黒髪の仕立て屋,
その日仕立屋カーバンは、不機嫌な顔で馬車に揺られていた。
茶色い髪をした物腰の柔らかい従者が、主をなだめるように話しかける。
「王都一番の仕立屋と評判の高い旦那様の作ったドレスを、第二王子サルファー様の恋人が、王宮の舞踏会で披露した。
それはとても名誉なことです。
なのに旦那様は、どうして怒っているのですか?」
旦那様と呼ばれた黒髪の仕立屋はドレスのデザイン画を描こうとスケッチブックを開き、馬車の激しい揺れに諦めて顔を上げた。
「何が気に食わないって、全部だ!!
第二王子の恋人、オレンジ姫は俺の作ったドレスの色が気に入らないと、バレッドローズの花を使って染め直させた。
あの花は一晩たつと赤から薄汚い灰色に変色して、しかも異臭を放ち始める。
俺が異国から取り寄せた高級レースを使い半年かけて仕立てたドレスを、一晩着たきりで、翌日には燃やして捨てたそうだ。
俺の最高傑作を、あの女は使い捨てのドレスにした!!」
舞踏会の翌日、仕立屋カーバンの店には同じドレスを求めて貴族の娘たちが大勢つめかけ、それが更に彼の怒りに油を注ぐ。
怒り狂った彼は店を閉めると王都から飛び出し、以前から誘いを受けていた鉱山貴族の屋敷に向かう。
険しい岩山をいくつも越え、五日がかりで辺境鉱山に到着したその時……。
広場前を通りかかった馬車は突然の落石に巻き込まれ、黒髪の仕立屋は馬車と一緒に岩に押しつぶされた。
カーバンは真っ暗な闇の中で意識を取り戻したが、全身が激しく痛み体が動かない。
しばらくして暗闇に目が慣れると、カーバンは巨大な岩に押しつぶされた馬車の隙間に横たわっていた。
体を起こそうとして、左足が岩に挟まったまま動かない。
一枚岩に挟まれた狭い空間に、自分の近くに二人、奥の方から数人のうめき声が聞こえる。
地面に流れる赤い血を見て、どこか怪我をしたのか確認すると、それは自分の真横で倒れた男が流した血だった。
暗闇に目が慣れて周囲を確認すると、子供一人通れそうな小さな隙間が外につながっている。
「おおい、助けてくれ!!
俺たちは岩の中にいる。
早くここからだしてくれ!!」
自分が助けを呼ぶ声は、外まで聞こえたか?
この穴に数人が閉じ込められているが、一人は大怪我をして気を失ない、自分は片足が岩に挟まってここから動けない。
カーバンは応急措置として、大怪我をした男に治癒魔法を施す。
その間もミシミシと嫌な音を立てて、真上の一枚岩が少しずつ下がってきた。
「ちくしょう、王都一の仕立屋カーバンが、辺境の鉱山で岩に押し潰されて死ぬのか。
俺はまだ、自分の最高傑作のドレスを生み出していない、こんな場所で死ぬのは嫌だ!!」
***
「た、助けてください!!
馬車が石に押しつぶされて、旦那様が下敷きになっています」
広場入口を巨人王の盾で塞いで魔法石をくい止めたが、別方向に落ちた巨大な岩が、運悪く王都から来た仕立屋一行の馬車を直撃したらしい。
大勢の鉱山奴隷と監督者が現場に駆け付けたが、馬車の上に乗った巨岩は少しずつ下に沈んでゆく。
「岩の下に空洞から男の声がする、中に人がいるぞ!!」
「でもこの小さい隙間じゃ、外に出られない」
馬車の上に乗った岩は小山のように大きく、何度も落石事故を知る奴隷たちは哀れみを込めた口調で言う。
それでも御者の男は周囲に助けを求め、そして岩と砂まみれの鉱山に場違いな薄い桃色の優雅なドレスを着たシルバー姫の存在に気が付いた。
「何故こんな場所に、貴族の姫がいる?
しかし貴族なら魔法が使えるはず。
どうか姫様、旦那様を助けてください」
「私は元大貴族のシルバー。
しかし今は大貴族の地位を剥奪され、大罪人として鉱山に送られた女です。
あなたは大罪人の私に、助けてもらいたいですか」
「旦那様が助けられるなら、罪人でも悪魔でもかまいません。
お願いします、シルバー姫。旦那様をこんな場所で死なせたくない!!」
必死で頼む茶色い髪の従者に、シルバー姫は頷くと粉々に砕けた馬車の上に乗る巨岩に近づく。
「旦那様、大丈夫ですか。今助けますっ」
従者が岩穴の隙間から声をかけると、中から微かにくぐもった声が聞こえる。
常人の十倍の視力を持つシルバー姫は、岩の中に閉じこめられた人影が見えた。
しかし上に乗った岩で、押し潰されそうになっている。
「もうダメだ、諦めろ。この狭い穴は通り抜けられないぞ」
「王都の人間がこんな場所で事故に遭うなんて、人の運命は分からないな」
華奢なシルバー姫なら岩の隙間に中に入りこめるが……。
意を決した彼女はドレスの大きく膨らんだ袖を引きちぎり、薄い生地が重ねられふんわりと広がるドレスを引きちぎった。
ドレスの腰に巻いた大きなリボンを解くと、それをロープ代わりにして岩の隙間に体を滑り込ませる。
「私が合図をしたら、このリボンを引っ張ってください」
「分かりました、シルバー姫。どうか旦那様を助けてください」
シルバー姫は義母の暗殺者から逃げ隠れるために習得したほふく前進で、狭い岩穴を進む。
巨岩の下にできた狭い空間に、折り重なるように数人が倒れている。
仕立屋カーバンは、突然暗闇の中に差し込んだ銀色の光に驚き、岩に足を挟まれた痛みに堪えながら顔を上げる。
その眩しい光は、銀色に輝く娘の髪。
そして信じられないことに、華奢な体をした銀髪の娘が下がってくる巨岩を両手で支えている。
巨岩に押し潰される寸前、岩の隙間に入りこんだシルバー姫が千人力の剛腕で巨岩を持ち上げた。
「ギリギリで間に合いましたね。
でも彼らは怪我をして自力で脱出できないし、私が岩から手を離せば全員押しつぶされてしまう。
こうなったら……私の拳で岩を砕くしかないわ」
もはや外に逃げる時間はなかった。
シルバー姫は師匠から授かった護身術の型をとり拳に意識を集中させると、頭上の岩の中心めがけ、渾身の力で拳を叩きつける。
ずずっ、ドォオーーーーン!!
突き上げるような硬い音が巨岩の下から聞こえ、そして岩の真ん中から一直線の亀裂が走る。
「なんだありゃーーっ、巨岩が真っ二つに裂けたぞぉ」
馬車を押し潰す巨岩はふたつにパックリと裂けると、左片方は反対側に転がり落ちたが、もう片方はシルバー姫の頭上に落ちてくる。
次の瞬間、シルバー姫は常人の十倍の動体視力と反射神経、そして千人力の拳で落ちてきた岩を突き、砕かれた岩は一瞬で砂粒になった。
※千人力=握力130×1000、腹筋220×1000ぐらい