伝承
かつてこのテムの地に巣食った黒龍……ジドを、勇敢なヴァーレルという若者が倒そうと立ち上がった。彼は戦神レーの元に赴き、ジドを倒した後に返すという約束で一本の槍を借り受けた。白銀に輝くその槍は、まごうことなき戦神の魔力が込められ、黒龍の心臓を一撃のもとに貫いた。
その時竜の血がかかった槍は、まるで何かに侵されるようにゆっくりと赤色に染まって行く。ヴァーレルは元の白銀の槍に戻そうと色々な方法を試すが、ついに血の色が消えることはなかった。
約束の日、レーは竜の血によって穢れきった己の槍を見て怒り狂った。その怒号は嵐を呼び、叫びは光の矢となって大地に降り注ぐ。
民の泣き叫ぶ声を聴きながら邪悪に高笑いをするレーの様子に、ヴァーレルはレーの怒りを鎮めることはできないと悟った。そしてその赤い槍で戦うことを決意したのだ。そうして数多の命と引き換えに、ついに戦神レーを葬り去った。
しかし、黒龍と戦神の呪いがヴァーレルを襲った。彼もまた神に抗った罰を受けなくてはならない。彼は最後に、「この槍を誰にも触れさせてはならない……触れれば呪いを受け、決して戻れなくなる」と民に言い残し、自らの心臓を赤い槍で貫いた。
「──────こうして赤い槍は「鮮血の槍」と名を変え、語り継がれるようになったのである」
そうして私は、「シャガ王国神話1」と書かれた分厚い仕掛け絵本をバタンと閉じ、ふうとため息をついた。こんな最後に主人公が自ら命を絶つような物語を、目の前の9歳の少女にしていいのだろうか。疑問を持ったところで、王家に伝わる神話はルーツを学ぶもの。大切であることに間違いはないのだ。この主人公ヴァーレルから、今の王家の血筋は始まったと言われている。
私の膝の上でしげしげと絵本を眺めていた小さな少女……ルゼッタ様はこちらに顔を向ける。
「ねぇエレナ!このお話に出てきた槍って、お城の壁に飾られてるやつだよね?」
「はい、王家に代々大切に受け継がれているものです」
そう「鮮血の槍」は代々王城の廊下の壁にかけられている。触れないように特殊な結界が張られているのだ。
私が答えると、ルゼッタ様は悩むような顔をする。
「あの槍の横を通る時、いつも叫び声が聞こえるから……でもなんだか理由がわかった気がする」
死んだ人間の声が聞こえるというそれは、ルゼッタ様の特別な力が原因だ。幼くして人の叫び声聞くというのは辛いことだ。よくそれで泣いているのを見ていた。ただ「叫び声が怖い」と泣けば慰めることもできる。しかしそれは「私だけどうしてこんなの聞こえるの?」という自分への恐怖へ変わりつつある。私にできることといえば背中をポンポンと叩くとか、頭を撫でるとかそんなことだけなのだ。
何ともなしに目の前の少女の頭を撫でる。ルゼッタ様はわからないと言った様子で首を傾げるのだが、不意に嬉しそうに目を細めた。
「…………そろそろ食事のお時間です。今日はルゼッタ様の大好きなプリンアラモードだそうですよ」
私が言うと、ルゼッタ様は「わーい!」と笑った。何故だかその笑顔に私が安心したのは、顔に出ていなければいいと思う。
私はエレナ・ルミーゼ。
家は代々王族に仕え、その護衛を任されている。私も例にあぶれることなく、王族の護衛を仰せつかってこの城へ14の時に来た。
…………というのは表向きだ。
ルゼッタ様には秘密がある。彼女は黒龍ジドの呪いを受けた人間、「龍の巫女」
ルゼッタ様は生まれた時から手の甲に黒い龍の紋章があり、絶大な魔力を持っていた。そして何より王家のものは代々金髪碧眼だったが、少女はジドのような赤い瞳をたたえていたのである。
王妃様は驚いて、国一の魔術師バーディに問うた。
「この子は一体…………」
─────それは伝承に伝わる存在
「巫女が生まれる時、邪悪なる龍が姿を現わす
龍の巫女が10の年、鮮血の槍を持ち、巫女と共に原初の地へ向かえ
そこに龍を滅ぼす鍵がある」
そう、私の役目とはルゼッタ様が10歳になった時、彼女と共に伝承の地へ向かうことなのである。