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BLOOD STAIN CHILD ~Diary with illustrations~

作者: maria

 リョウはある蒸し暑い夜、既にミリアがベッドで寝息を立てている中、生音でのギターの練習を一通り済まえると、冷房を点けようとしてミリアの片づいた例のない本棚にふと目を遣った。そしてそこに一冊の見慣れぬノートが置いてあるのに気付いた。

 手に取ると表紙にはミリアの好きな猫の写真がついており、「絵日記帳」と書かれていた。そういえば――、とリョウは思い出す。もう十日ほど前になろうか、夏休みに入る前、ミリアが夏休みの宿題で絵日記を書かなければならないから、日記帳を買ってくれとせがんだのを。リョウはたしか忙しかったので百円玉を数個握らせて、自分で買って来いと言ったのだった。これを買ったのか、とリョウは微笑みつつ、どんなことが書いてあるのだろうかと思わず好奇心に駆られてページを繰ってみた。


7月21日 はれ

りょうが300円くれました。みおちゃんとますだやにいって、にっきちょうかいました。ちゃいろのねこのがありました。ねこはちゃいろも、白も、黒も、すきです。みずいろと、ぴんくと、きんいろとぐんじょういろは見たことないけど、見たらすきです。

にっきはみおちゃんとおそろいです。これをまいんちかきます。


上には二人の女の子が手を繋いでいる絵が描かれている。体より大きな、猫の付いた日記帳を持っている。ほお、なかなかダイナミックな絵だなとリョウは嘆息を吐いた。


7月22日 くもり

りょうがひるにおむらいすつくりました。けちゃっぷつけるとき、みりあの「あ」がはみでました。りょうはなんもはみでませんでした。りょうのが大きいです。おさらぐらいの大きさです。おいしかったです。


上には大きなオムライスと小さなオムライスが描かれている。小さなオムライスに書かれた赤いみりあの「あ」の字がご丁寧にもはみ出している。自分の失態をこんなに忠実に書きやがって、とリョウは噴き出し、ページを繰った。


7月23日 はれ

りょうとぎたーひきました。りょうは先生ぽくないけど先生だから、みりあにおしえます。りょうにならったのは1年とちょっとです。じょうずっていうけど、もっとじょうずになりたい。そしてりょうみたくなりたい。おきゃくさんがいっぱいきます。


ミリアらしき女の子が抱いているのは、愛用の赤いフライングVである。弦の数とフレットをそれぞれ忠実に描き込んだせいで、まるでネックが太くなって南米の民族楽器のようになっている。しかしそこに書かれた決意をリョウは感心しながら読んだ。もしかすると、将来、自分と一緒にバンドを盛り立てて行き、世界のステージにも立てる日がやってくるかもしれない。そう思えば自然とリョウの頬は綻んだ。


7月24日 はれ

みおちゃんちに行ってろびんとあそびました。ろびんは犬の学校からかえってきました。へんじできて、おてできてかえってきて、ろびんはとてもべんきょうをがんばりました。ろびんはあしたはびようしつにいきます。さっぱりしてすずしくなります。


ミリアは犬の学校とやらで一体何を想像したのであろう。絵は、犬が数匹、教室らしき黒板を前に机に向かってノートを取っているものである。リョウは再び噴き出した。


7月25日 くもり

みおちゃんとじどうかん行って、どくしょをしました。

みおちゃんはずかんよみました。犬と、うちゅうのでした。犬のずかんにはろびんがいました。うちゅうのにはほうせきみたいな星がいっぱいありました。うちゅうはキラキラしてました。

みりあはむかしばなしをよみました。おじぞうさんがでてきました。おじぞうさんはいっぱいいてみんなして歩きました。おじぞうさんはちょっとこわいです。


集団の地蔵の歩行なんぞ、一体何を読んだんだ、リョウはにわかに興味をそそられる。上にも、渋駅前にあるモヤイ像の如きものがでかでかと列をなしている絵が描かれているのであるが、ミリアの絵は独特過ぎて、発想のヒントにはならない。今後直接聞いてみようかとも思ったが、それでも的確なあらすじが齎されるとは思われない。リョウは諦めて次のページを繰った。


7月26日 くもり

りょうとすたじお行きました。そしてしゅんがきてぃーちゃんのシールくれました。きらきらしててかわいいです。いちまいは、ランドセルの中にはって、あといちまいは、ノートにはって、あといちまいはおといれにはりました。こんでりょうもまいにちみれます。


たしかに昨今トイレにシールが貼られており、大して意図も考えなかったが、自分に見せるつもりであったのか、とリョウは肯いた。


7月26日 あめ

みおちゃんはひこうきのってはわい行きました。はわいはうみがついてて、あっついっていいました。

みりあはしゅくだいしました。けいさんと、かんじと、絵をしました。いっぱいおわったけど、さみしいと思いました。


 リョウは目を見開いた。親友はハワイに行っているのに、ミリアは一人留守番なのである。他の子たちも、夏休み明けにはさぞかし煌びやかな、どこどこへ行ったという話で持ち切りとなるのであろう。だのにこの地味な日記は何だ。まるで日常から一歩も出てはいないではないか。あまりに書くことがなさすぎて、遂には自分の失敗オムライスなんぞをネタにしなければならなくなっているのである。事態は深刻だ。これは紛れもなく、小学生の絵日記の中でも最下層の部類に入るのではないか。リョウはカッとなって、ベッドですうすう寝息を立てているミリアを睨むように見据えた。

 ――夏休み中にどこかに、連れて行かなくてはなるまい。しかも格別非日常的な、派手な、絵日記の核となり得る場所へ。何せ兄とはいえ、小学生の保護者なのだから。リョウはその瞳に炎を滾らせつつ、決意を固めた。


 翌朝、リョウは結論の出ない悩みに苦心しながら、とりあえずギター片手にスタジオへと向かう。決意を固めたとしても、なかなか行動には移せない。何せリョウには日々ギターのレッスンがあるのだ。

 「ミリア、寂しいだろうが今だけの辛抱だ。さすがにな、ちっとハワイは遠すぎんが、俺は俺なりに、お前の夏休みを彩る何かをだなあ、とにかく考えてはいるんだ。レッスンが休みになりゃあ、必ずや。」

 ミリアは朝食のサンドウィッチを食べながら、きょとんとリョウの顔を見上げる。

 「ミリア、お留守番してる。宿題とギター弾いて。」

 「……そうか!」リョウは苦渋の表情を浮かべ、ミリアの頭を激しく撫で摩ると、一層顔を顰めて脱兎のごとく家を出た。ミリアの小さな胸には今、どれだけの寂寥が渦巻いているのでろう。それを悟られぬよう、日記にだけ吐きだし、自分の出勤を見送る。嗚呼、どれだけ辛かろう。リョウは自己の不甲斐なさに奥歯をぎしぎし言わせながら、バイクを走らせた。

 ミリアはさて、今日は日記に何を書こうかな、とあれこれ周囲を見回してみる。とはいえ、家の中にはギターしかないのだ。ギターはどれを触ってもいいとリョウに言われている。ならば今日はフライングVではない、リョウのワーロックでも弾いてみようかな、とミリアはワクワクしながら壁に手を伸ばした。


 「おはよう、リョウ。」

 スタジオの戸を開けるなり、リョウは鬚面の店長に声を掛けられる。

 「おはようございます。今日もよろしくー。」

 リョウはギターとエフェクターボード、それからヘルメットをよいしょと降ろし、それからふうと溜め息を吐いた。「今日も暑くなるな。朝なのにもう暑い。」

 「妹さん、元気?」

 「ああ、元気元気。」と答えつつも、夏休みだと言うのに置き去りにしてしまったリョウの胸に罪悪感めいた思いが去来する。

 「妹さん、遊園地なんか好きそう?」

 「ええ?」リョウの胸が早鐘のように鳴り始めた。――遊園地。何とそれは甘美な響きであろう。

 「いやあ、この間ね、高校時代の友達の結婚式に行ったんだわ。そして二次会でビンゴ大会があってさあ、そこで何と、俺、ディズニーペアチケット当てちゃったの。」

 「……。」これは神の天啓か――。リョウは目を見開いて店長を見据えた。

 「でも、こう、スタジオは一応年中無休でやってるし、そんな遊園地なんてなあ。こーんなクソ暑い中並んで乗り物に乗るなんて、とてもじゃねえが我慢できねえし、そもそもペアなんて貰った所で行く相手もいねえしさ。で、ほら、リョウさんいつも世話になってんじゃん。いっつもレッスンでここ使って貰っててさ、だからもし妹さんと一緒に……。」

 「ありがてえ。」リョウは店長が全てを言い終わらぬ内に、ぬっとカウンターの中へ顔を突っ込み、店長の手を両手でもって握り締めた。「何ならあと十年はここ使うって約束する。否、二十年だ。バンド仲間にも個人錬に最適だっつうって、営業もしておく。だから、その何ちゃらペアチケット、くれ。否、下さい。」リョウは深々と頭を下げた。

 「あ、ああ、そんなに、欲しがってくれるなら、逆に良かった。」

 店長は手を振りほどくと(さすがに男同士いつまでも手を握り合って見つめ合う趣味はない)、尻ポケットから半分に畳んだチケットを二枚リョウに手渡す。リョウはさもありがたすに両手で受け取り、しみじみと語った。

 「俺、夏休みだっていうのによお、ミリアのことどっこも連れてけねえで、悩んでたんだわ。だってあいつの一番の仲良しがさあ、今どこにいると思う? ハワイだぜ、ハワイ。」

 「おお、そりゃあ豪勢だ。随分金持ちなんだなあ。」

 「そうだよ、で、ミリアは一人ぼっちでお留守番。兄貴はどっこも連れていかねえで、まいんちギター持って家出ていくわけよ。その内グレんじゃねえかって心配だったんだ。」

 「グレ、る。か。」ごくり、と店長が生唾を飲み込んだ。「随分古風な単語持ち出してきたじゃあねえか。」

 「そうそう、シュン曰く、女がグレると、話にならねえぐれえ、そりゃあとんでもねえ結果になるらしくてよ。」

 「そうなのか。」店長も眉根を寄せて聞き入る。

 「まず、手始めに家出だろ。しかも男の家に家出だ。こりゃあ決まってるらしい。そんで探し回って無理やり家に連れ戻した途端、どこの男か知れねえモンも連れ込んで、その内ガキできて、学校中退だ。」

 「まだ、妹さん小学生じゃなかったか。」

 「それがシュン曰く、油断はできねえらしい。」リョウは物々しく語った。「で、学校中退してまーた男の元に転がり込んだものの、男は屑と相場が決まってるから、当然働かねえで身重の女に暴言暴力一通り働いた後、あれだ。女は泣きながら帰って来る。ガキ連れてな。でもそのガキは、望んで産んだ子じゃねえから、邪魔になる。ガキを置いてまた家出、その繰り返しっつうのが、『グレる』の顛末だ。」

 「怖ぇな。」

 「ああ。」再びリョウはペアチケットを額に押し抱き、そして財布に入れた。「でもこれで、グレる心配はなくなった。いやあ、危ねえ所だった。ありがてえありがてえ。」

 「そう、……だったんか。」

 「いやあ、夏休みにどっこも連れてかねえとグレるぞってな、シュンにも言われてたんだ。でもこれで掬われた。ミリアの喜ぶ顔が早く見てえな。レッスン終わったら飛んで帰らねえとな。」

 それから三人ばかりのギターレッスンをこなすと、リョウは有言実行、いつもは店長と交わす音楽談義も一切なく、すぐさま飛んで帰った。

 「ミリアー!」

 玄関での雄叫びにミリアは喜びよりも不審げに中から顔を出した。

 「どうしたのよう。」

 「どうしたもこうしたもあるもんか。お前、グレずに済んだぞ。」

 「みりあ、ぐれるの?」

 「だから! わかんねえ野郎だな。グレずに済んだんだよ! ほら! 見てみろ!」リョウはギターだのエフェクターボードだのを玄関に放り出し、財布から二枚のチケットを取り出した。

 「今度誰来んの?」

 「違ぇよ! メタルのライブチケットじゃねえって。」

 ミリアは首を傾げる。リョウが感極まって差し出すチケットと言えば、海外メロデスバンドのチケット以外にはないのである。

 「……ディズニーペアチケットだ。」

 ミリアは目を丸くする。

 「ディズニー? ディズニーって、プリンセス?」

 「そうだ! プリンセスもいるしなあ、ネズミのこんちくしょうもいるしなあ、それにその他諸々何だかわかんねーけど脇役大勢もいるはずだ!」スマホで調べた時にはそういう絵柄が出てきたのである。

 「きゃああ!」ミリアは感極まって顔を覆って飛び跳ねだした。

 「だから、お前の夏休み絵日記は華やかになるし、グレずに済むんだ! マジで最高だろう!」

 「最高だわよう!」ミリアはグレるの意味はよくわからなかったが、リョウと遊園地に行けることが嬉しく、再び激しく飛び跳ね回った。


 そうしてスケジュールの都合を付けられたのは、翌々日のことであった。ミリアに小さなリュックを背負わせ、バイクに乗せ、向かったのはシンデレラ城の聳え立つディズニーランドである。ミリアは城が見え始めた瞬間から、後部座席で頻りにリョウに話しかけ「ねえ、あれ! あそこにプリンセスがいるの!」と何度も宣った。

 リョウにとってはプリンセスなんぞはどうだっていい。ただミリアが道を外さずグレずに生きられるであろうことが、やはり嬉しくてならないのである。シュンはいつの日であったか、スタジオの帰りに言っていたのだから――。


 「あのなあ、女がグレるのは男のグレるのとはレベルが違ぇ。お前が幾ら無敵最強のデスメタルバンドフロントマンであってもな、グレたミリアと比べりゃあ月とすっぽんだ。お前はな、井の中の蛙っつう言葉を知っといた方がいい。」

 「井の中の蛙って何だよ。」

 「俺が一番だ、最強だって思ってもなあ、そんなのは所詮井戸の中の小狭ぇ世界で言ってるに過ぎねえってことだよ。」

 「……そうか。たしかにな。」思いの外リョウが素直に肯んじたので、シュンは拍子抜けをした。

 「いやあ、お前はマジで日本のメタル界では有数のフロントマンんだけどよお……。」

 「んなのはわかってる。わかってる、けど、俺はな、実は、ミリアをまっとうに育てるにはどうしたらいいか、いつも迷ってんだよ。レッスン、スタジオ、全部放ってミリアについていてやりてえ、遊んでやりてえって思いもあれば、んなことしたら金底尽きてミリアと共倒れだっていう気持ちもあるしな。帰りが遅くてミリアの話聞いてやれなかったっつう日は、寝顔見ながら、今日は何やって何考えたんかなあって思うし。……正直、まいんちこれで良かったんか、いいんかって、そればっかりだ。ミリアに関しては。作曲だのレコーディングに関しては絶対これだっつう確信ばっかで迷いなんてものは一ミリもねえんだけどなあ。ミリアに関してだけはなあ、俺は初心者だ。ギター触り始めの、コードもわかんねえ、ガキだ。」

 シュンは目を瞬かせてリョウを見つめた。

 「てめえ、立派なお父さんじゃねえか。」

 じろりと睨む。「兄貴だっつってんだろが。誰がオッサンが、クソが。」

 「まあ、ミリアがグレる要素はねえな。一安心だ。」

 「勝手に一安心してんじゃあねえよ! グレたら、グレて井戸飛び出してとんでもねえマネしやがったらてめえも責任の一端は担わせてやるかんな!」

 「何言ってんだよ、大丈夫大丈夫。」すっかり安心し切った顔でシュンはリョウの背を叩いた。


 バイクから降りるなり、ミリアは耐え切れずにぴょんぴょんと飛び跳ねた。ぴったり揃えられた水色のスニーカーがキラキラと夏の陽光を反射する。

 「何に乗りてえ?」

 少々ミリアの歓喜に影響を受けたリョウは、にこやかに場内を見据えた。

 「ジェットコースターと、メリーゴーランドと、それから……。それから……。」ミリアも友達から聞いた程度しか知識はないのである。

 「よし、全部乗ろう!」

 ミリアは「きゃあ!」と悲鳴を上げながら勢いよく手を引かれて、中へと連れていかれる。赤髪の長身の男と小さな女の子は目を引いたが、そんなものは二人には何の関係もないことであった。二人だけのファンタジックな世界に、彼らは浸りきっていたのだから。


7月28日 はれ

 きょうはりょうとじずにーらんどいきました。ぷりんせすがいました。ミリアに手をふって、にこにこしてました。ミリアもいっしょけんめ、おおきく手をふりました。そのまえに、びっぐさんだ、まんてんにのりました。りょうのバイクよりもはやくて、上にも下にもいって、目がまわりました。そしてメリーゴーランにも載って、ティーカプにも載って、車にも乗りました。ミリアがうんてんしました。それから、りょうとずっといっしょでした。りょうとお外でごはんべて、りょうと一日あそびました。りょうがおにいちゃんですごくすごくうれしいです。


 絵にはプリンセスもその他のキャラクターも誰もいない。ただ真っ赤な髪を一つに結んだリョウと、しっかと手を握り合っている小さな女の子がいるだけである。リョウはそれを観て照れ臭そうに笑った。ミリアはベッドで満足げな寝息を立てていた。

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[良い点] これはお父さんですわ・・・。
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