知らない国の言葉
入学式が終わった次の日の朝、30歳くらいの男性教諭が清々しい顔をして教壇に立った。
初めての英語の授業が始まった。
今まで行ったこともない知らない国の言葉を勉強すると言うのだ。
「日本の英語教育ってなんなんだ?結果出てないだろ!?俺は日本人で英語をスラスラと話せる人を見たこと無いよ。ドラマ以外で。本当にそんな人いるのか?」と寅之烝は思っていると英語教師の足立先生が言った。
「この授業の挨拶は英語で行います。私がハローエブリワン!というのでみんなはそれに対してハローミスターアダチ!と答えてください。」
「ほらみろ!英語教師だってこのザマだ。映画で聴いたことがある本来の英語とは全くの別物。ニホンゴエイゴじゃないか」と無意味な日本の英語教育に対する怒りに似た感情の中で寅之烝は思った。
「それじゃあ教科書を配るぞ〜」と言われ渡された真新しい教科書を列の後ろに並ぶ女子出席番号1番の女の子に五冊の教科書を回した。
教科書を渡すと後ろの席の出席番号1番の女の子は限りなく透き通った目で寅之烝を見つめてニコリと微笑んで「ありがとう」と言った。
初めて後ろを振り返り俯き加減で「いえいえ」と呟いた瞬間に寅之烝はその目の中に吸い込まれるような感覚に陥った。
その人は今まで寅之烝が実際にその目で見てきた女性の中で他の人たちとは比べ物にならないほどに圧倒的に美しい顔をしていた。
体制を戻し教科書を開くとその中は絵本のような内容で寅之烝はガッカリし「中学入ってまで子供扱いかよ」と心の中で思った。
「全員行き届いたか〜?じゃあ、名前を書きましょう」
足立先生がそう言うとクラスメイトたちは持参していたネームペンで名前を書き始めた。
その時、寅之烝にはふと1つの疑問が思い浮かんだ。
「名前はアルファベットで書くべきなのだろうか?それとも普通に漢字?どうなんだろう?」そう思いながら後ろを振り返りその事について尋ねてみようと思った。
振り返りながら小さな声で
「ねぇ、名前ってさぁ...」と尋ねようとすると後ろの席の女の子は慣れた手つきでスラスラと「Yuka Asakura」と筆記体で書き終わるところだった。
「どうした?」と寅之烝は聞き返されたが
「なんでもない。ありがとう。」と答えて自分の教科書にToranojou Yamasakiとアルファベットで書いた。
もちろん筆記体なんて書けるわけがなかった。
クラスの生徒全員が教科書に名前を書き終え足立先生の話に耳を向ける中、寅之烝は心の中で「参ったなぁ。後ろの席の子、存在感が...」と考えていた。
教科書の名前の欄に2人を除くクラスメイト全員が"誰もが使い慣れている日本語"で名前を書いていた事なんてその時の寅之烝は知る由もなかった。