エルフの話
少しだけ気温が低めの今日。寒い朝だと体を縮めていると背中がふと温かくなる。そして何やら感触があることに気付いてため息をしてから肘で小突く。ふにふにとした柔らかい感触に一瞬だけ疑問に思った。
「姉ちゃん……いつの間に戻った?」
声に出したのは認めたい半面と認めたくない半面で悶々としていたからだ。誰もいない空間に声を出す、まるでそんな感じだった。
姉ならばもっと容赦なく抱きつくし、何よりベタベタと体を触りまくる。それがないのが逆に恐怖だったりする。
「……誰だよ」
ふと思い出すことは、小学校の時の修学旅行だ。男女別の寝室にて、朝目が覚めると隣に数人の女子がいたことだ。山積みのように重なってる姿に自分もだが、同室だった友人たちも引いていた。
その時の恐怖はきっと消えないトラウマとなるだろう。好意もない、しかも当時は恋に興味もない小学生である自分では嬉しさの反対側の感情しかない。
「……姉ちゃんだって答えてくれよ」
それならば容赦なく蹴りを入れられる。いつものことだし、何よりそれをされても喜ぶほどの変態だ。蹴りつけるというよりは、ベッドから落とすように蹴って押すだけ。
背中に当たる柔らかいものは、元の世界の姉とは別物のもので、今まで(この世界で)会った人物の中で一人しか分からない。
けれど寝室に侵入してくるとは思わなかった。
映画をふと思い出し、その通りに行動してみることにした。枕の下に隠していたサバイバルナイフを取り出し、しっかりとホールドされてはいない腕から抜け出して、股がるように腕を押さえて首にナイフを当てた。
「……っ」
こんなことをされるとは思ってなかったその人は息を飲み込み、当の本人は予想を裏切ることのない想像通りの相手に息を吐いた。
こんなあっさりと行動を起こせたことに驚いたが、それ以上に今の行為にも動揺しそうになる。
体のラインが見えるほどの薄手のカーディガンっぽい灰色の服。その中は着てないのかすぐに肌が見える。豊満な谷間に視線がいくのは思春期である少年には仕方のないこと。
「勝手に布団に入るなよ」
「……だって」
上気した赤い頬は色白の肌に映えるほどだ。少しだけ涙ぐんだような瞳がライムから反らして遠くを見つめた。拘束されてない左手が頬に乗せる。眠たい目を擦るような動作っぽい。
萌え萌えとなりそうな手が隠れるほどに長い袖から見える白く細い指先。
「ミリア……なんたってこんなことを」
エルフ独特なのか長めの爪が肌を傷付けそうで不安になる。
そしてふと、エルフって長生きだったよな、と空想に浸っていた。
「……ライムに抱きつきたかった」
「……バカじゃね」
女心が理解できないライムは本気で呆れたように冷たい言葉を吐露した。
行動そのものがレモンと大差ないため、ただの変態という認識しかないのだろう。けれどミリアはそんな冷淡な言葉も耳には入っていなかった。
「ライム、良い匂いがするし」
「オオカミ男の娘みたいなこと言い出すなよ」
「なんの話」
「俺は寝起きが最悪だからな。二度とこんなことすんな。次は容赦しない」
機嫌が悪いのを丸出しに、目を細め睨み付けるとそのままベッドから離れた。本来ならこれ以上ないほどのイベントだというのに、勿体ないことをしているライムだった。
「ねー」
「ヤです」
「ヤー……って、おでん好きな三人組じゃなくてさぁ。良いじゃんー」
もう一人の変態は、まさかの弟ではなくスルーフの寝起きを襲おうとしていた。けれど、色っぽい展開があるわけでもなく、レモンはスルーフの腰をコショコショとくすぐった。
「ダメなものはダメです」
「なぬっ!? くすぐりが効かないとは!」
「第一、姉弟なんですから一緒に寝れば良いじゃないですか」
「それは無理なんだなぁ」
「なぜです」
「ライくん、寝起きめっちゃ悪いからさぁ、あたし昔に死にかけたし」
「……」
くすぐりの効かないスルーフはレモンに背を向けていたが、引っかかる言葉に寝返りをした。
ここはキングサイズのベッドの上。
「死にかけた?」
「うん。あの子、眠りを妨げる者は許さんっていう前世があったんだよきっと」
「どんな前世ですか」
「首絞められたね。窒素して、三途の川を渡りかけた」
「……さんずが何なのか不明ですが、恐ろしいです。それじゃあ仕方がないですね」
「部屋二つしかないんだもん。スルーフと一緒に寝るしかないさ」
「……」
「なんなら、もう一部屋建築しようか」
素晴らしく良い笑顔で言い放つが、スルーフは兎も角、建造技術なんて持たない二人は単なる足手まとい。
ここに来てから一緒に眠ってるが、未だに慣れそうにないスルーフだった。
「んでさ、ねー」
「だから嫌です」
「見たいのー」
「見たがらないでください」
最初の話に戻っていた。人によっては、いかがわしい会話のようにも思えるものだ。スルーフの二の腕の服だけを摘まむように引っ張った。
「減るもんじゃないしー」
「……見たら元通りにはなりませんよ? それでも構いませんか」
「?」
「見なかった頃と同じ態度はとれません」
「……なんかホラーチック?」
「その言葉の意味は分かりませんが、発狂する可能性も視野に入れてください」
「うーん。そんなにみったくないのー?」
「は?」
「姉ちゃんそれ、ばあちゃんとこの方言じゃん。みっともない、とか醜いって意味だよ」
「おはようございます、ライム」
「……はよ、スルーフ。ふぁ」
参加するようにライムが部屋の前を通り過ぎる寸前に立ち止まった。挨拶の最中に眠気が訪れたのかアクビをした。
おばあちゃんっ子のレモンは夏休み中に覚えた言葉を使った。
「ってか、何してるんだよ」
「ライくんさぁ、気にならない? 見るの」
「姉ちゃん、変態だとは思ってたけどここまでとは」
「あ゛?」
「……時たま出る怖いブラックお姉さま」
「レモンは顔を見たいと言い出したんです」
何故か大好きな弟に向かってドスをきかせた声を出す。おそらくライムに対しては変態になれるが、その他の人物(異性)に対しては究極の変態にはならないと後の研究者は語る。
「スルーフの顔、絶対に気になるじゃん」
「……まあ、気にならないって言ったら嘘になるけど」
「……ライムまで」
「だからって無理矢理にってのはなぁ」
「無理矢理じゃないじゃん。強制してないし」
「退かないから強制だろ」
「……うう。ロリ化したせいか早く眠くなるからスルーフより先に寝ちゃうし、朝食作るから、スルーフより後に起きちゃうし」
「隙がないんだよなぁ、スルーフって」
「そう!」
どう足掻いても眠気には勝てず、八時頃にはすでに瞼がくっつきそうになる。なのに、朝早く起きたとしてもスルーフがもう朝食を作っている。
ちなみに、何もないこの辺りじゃあすることもないライムはメモにネタを書き込んだりしてるがすぐに寝落ちしてしまう。
「あ、すみません。すぐに朝食を……」
「どうせ昨日の残りが残ってるからって遅くまで寝てたんでしょー?」
「手抜きでごめんなさい」
「いやいや。美味いから正直三日くらい続いても平気だけどな」
「たくさん作ったしね。カレー」
「カレー粉擬きがあるとは思わなんだ」
「んめ」
「……え?」
「美味しいってこと。ってかさ姉ちゃん、東京でも通じないんだから異世界で通じると思うなよ」
朝のゴタゴタはすぐに収拾の一途を辿っていた。スルーフはベッドから抜け出し、キッチンに向かい、レモンは端切れから作った新たな服に着替えた。
ライムはスルーフのお古を着ている。少しブカブカで、フード付きだったが被ることはせず、パーカーみたいになっていた。
「もうちょい可愛いの着たいなぁ」
「ワガママ言うなよ」
「いやん。肌を見られちゃった」
「……朝から疲れてんだから止めろよ。変態は二人もいらない」
「ん?」
ミリアが来てることを知らないレモンはただただ首を傾げるだけだった。ライムはその疑問に答えることなくリビングに向かった。
「異世界っていや、この世界ファンタジリアだっけ? 前に来てた元傭兵」
「ロイ」
「そいつが言ってたけど、旅して色んな国を回ってるって聞くけど、どのくらいあんの?」
「……正確には分からないです」
「分からない?」
「今、一秒一秒で変わってることです。滅んだり、建国したりと。だから正確な数は不明なんです」
温めたカレー(?)をテーブルに並べて朝食となった。なぜか平然といるミリアは無言で食べている。
「大体すら分かんないのか?」
「世界は広いからねぇ。高速スピードの乗り物に乗っても何年もかかったりするから」
「……そこらへん疑問だな。ロイやリーフがいた国みたいに科学が発達した国もあれば、未だに農作で生活してる国もあるのか?」
「もちろんよ。魔法が使えるとこ、種族がまとまって暮らすとこ……色々ね」
「争いねぇの?」
「そりゃああるでしょ。文化の違いから何から。唯一同じなのは言語だけね。古代語とかエルフ語ってのはあるけど、公用語は同じ」
「……ふーん」
「聞いてきてその反応なの」
朝のことを払拭するようにミリアはライムに近寄り説明をする。ライムは相変わらず無反応で、レモンは頬を膨らませている。
ここに来て数日、未だに理解範囲を越している。
「エルフ語とか古代語て食指が動くよなぁ」
「厨二病?」
「……」
「ああ、リアル中学生だもんなぁ。反応しないわけないわ」
「うっせ」
ファンタジーの世界ですら反応しないわけがない。しかもその不思議が詰まった空間に放り出されてるのだから尚更。
この世界の本を見たくて仕方がないが、スルーフの家にあるのは植物図鑑のようなものや、炊事、洗濯などの主婦がするようなことを書いた本ばっかり。
ウズウズとさせるようなものは見付からなかった。
一番ありそうなミリアの家に行く度胸はまだない。
「スルーフ、これ美味しいわね。新しいレシピ?」
「二人の国のものらしいです。材料が足りないのが残念ですが」
「でも近いよ。なんか懐かしい味」
「ばあちゃんが作る飯っぽいよな」
「あ、分かる。味付け似てるよね」
「そういや、ばあちゃん結構とんでも料理作ったりするよな。レシピガン無視で」
「でも美味しい」
「そう。見たことない調味料入れてるけど美味い」
何となく美味しく懐かしい味になる。置いといたから味が馴染んだのも理由の一つだろうが、不思議なほどに愛しい。
「ミリアは料理は?」
「ミリアは作れませんよ。いつも真っ黒なものを作ります」
「ダークマター使いだったとは……」
料理を作れそうに見えなかったからレモンが聞いてみると案の定、料理は下手なようだ。そして新たに聞いた情報では、やはりエルフは長生きらしい。
でも長いこと生きるのに料理が下手だと大変ではないだろうか?