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残光のステイシス  作者: 谷口由紀
第一章
5/21

繋がれる、手

 イミナの声が聞こえた、その瞬間だった。


 世界のそこかしこから放たれた炎の弾丸が、ほんの一瞬前まで俺が立っていたところに降り注ぎ、巨大な爆発を引き起こした。


「――うぐっ!」


 直撃だけはまぬがれたものの、凄まじい爆炎をまともに曝された俺は、そのままステージから叩き出されるように打ち倒された。

 そんな俺を助け起こしてくれたのは、桐香だった。


「……手ひどく、やられたわね」


 桐香に支えられて立ち上がる。ポーフィックに与えた傷と、俺が被った傷。どちらが重いか。分からない。


 桐香の様子をうかがう。爆心から距離があったせいか、彼女が受けた傷は浅かった。そのことには安堵したが、気になったことがひとつ。彼女の手に、持っていたはずの鎖鞭がなかったことだ。


「桐香、武器はどうしたんだ」


 俺が聞くと、桐香は俺の「処刑人の剣」を指さした。


「わたしの武器を作り出すぶんの余力を、樹の剣に注いだの。そうすれば、ほんのちょっとだけど均衡を破ることができるからね!」


 そう言って、桐香は煤で汚れた顔に、笑みをうかべた。


 改めて、俺はポーフィックの姿を確かめる。かれにはイミナの加護があるため、さきほどの爆発によるダメージは皆無だ。だが、「処刑人の剣」による一撃での傷は、けっして軽くはないようだった。肩の傷口から、かれの「存在」そのものが溶け出し、空中へと放たれている。それは血肉のように生々しくはないが、かえってこの世界での人間の脆さを際だたせていた。


 俺がポーフィックに詰め寄ろうとしたとき、爆発によって破壊しつくされた情景が、急激に歪み崩れ始めた。この世界を満ちていた肌を炙る灼熱の炎は、すみやかに力を失う。精神をかきみだすサーカスの音楽も、力尽きたかのように消えていく。この世界の構成物、そのすべてが、灰色のうつろな空間のなかに溶け落ちていった。


「――思ったよりずっと手強い、わね!」イミナの声だった。


 溶けて消えゆく情景のなかで、イミナはポーフィックをかばうように俺たちの正面に現れた。手にしている武器は、幾本もの短刀。それを道化師さながらに、くるくると弄んでいる。その瞳には、まだまだ衰えぬ力が宿っている。ひとたび広げた情景『サイコ・サーカス』を失ったあとも、イミナは危険だ。


 へたり込んでいたポーフィックは、よろめきながら立ち上がろうとしたが、それをイミナは制した。


「ごめんなさい、ポーフィック。獣たちとこの世界を操るのに心を奪われすぎたわ。でも、心配しないで。大丈夫、私たちなら勝てるから。……見てて」


 燃えさかる火炎も、大がかりな舞台装置も消え失せたこの世界で、イミナは短刀を握りしめて、身構えた。


 俺もイミナに刃を向ける。

 そして、背後の桐香に声をかけた。


「桐香、お前の『情景』、描けるか」


 返事はなく、かわりに苦しげなうめき声だけが聞こえてきた。

 振り向くと、桐香もまたうずくまるように足下に倒れていた。


「……桐香!」


 改めて彼女の身体を確かめると、あちこちが焼け焦げ、そして獣の牙によって引き裂かれていた。……そうだ。俺がポーフィックと一対一で戦えたのは、彼女がイミナの『情景』に真っ向から挑んでくれたから、だった。そして、俺がポーフィックを斬るために得た力は、桐香が戦うための力。それを失った桐香は、ほんの一瞬とはいえ、無防備になってしまったのだ。


「ごめん、樹。ちょっとだけ……ヘマしちゃった」


 俺の足下で桐香が弱々しく、しかし気丈に笑う。


 「もうちょっと力が残っていたら、なにか工夫もできたんだけど……。樹、悪いけど、あと頼む……ね」


 それだけを言い残すと、桐香は昏倒した。傷ついた手足からは、まるで崩れ出すかのようにさらさらと「存在」が零れ出る。桐香の肉体、記憶、心……。


 その様子を観察していたイミナは、はっきりと告げた。


「イツキ。約定を交わしましょう」


「約定?」


「そう。あとは、私とあなたの一騎打ちで勝負を決する、ということ。私は、もうポーフィックを戦いに巻き込みたくない。あなたも、キリカを危険に晒したくはないでしょう。……どうかしら」


 イミナの瞳に強い光が宿る。まるで、射貫かれているかのような錯覚を覚える。だが、その眼差しはどこまでもまっすぐだった。ほんのすこし前に出会ったときのつかみ所のない印象は、とうに消え去っている。目の前にいるのは、まぎれもない難敵だ。


 俺は、イミナの提案に頷いた。


「もちろんだ。その約定、たしかに聞いたぞ」


 その返事に、イミナは満足そうに笑った。


「うふふ、良かった! そうよね、そうこなくっちゃね。もし受けてもらえなかったら、私、あなたのことを心の底から嫌いになっていた筈よ!」


 俺もだよ、と、内心で呟く。

 互いの存在を打ち消し合う戦いでありながら、俺はまるで心が晴れ渡っていくような気分になっていた。イミナとポーフィック。ふたりの高潔さには、全力をもって報いなければならない。


 一呼吸の間。それが、互いに意識を切り替えるのに要した時間だ。


 俺は、全力でイミナに撃ちかかる。イミナの武器は短刀。彼女がどれほどの使い手だろうと、両手剣を受け止めきるのは簡単ではないはずだ。


「よけるに決まってるでしょ!」


 イミナはしなやかな跳躍でその一撃をかわす。空中で姿勢を崩すことなく、短剣を投擲する。

 俺は、剣の平でイミナの短剣を跳ね飛ばしつつ、彼女の着地点へと走る。ほんの一瞬でいい。彼女が体勢を崩したときが、終わりのときだ。


「イミナ! これで終わりだ!」


 彼女が現れるはずのところを、俺は薙ぎ払う。一撃だ。それで――。


「まだまだねっ!」


 だが、イミナは空中で弾みをつけて身をよじると、両手に持った短刀を十字に構えて俺の刃を受け止めた。その勢いを殺しつつも、軽やかに受け身を取った。イミナの身のこなしは、まさしく道化師のようだった。その二つ名は華やかな服装だけで名乗っているわけではないことを、今更ながらに理解する。


「こんどは、こっちの番ね!」


 弾かれるように突進するイミナ。両手から繰り出される突きは、まるで弾丸のようだ。


「……結局ね。どっちが勝っても同じなの。この、訳のわからない世界に立ち向かうために、誰もがいろんなものを手に入れなきゃならない! だから……安心して消えなさい! この世界を解き明かすのは、私とポーフィックがしてあげるから!」


 その言葉は決意表明か、それとも悲鳴か。俺には分からなかった。


「イミナ! 俺たちもお前たちも、ただの踏み石じゃない! 乗り越えたかったら、力づくで行くしかないんだ!」


 打ち込み、薙ぎ払い、叩き落とす。

 俺は『処刑人の剣』を振るう。

 切り裂き、突き徹し、滑り込ませる。

 イミナの刃は、まるで流れ星のようだ。


 世界はもはや、なんの意匠もまとってはいない。明るい灰色で塗り込められた、単調な空間が広がるのみ。だけど、俺とイミナは、かぎりなく濃密な時間を共にしていた。


 イミナの瞳は、研ぎ澄まされた意思を秘めて、どこまでも鮮烈な輝きを見せる。

 意思の力をおのおのの武器に託して、繰り返し、くりかえし刃を交わしつづける。


「――負けたくないの!」


「俺だって!」


 しかし、既にひとたびは「情景」を描いたことで精神を消耗しつつあったイミナの力は、勢いを失いつつあった。

 短刀の刃は欠け落ち、まるで紫電のように鋭かった身のこなしも、今では俺の目にも捉えることができた。


(桐香、ありがとう。お前が俺のためにくれた力、まだ残っているよ)


 俺の手の中にある「処刑人の剣」は、いまだ力を失ってはいなかった。


「――イミナ!」

 その名を呼びながら、空からの一撃を狙うイミナに、俺は最後の一撃を撃ち込んだ。


「イツキ! これで終わりよ!」


 イミナは、両手の短刀を身体ごと叩き付けるかのように、空中から繰り出す。

 両肩に、灼けつくような衝撃を感じた。

 イミナの双刀が、俺の肩に突き刺さる。


 だが、俺の「処刑人の剣」は、イミナの鎖骨に深々と斬り込んでいた。


「……あ」


 イミナの瞳にやどる意思の光が、ついに揺らぎ、衰えた。彼女の身体は、ゆっくりと足下へと落ちた。その手からこぼれ落ちた二本の短刀が、イミナの精神力が途切れたことで、音もなく霧散していった。


「……ふふ、悔しい。私たちよりも、あなたたちのほうが、……ほんのちょっとだけ、強かった、みたいね」


 倒れ伏したイミナが、あえぐように呟いた。彼女の肩からは、まるで噴き出すように彼女の「存在」そのものが流出している。

 イミナは、そこに手をやる。掌だけでは塞ぎきれない。


「俺たちの、勝ちだ……」


 俺は、そう呟いた。

 この結末が欲しくて戦っていたはずだ。だけど、ここに魂が高揚するかのような勝利の喜びはない。

 倒れたイミナは、そんな俺の瞳を覗き込んで、微笑んだ。


「……『どっちが勝ってもいい』なんて言った時点で……もしかしたら、私の心は脆くなってたの……かも、ね。でも、これが結果。あとは……あなたたちに任せるわ」


 肩の深傷から、イミナの消滅は始まっていた。一滴の血も流れない。肉体の痛みもない。ただ、しずかにその「存在」がほどけていくだけだ。だが、俺はそれを直視できなかった。


 つい、視線を逸らそうとすると、「だめよ、そんな弱気だと」と、イミナは叱咤するかのように言った。


「この先でもまだまだ戦うことになると思うけど、これから出会う相手は、きっと……あなたたちと同じように、『この世界を解き明かしたい』って……望みを持っているはず。少しでも迷いがあると……やられちゃうわよ、私みたいに」


 イミナの呼吸が、さらに荒くなる。

 俺は彼女の傍らに膝をつき、イミナの手をとった。


「その忠告を、忘れない。絶対に覚えておくよ。ありがとう」


「……女の手に……そんなに簡単に触るのは……どうかと思うわ。とくに……私みたいに、彼氏のいる女の手には。ねえ、ポーフィック……」


 そう言いながら、イミナはポーフィックのいたところに視線を向けた。だがその先には、ポーフィックの姿はすでになかった。そこにはただ、わずかな光の粒子が漂っていた。ポーフィック・モルフィアス。鋼のような両手剣使いの、わずかな名残。


 その光の粒子は、まるで何かを語りかけるかのように、ちらちらと光り、そして消えていった。その光を見つめていたイミナは、ゆっくりと俺のほうに顔を向けた。


「ポーフィック、黙って先に行っちゃうなんて酷いじゃない……。ちょっとくらい待っててよね、私もすぐに行くから。じゃあね、イツキ。キリカに……よろしくね」


 イミナは、淡い微笑みとともに別れを告げる。俺は、ただ「ああ」とだけ答えた。


「……ポーフィック……あなたが……いてくれたら、私、何度……でも……」


 イミナは何事かを言いかけていた。しかし、彼女の瞼と唇は、その言葉が告げられるまえに、ゆっくりと閉じられた。


 イミナ『アルルカン』エックハルト。炎の道化師。彼女はいま、俺の目の前で光の粒子となって消えていった。


 明灰色に塗り込められたこの世界は、自分たちの存在を賭けて戦うにはあまりにも空虚だ。俺たちは、勝った。


 だが、この砂を噛むような気持ちはなんだ?



+ + +



 俺と桐香は、また、夕暮れの廊下へと戻った。


「……勝ち残れた、のね」


 唇から吐息を漏らすような桐香の呟き。そこにも、やはり勝利を喜びあうようなみずみずしさはない。


「勝って、自分自身の『存在』を補強していき、世界を広げていく。……やっていることは、間違っていない。きっと、そうだ……」


 戦いの前まではどこまでも続く無限の奥行きをもっていたはずの廊下に、いまは突き当たりと、そこから上下に通じる階段が見えていた。


 これで、先に進める。


「勝ったんだから、先に……進まないと、ね」


 そう言いながら、桐香はそっと俺の手を握った。小さな手、体温。戦いに負けていたら、失っていたはずの小さなぬくもり。


「ああ、先に行こう」


 俺は桐香の手を引いて、暗がりのなかに見える階段を目指し歩き出した。

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