弓矢の話
「弓矢を習いたい」
不思議な姉弟のレモンが、訪ねてやって来た。自分を探し出すのに時間がかかったのだろう。ボロボロになった服には泥やら草やらが付いている。
迫真の表情で、弓矢を見つめそう答えた。
「何があったっち」
息切れをし、視線も定まらないレモン。疲れを癒すよりも自分の言葉を優先している。
「俺、強くなりたい」
あそこは安全とは言い難い。巨人もいるし、敵対心を持つものも少なからずいるだろう。姉が幼くなったことで特に感じてはいるだろう。守らなくてはいけないと。
「銃って手段もあったけど、止めた方が良いって言われて。サバイバルナイフがあっても、戦い方も知らないし」
誰に銃の話をされたのか分からないが、言った相手は正しいと思う。簡単に手に入るものでもないし、手入れも大変だ。暴発する可能性もある。
弓矢だって同じ反面もある。だから一概に教えるとも言えない。
「危険っち」
「聞けないって」
「そっちじゃない。危険なんだっち。矢も一歩間違えば味方に当たる」
「……」
「これだって生活のためにしてること。我は猟師だから」
「……そっか」
「きみに、人の命を奪う、生命を奪う覚悟はあるっち?」
「……」
きっと何も手を出したことがないのだろう。こう言っては失礼かもしれないが生ぬるい生活をしてきたに違いない。
「教えるのは構わないっち。ただ、これで人の命を奪うことはしないでほしい。特に、きみみたいな若い子は特に」
自分たちの村では、ライムよりも幼い時から弓矢を習う。そして狩猟をして生活を成り立てている。だから教えることに抵抗はないが、決して人の命を奪うことは許されない。
「警告のためなら、構わないか?」
「……うーん。そうだね」
それで相手が逃げれば良いが、必ずしもそうとは限らない。逆上して襲ってくる者もいる。
「ライム」
「?」
「この弓矢はね、所有者が一から手作りするっち。幼い子達はまず、これの作り方を習う。大事に使うために。もう一つの腕だから粗末にしないようにな」
「……」
「そして責任も全て所有者にあるっち。狩猟相手も、たかが生き物ではなく、大なり小なり命なんだ」
「うん」
「きちんと捌けるっちか?」
「それも教えてくれると助かる。スルーフの手伝いなれば良いとも思ってるし」
「……分かった。ライムの意思は伝わった」
自給自足をしているスルーフ。一人で生活するなら賄えることも、二人増えると訳が違う。二人がどんな手伝いしてるのか分からないが、ライムが狩猟してフォローしたいという気持ちも分からないでもない。
「教えるっち。まずは、弓矢作りから」
これを完成させる精神がなければ狩猟する資格はない。
集中を鍛えるためでもある。
「これは……」
木材の選び方から、しなりの良さ、手の馴染み、丈夫さを教える。
そして替えの弦をライムに渡して、張るのを見つめる。
「……っ、く」
「ここが一番大変だっち。下手に力むと切れるっち」
「冷静に、冷静に」
「そうだっち。精神統一の役割もある」
「……よしっ、と」
「手先が器用だっち」
子どもと比べるのも酷な話だが、ライムは結構細かい作業が得意なようだ。スムーズにことをこなすと、弓が出来た。
点検をすると、初めてにしては出来が良い。
「次は矢だっち」
「え?」
「矢。弓矢の矢」
「ああ、そっち。聞き間違えがあるな」
「矢が出来ると、材料さえあれば量産できるっち」
「でも、厳しいんだろ」
「そうだっち。弓より難しい」
矢に使用出来そうな木を探しながら、羽や石を捜す。時折、ライムは弦を引っ張って射つフリをしたりしてる。射ち方も教えなくてはいけないな。
「鏃という」
「ぞく?」
「やじり、とも言う」
「ああ、やじりは聞いたことある。金属ではないのか」
「簡単に手に入らない。それに、加工する術もないっち」
「ああ、そうか。昔は石だったんだな」
「骨を使う場合もあったっち」
「骨!?」
「矢羽根のために鳥を狩るが、その骨も大事に使うっち」
「なるほど、捨てる部分はないってわけか」
「ただ、きみが住む世界の鳥とは違うかもしれないから」
「そりゃあそっか。矢羽根って確か、雉とかだっけな、タカ、ワシ」
「聞いたことはない。それは、どんな鳥なんだ」
「獰猛で、大きめな鳥なんだ。それにカッコイイ」
「最後はともかく、大きい鳥というのは当たってるかもしれないっち」
ライムが住んでるところはどんな場所かは分からない。国ごとに動物が違うから、一概に正誤の判定は出来ない。
「けっこう大変だな。加工の道具を探せばありそうだけど、最初は手作業だったんだよな」
石の加工が一番大変だった。出掛けるために色んな道具を持ってきたが、ここで役立つとは思わなかった。
「あー、手がビリビリする」
「大変だということ、生活がどれだけ苦労の積み重ねだということ、それを理解してもらうために小さいうちから教えるっち」
「すげぇな。小さいうちから、これ作るんだ」
「そして、子ども孫へと伝えていく。我たちの一族はそうして続いていたっち」
「カッコイイな。なんか、言葉が上手く見つからなくてモヤモヤするけど、ほんとカッコイイ。ただ流されて生きていく俺たちとは違って”生きて”いるんだな」
こちらからしたらライムの言ってる意味が分からなかった。彼らの若い者たちは生きてはいないのだろうか。世界が違うと、考え方も変わってくるようだ。
「一本できた……やっと」
「大事に使ってくれ」
「うん」
その一本を持ってライムは嬉しそうに、はにかんだ。少し女性っぽい顔立ちのせいか、男に思えなかった。きっと自分の村にいたら、女々しいとバカにされていたかもしれない。
「かわいいな」
「は?」
「いや、矢一本でそこまで喜ぶとは思わなんだ」
「バカにしてるだろ」
「あはは。我の村に来てたら大変だっち」
頬を赤くしてムキになっている。子どもっぽいと思われたのが嫌だったのか拗ねている。
姉のことを思うと、大人にならなくてはいけないと必死になるのだろう。
「じゃあ、射つ練習をしようか」
「おう」
そして子どもっぽい笑顔をまた浮かべた。的を用意し、ある程度の距離をとる。
「止めて」
「っ……」
弦を引っ張った瞬間で止めると、息を止めたライム。少しだけ筋肉がプルプルとしてる。
「体のラインが悪い。もう少し背中を伸ばして」
「……はっ」
後ろから体の歪みを直す。腕を後ろに引っ張って、背中が丸まらないようにすると、変に息を吐いた。
「ち、ちかっ」
「この手は、動かさない」
「み、耳に」
「動かさない」
「……はい」
変に動揺するライムにピシリと叱るようにもう一度、言葉を言えば素直に聞き入れる。
的に近い手がプルプルと動くため、命中しなさそうだった。
「息吸って」
「……すぅ」
「そして止める」
「……」
「吐いて」
「吐く!? 止めて的に合わせるんじゃ」
「逆に呼吸が苦しくなり射抜く率が悪くなる。長く止めると、ぶれてしまうから」
「なるほど」
「一瞬で決める」
自分が手を添えたお陰か、真ん中を突き刺さっていた。耳元で聞こえる空気を切る音はいつ聞いても良いものだ。
「……すっげぇ」
「普段なら、動くターゲット。こんな簡単ではないっち」
「……練習あるのみ、だな」
「そうだっち。最初から上手い者はいない」
「って、平然と後ろから教えるんだな。とある映画の陶芸をするやつみたいだよ。オバケかよ」
「意味が分からない」
「……俺も言ってて混乱してる」
ライムは恥ずかしそうに離れた。耳まで赤くなっている。
「こう教えるのが簡単なんだ。代々こうして教わってきた。何を恥ずかしがってるっち」
「教わるのは家族だろ。赤の他人、しかも同性にはしないだろ」
「するが」
「……するのかよ」
小さく呆れたように呟いた。赤くなっていた耳を隠すように手で触れている。なぜ、そこまで動揺してるのか分からない。
「そういや、ユメリは?」
「村に置いてきたっち。今日は動けそうにないって」
「大変だな」
「普段は、元気ならば必ず連れて来るのだが」
「……アメリは、これからも猟師でいるのか?」
「そうして生きてきた。これから先も変わらないっち」
外の世界を知れば小さな世界を満足に生きられないかもしれない。けれど、変わらないこともある。
「もう一回」
矢を回収し、もう一度引っ張るがまた背中が丸い。背中に手を当てて真っ直ぐにする。
「背中全体で力を使うように」
「……」
「そう。良くなってきた」
揺れ動きが少なくなり、安定もしてきた。手助けをしなくとも、問題なくなってきた。
「集中力をもう少し高めるべき」
「集中力を」
「きみ、けっこう集中力ないでしょ」
「よく言われます」
「ある時は声も届かないけれど、ない時は続かない」
「まさにそれです。小説書いたりしてるけど、調子の良い時は一気に書けるけど、ダメな時は他のことがしたくなって」
「他の、雑草の揺らめきや、物音に気持ちを持っていかれたら狙えないっち」
小説を書いてることは初めて知った。気が多いのかもしれない。彼の世界は魅了する事柄がたくさんあるのだろう。
「狩猟は生きることと同率。次に持ち越すことは出来ない」
「……」
「危険とも隣り合わせで、いつ命を落とすかもしれない」
「……」
「次はない。それだけは肝に銘じとくべき」
「分かった」
「あの子を守るのは大変かもしれない。互いに大変な姉と妹を守るために頑張るっち」
「ああ」
気が付くといなくなってしまう互いの姉と妹。守ることは凄く難しい。特に狩る立場であると、守りにつくのは本当に困難だ。
だからこそ兄と弟、男手である自分たちが力を発揮しなくてはいけない。
かわいい可愛いたった一人のキョウダイ。この弓は狩ることが出来る、けれど守ることだって出来る。