩く寅之烝の頭の中でキャプテンコーネリアスの"名もなき夜の為に"が流れていた。
"もしも何もなくても、もしも何もわからなくても
そのままでいいんだ 全ては いつかやってくる
名もなき夜の為にある"
寅之烝は帰り道で「もしかしたら毎月、ストリートロックマガジンを買ってたのはこの"名もなき夜の為にあったのかな?」と思った。