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残光のステイシス  作者: 谷口由紀
第一章
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紅蓮のサーカス

 イミナ『アルルカン』エックハルト。

彼女は、その双眸に鋭い光をたたえつつも、口元には決然とした笑みを浮かべていた。

これまでとらえどころのなかった彼女の印象が、一転した。凄み、ともいうべきものが、彼女から揺らめきたつ。


 そして、ポーフィック・モルフィアス。かれもまたその瞳により鮮明な力を宿す。もとより硬質な、かれのまとう空気が、より一層の鋭さを増す。まるで凍りついた夜のように。


「海堂樹、そして、桐香・ベイドリック。やるべきことはただひとつ。力を競い、勝った者が、より上のクラスタへと向かう。互いに後悔しないよう、持てる力を振り絞るのみだ」


 ここに集う四者の意志が揃ったとき、周囲の風景が歪み、溶け始めた。琥珀色の光も、よどんだ闇も、等しく異世界へと反転していく。黄昏時の風景が死滅し、現れるのはこれからの戦いのキャンバスとなる、明灰色に塗り込められた戦場だ。


 桐香とイミナが相対する。ふたりから生じはじめた世界が、両者の中央で激しく干渉する。


「……欲しいわ、先手が!」挑発するかのような、桐香の言葉。


「あげるわけないじゃない!」それに応じるイミナ。


 俺は、桐香の情景とせめぎあう、イミナのえがく情景に目を奪われていた。

 激しく乱れつつも、底知れぬ奥行きを見せる彼女の心象風景。中に見えるのは……さまざまな形の、優雅な曲線にみちた構造物。その向こうに見えるのは、華やかなステージ?


(……なんだ、あれは?)


 異様な空間。だけどそれは、ひとつの世界として機能する、彼女の心そのものだ。

 ひととき均衡した世界の侵襲は、しかし長くは続かなかった。


「――あ、くっ……、つ、強い……!」


 桐香の呻きとともに、イミナの世界が爆発するかのように広がる。


「わたしの思考はね、とっても単純なの!」と、イミナは声高らかに言い放つ。

「いくら言葉だけで強がっても、だめ。つまらないわだかまりを抱えているかぎり、心は決してソリッドにならない。ねえキリカ、あなたははまだ他人を堕とすことに慣れていない……そうでしょ!」



 そしていま、イミナの世界が明らかになる。



 そこは、観客のいないサーカス。

 巨大な観客席と、中央には空虚なステージ。巨大な天幕のなかを照らすのは、周囲にぽつぽつと寂しげにならぶ、わずかな灯火のみ。


 桐香の世界と、イミナの世界。ふたつの景色が激しくせめぎあっていたときに、確かに聞こえていた激烈なノイズは、いまはもう止んでしまった。


「……ごめん、また後手になった」と、桐香。

 俺は彼女の横顔に一瞬だけ目をやって「後手も先手も関係ない。ただ、勝てばいいんだ」と呟く。


 俺たちは、イミナが描き出した情景のなかに取り込まれていた。円形のステージ、その中央に立たされている。


「……なるほどな、『前』に戦ったときよりも、イミナの世界もさらに立派になったものだ」


 慨嘆(がいたん)の呟きを伴って、ステージの上手からポーフィックが現れた。その手には、波打つ刃の両手剣を提げている。彼のいう「前」とは、おそらくは低層クラスタでの戦いを思い出しての言葉だろう。


「戦いに勝って精神と肉体を取り戻せば、描きうる世界ももっと強くなる」と、桐香。「どんな細工があるのかは知らないけれど、出し惜しみはしないことね」


 その言葉とともに、桐香は武器を描き出す。

 俺の手のうちに、一振りの両手剣が生じた。


「今度は、鉛のパイプなんかじゃないんだな」


 俺がそう言うと、桐香は、ふん、と鼻を鳴らす。


「あのときは、あれが精一杯だったのよ」


 虚空より染み出すかのように現れた、剣。その長い刀身には、あるべきはずの切先が存在せず、先端は丸められていた。鍔元の近くには彫刻が施されている。それは装飾ではなく文字だった。俺は、刻まれた文章に目を走らせる。



『この剣が振り下ろされし時、科人に罪なし。ただ、かの者の永遠の生を祈らん』



 この言葉の真意をつかみかねていると、傍らの桐香は言った。


「その剣はね、『処刑人の剣』と呼ばれるものなの。……罪なき者を忘却の彼方へと叩き落としていくのだから、わたしたちの振る舞いに、それ以上にふさわしい武器はないはずよ」


「……確かにな」


 桐香の露悪的(ろあくてき)な冗談は、すこし趣味が合わないようだ。


 桐香のほうは、しなやかな鎖鞭を手にしていた。ある程度の距離を保ちながら、的確な一撃を打ち込める。彼女の戦い方にはうってつけの武器だ。


 そして、俺はポーフィックに相対する。桐香は一歩引いて、周囲……イミナの創り出したこの世界そのものへの警戒を行いはじめた。


 そのときに、ふいにイミナの声が場内に響いた。古いラジオのような、雑音まじりのアナウンス。


「――イツキ、キリカ。まずはご来場に感謝するわ。ここは私の心象風景。すみずみまで楽しんでいってもらえたら幸いね」


 その言葉を受けて、桐香は場内に素早く視線を走らせる。だが、イミナの姿は見えない。この世界のどこかに身を隠しているはずだ。


「さあ、ポーフィック。始めて。この『とびっきりのサーカス』を――!」


 その言葉とともに、ポーフィックの手に握られた両手剣の刀身に燃えさかる火炎が生じた。波打つ刃を赤熱させる。その剣の名を、ポーフィックが呟く。


「『フランベルク』か。派手好みなのはイミナの趣味だが、これはこれで悪くない」


 ポーフィックは、その剣を大きく振りかざした。刀身からこぼれた炎が、まるで意志をもつかのように、かれの周囲を遊弋(ゆうよく)する。その炎は、やがて周囲の構造物に燃え移り、疾く延焼していく。


「……なに、これ……!」桐香が、一変した光景に怯えるかのように、呟いた。


 轟々たる火炎に包まれたサーカス会場。これまで動きを止めていた機械類も動きだし、観客席には、炎でかたちづくられた人の似姿がまるで悶えるように揺らめいている。そして……いつのまにかステージを取り巻くかのように、猛獣たちの姿を模した火炎が身をかがめていた。命令一下、俺たちを焼き尽くすために。


「桐香、回りを頼む!」


 俺は『処刑人の剣』を振りかぶり、ポーフィックに打ちかかった。渾身の力をこめて、袈裟懸けに斬りつける。


「『処刑人の剣』とは忌まわしい。そんなものに斬られてここから消え去りたくはない!」


 鋭く叫びながら、ポーフィックは真っ向から一撃を受け止める。互いの両手剣が、ぎりぎりと刀身を擦り合わせる。


「俺も……同感だ!」


 鍔迫り合いの状態からポーフィックを突き放し、間髪入れずに横薙ぎの一撃をかれの胴へと見舞う。

 が、ポーフィックは俺の一撃を見事な間合いで見切り、(かわ)しざまの斬撃を俺の胸元へと飛び込ませる。


「くっ!」


 その一撃を、俺はぎりぎりのところでやりすごした。至近を走った燃える切先の軌跡が、残像として目に焼き付く。


 攻防。我ながら、この「肉体」は、よく動く。

 俺たちの存在が、実質としての肉体から遊離したものであるのならば、ここでの「強さ」とは気力と想像力が全てだ。


(勝ちたいと、自分自身に言い聞かせろ。勝ちたい……消えたくない、と)


 勝利への執着を失ったとき。そのときこそ、俺はポーフィックの刃によって灼き滅ぼされることになる。


「桐香!」


 俺は、桐香の様子を知ろうと彼女の名を呼んだ。しかし、ポーフィックの間断(かんだん)ない斬撃は、余所見を許してくれるようなものではない。


「……こっちは、心配ない……わ」


 桐香の声。言葉とは裏腹に、声音には苦戦の気配が滲んでいる。

 背後を守る彼女の俊敏なステップの音が、炎の轟音や剣撃の金属音のなかからかすかに聞こえる。多数の炎の獣たちに取り囲まれながらも、それらを凌ぎきる桐香の姿がイメージできる。彼女を助けたくば、目の前のポーフィックを討ち果たすか……それとも、このイミナの世界のほころびを、どうにかして射貫くか、だ。


 両手剣と両手剣。

 互いに叩き付け、叩き付けられ、薙ぎ払い、薙ぎ払われる。

 そして、折れるわけにはいかない勝利を願うための心。

 それら全てが拮抗していた。


「こうやって無心に剣を振るっていると、心が澄みわたっていくようだ。暗闇のなかでさまようかのような恐怖は消えて、ただ『勝ちたい』という願いだけが現実をとらえる灯火となる」


 戦いのさなか、ポーフィックは感慨にひたるかのように呟いた。

 そこに屈託はない。剣を交わしていても、憎しみは感じられない。


「俺も……そう思うよ。この世界をふん(じば)るくだらないルールとか抜きにして、存分に競い合えたら、きっともっと面白いだろうさ」


 しかし、俺には屈託がある。この世界は、そんな競技者のような精神性を納めるには、あまりにも不穏すぎる。


 そのとき、ふいに桐香の悲鳴が響いた。


「きゃあっ!」


 獣の一撃を受けステージに打ち倒された桐香の姿が、俺の視界に入った。


「大丈夫か!」


 俺は飛びすさってポーフィックとの距離をとり、即座に桐香をカバーする。


「……ありがと」


 桐香がよろめきつつも立ち上がったとき、正面にはポーフィックが構え、その周囲には、数体ほど数は減じたものの、まだまだ勢いの衰えぬ炎の獣たちが半包囲していた。


「ごめんね、イミナの獣たちが、思ってたよりも手強くて……」


 桐香が申し訳なさそうに呟く。


「桐香の骸骨たちを、どこかから呼び寄せられないかな」


 俺がそう訊くと、彼女はしばらく黙っていたが、やがて小さく囁いた。


「それなら、まずは獣たちを集中してやっつけて」


 その言葉とともに、桐香は間髪を入れずに獣の一体を捉えて、その顔面に鎖鞭の一撃を叩き込んだ。

 桐香に遅れることなく、俺も半包囲網の末端に立つ獣に「処刑人の剣」の一撃を滑り込ませる。獣の首筋を刀身が捉えると、獣はただの炎へと還り四散していった。


 が、獣たちの混乱は長くは続かなかった。


 ポーフィックが、一喝とともに斬りかかってきた。


「どうした、イツキ。この私の相手は、もう飽きたとでもいうのか!」


 その言葉にこもる怒気には、ほんの一瞬とはいえ敵手にないがしろにされたことへの失望と屈辱が満ちていた。ポーフィックの剣、燃え盛るフランベルクが、俺の脳天に、まさしく雷光のように落ちかかろうとした。


 その時。


「今だよ! 受け取って」と、桐香が叫ぶ。


 彼女の言葉とともに、俺の手の内にある剣の刀身が、まるで密度を増したかのように感じる。刻まれた文様が脈動し、彫り込まれた死者への言葉がじわりと光を放った。



『この剣が振り下ろされし時、科人に罪なし。ただ、かの者の永遠の生を祈らん』



 俺は、異様な力を備えた剣を打ち振るい、ポーフィックの剣を真っ向から受け止めた。紅蓮の炎をまとったフランベルジュの刃と、異様な光を文様より漏らす「処刑人の剣」が激突し、まるで無数の小爆発が起こっているかのような手応えが、刀身を通じて伝わってくる。


 しかし、このときは力の拮抗は起こらなかった。

 俺の剣は、ポーフィックの剣を圧倒した。かれの剣をへし折り、その勢いのままポーフィックの肩に痛撃を見舞った。


「ぐぉっ!」


 その場に崩れ落ちるポーフィック。だが、まだ勝負を決するには至らない。俺は剣を振りかぶった。これを振り下ろせば、この戦いに決着がつく――。


「――させないわ!」


 この世界に響き渡ったのは、イミナの声だ。その声をきっかけにして、ステージの裾で、そして観客席で燃え上がっていた炎が、炸裂するかのように勢いを増した。


「樹、逃げて!」


 背後から聞こえた桐香の言葉を聞いたときには、俺は弾かれるようにその場を離れていた。


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