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第36話 スラム出身の少女

 昼食を終えた私達は瑠璃の館の中庭に出て、館で働く人々との交流をしていた。

 グロリアさんは館の案内をパトリックさんに任せて自室へ。曰く、どうやらこなさないといけない仕事が溜まっているらしい。領主の第二夫人は大変だ。

 視界の先では獣人族(フィーウル)半獣(ジュマターテ)の子供たちが全部で二十人ほど、楽しそうな声を上げながら遊んでいる。やっぱり、どの国でも、どの世界でも幼い子供たちは元気いっぱいだ。


「それにしても、さっきの食事の時に四十人くらいいて、まだ他にも働きに出ていて今ここにいない子達がいて……一体どれくらい、この館で暮らしているんですか?」

「館の使用人、奥様の付き人を務める者も含めますト、大体九十人ほどになりますネ。本日はサンバタ――土曜日ですノデ、外に働きに出ている者は七割ほどとなっておりマス」


 私の何気ない質問に答えてくれるのはパトリックさんだ。先程から私に随分と気を使って動いてくれている。

 日本人と接した経験も多数あるという話のパトリックさんの説明は、非常に分かりやすく明瞭だ。ドルテにはドルテの説明の仕方があるだろうに、わざわざ日本語で、地球基準の言い方で説明してくれている。

 おかげで私も、質問を投げかけやすくて助かっていた。


「皆さん、どんなお仕事に就いているんですか?」

「料理人、パン屋、荷物配送、掃除夫などが中心デス。短耳族(スクルト)の者はレストランのホールスタッフや市営商会(ギルド)の下働きなどに就く者もおりますガ、大概は肉体労働ですネ」


 パトリックさん曰く、施政者である竜人族(バーラウ)は別として、長耳族(ルング)が人前に立つ仕事、短耳族(スクルト)がその補佐だったり、人目に付くような場所の表立った下働き、獣人族(フィーウル)半獣(ジュマターテ)が裏方や肉体労働、というのが主な仕事の内容になるんだそうだ。

 だからパーシー君の、獣人族(フィーウル)で旅行ガイド兼通訳というのは、本来ならば考えられないくらいの大抜擢、大躍進なんだそうで、ロジャーさんの市営紹介(ギルド)の書類管理も、本当ならば獣人族(フィーウル)に割り当てられる仕事ではないのだという。さすがは、グロリアさんのお墨付きがある人物。

 そうして私は、説明された現実に、深くため息をつく他なかった。


「やっぱり地位の低い労働者の仕事は肉体労働なのかー……」

「『やっぱり』ってことハ、日本(ジャポーニア)でもそうなんですカ?」

「その傾向はあるようですヨ、お坊ちゃま。私が見てきた限りデモ、マーも日本(ジャポーニア)も一緒のようデス」


 私の零した言葉に目を見開いたデュークさんに、パトリックさんが優しく声をかけた。

 日本も肉体労働は労働者としての地位があんまり高いわけじゃないし、薄給で激務なのも多分一緒だ。昔は諸外国で黒人奴隷が差別的な扱いを受けながら、肉体労働をやらされていたわけで。

 そういう、地球もドルテも同じ感じで物事が動いているのを見ると、何となくやるせなくもなるのだ。

 同じように思えるからこそ、目の前の光景が他の場所でも夢物語じゃないんじゃないか、と思ってしまうのもある。

 短耳族(スクルト)のメイドさん達と、獣人族(フィーウル)半獣(ジュマターテ)の子供たちが楽しそうに遊んでいるのを見ながら、私は目をうっすら細めた。


「なんかなー……こうしてここで皆を見てると、種族差別なんて本当は無いんじゃないか、なーんて思えるくらいには、皆仲がいいのに……」

「ここは特別ですヨ、マー大公国の中デモ、フーグラーの中デモ……

 実際、ミノリ様には、フーグラー市の塀の中、それも安全なエリアにシカ、お連れしていませんからネ」


 私の肩に手を置きながら、苦笑を零してデュークさんがそっと声をかけてくる。

 その反対側に立つパーシー君も、腕を組みながら神妙な面持ちで口を開いた。


「今までサワさんをお連れしてきた地域の殆どはトゥーラウ地区と言ッテ、フーグラー市の中核を担う地域なんですヨ。

 他には学業の中心となるバイラマイ地区、工業の中心地であるグートシュタイン地区、上流階級の住まいになっているエクヴィルツ地区。そして一般市民の住むハビッヒ地区ト、いわゆるスラム街であるクレッチマン地区に分けられておりマス。

 今おりますバックハウス通りはエクヴィルツ地区、ボクの家や中央大学がバイラマイ地区。その他は全てトゥーラウ地区、という具合ですネ。

 クレッチマン地区はフーグラー市の中でモ、半獣(ジュマターテ)の寄せ集まる地区として、あまりいい噂が無いのが事実デス」

「やっぱり、スラムとかあるんだ……」


 真剣な表情で、如何に今まで安全な地域を案内してきたかを話すパーシー君の言葉を受けて、私の視線は再び正面に向いた。

 視界では半獣(ジュマターテ)の女の子が、遊ぶ子供たちの輪に入り切れずにぽつんと立っている。寂しそうだ。

 身なりこそ綺麗にしているものの、髪は伸びてあちこちに跳ねている。イヌ科を思わせる三角耳と太い尻尾も、手入れがされていない印象を受けた。

 あの子も、そういうスラム街からこの館に来たのだろうか。そう思うと、少し胸がチクリと痛んだ。

 そしてその瞬間、私とその女の子の視線がぶつかる。途端にあからさまに不機嫌な表情になった女の子が、突然私に駆け寄って来るや、その小さな足で私の右足をぐいと踏みつけた。


「あっ、つ!」

「Nu ma privi cu asemenea ochi!」


 突然の小さな痛みに顔をしかめる私に、女の子らしい高い声で、ドルテ語で何やら言い立てる半獣(ジュマターテ)の女の子。

 その様子を見た短耳族(スクルト)のメイドの一人が、慌てて私の方に駆け寄って女の子を私から引き離した。


「Lira, va rog sa ne ceriti scuze clientilor nostri!」


 鋭い口調で女の子を叱るメイド。私やパトリックさん、デュークさんがそれに何を言うよりも早く、リラと呼ばれた半獣(ジュマターテ)の女の子はメイドの手を振りほどいて、中庭から駆け出していった。


「Lira!」

「Helena, prinde Lira! Grabeste-te!」


 メイドの強い呼び声と、パトリックさんの慌てた声が交錯する。後を追って駆け出していったヘレナと呼ばれたメイドの背中と栗色の髪を見て、デュークさんが小さくため息をついた。


「ヤレヤレ、リラは相変わらず強情ですネ」

「あの子は何を……? っていうか私、何か気に障ることをしたんじゃ」


 突然のことに首を傾げる私に、軽く首を振って応えるデュークさんだ。何を言うでもなく、私に苦笑を返してくる。


「ミノリ様の憐れむような視線に腹立たしさを覚えたんでショウ。お気になさることはありまセン。

 リラはまだ保護されてから間もないデスシ、この館の環境に慣れていないのデス」

「そう、なんだ……」


 その笑顔に私が何も言えないでいると、中庭の入り口から息を切らしたヘレナが戻ってきた。随分走ったのだろう、肩で息をしながら入り口の扉にもたれるように手をかけている。


「Imi pare rau... am scapat...」

「La urma urmei, cresterea mahalalelor este o scapare rapida. Va rugam sa transformati oamenii in securitatea usii.」


 ドルテ語で切れ切れに言葉を綴るヘレナに、苦笑しつつ手を振りながら言葉を返すデュークさんだ。何というか、同じ屋根の下で暮らしているせいか随分と所作が軽いが、何となくその発言に引っかかりを覚えた私は傍らのパーシー君の脇腹をつついた。


「パーシー君、今、デュークさんなんて言ったの? メイドさんが謝ったのは分かったけど」

「アー、あれはですネ……『やはりスラム育ちは逃げ足が速いですね。出入り口の警備に人を回してください』と仰ったのデス」

「え……」


 解説された訳文に、思わず目を見張る私だ。

 スラム育ちは逃げ足が速い。それは、なんというか、表現としていいのだろうか。いや、ドルテでは普通の表現なのかもしれないけれど、だとしても。

 そして発言した当のデュークさんも、察するものがあったらしい。ゆっくりした足取りで中庭に戻るヘレナを視線で追った流れで私を見ると、すぐにこちらに頭を下げて来た。


「差別的ニ聞こえてしまったのでしたら謝りマス、申し訳ありまセン」

「マァ、仕方がありません、こればかりは。デューク様に差別的な意図は無かったでしょうシ、サワさんに差別的に聞こえてしまうのも無理の無い言い回しデス」


 そうですよね?とデュークさんに念を押すと、すぐにこくこくと頷くデュークさんだ。どうやら本当に、悪気があってあの表現をしたわけではないらしい。

 冷や汗をかきながら、自分の胸を叩きつつ口を開いた。


「誓って言いマス、リラを差別しようという意図はございませんトモ。ただ、彼女の逃げ足の早さヲ表現するのに、他に適した言い回しガ無かったのデス」

「本当にー? なんかもっとこう、穏当な言い方なかったんですか?」


 ちょっと意地悪心が顔を出して、私がじとーっとした目でデュークさんを見ると、背筋をびしーっと伸ばしてデュークさんは硬直した。うん、ちょっとやり過ぎた。

 私の隣でパーシー君が、額に親指を当てながら呻くように目を閉じている。


「穏当な言い方が無いわけではないのですガ、ドルテ語で出身地に言及しての表現ハ、充分穏当な範囲に入ってしまうのですヨネ……

 『あの人はどこどこの出身、だから何々です』という言い回しは、至極一般的なものなのですヨ」

「へー……」


 パーシー君の口から発せられた説明に、私は感心の声を漏らす。

 ところ変われば表現も変わる、穏当も不穏当もその場所次第。こういうものに直面すると、自分がいるのは異文化の中なんだなぁ、と実感させられる。

 デュークさんが場の空気を変えるように、ぱんぱんと手を打った。遊んでいた子供たちが動きを止めて、彼の方に視線を向ける。


「とりあえずリラについては屋敷のメイドたちに任せまショウ。屋敷から外に出すことはありまセン、ご安心くだサイ」

「お茶にいたしましょうカ。サワ様、こちらへどうぞ」

「あっ、はい。ありがとうございます」


 パトリックさんに促されて、私は中庭から出るべく入り口の扉に足を向けた。

 館で暮らす子供たちは自分たちに関係のない話だと分かると、すぐさまにまた遊びに興じ始める。その子供たちを相手取るメイドたちも笑顔いっぱいで楽しそうだ。

 なんだか保育園みたいだな、なんてことを考えながら、自然と緩んでしまう私の頬だった。

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