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残光のステイシス  作者: 谷口由紀
エピローグ
21/21

巨人へ

 ただ穏やかな時間の流れに身を委ねよう。


 そう――思ったのだが、それは実現されることはなかった。


「ほら、やっぱり帰ってこなかった!」


 桐香の声が、俺の背中に叩き付けられる。


「……騒々しいな、せっかく静かな雰囲気にひたってたのに」


 毒づきながら振り向くと、そこにいたのは、桐香だけではなかった。


「あ……サキと、アースか」


 桐香の隣に立っていたのは、生徒会長を務めるサキ・ハリードと、副会長のアースィム・クスァーンだった。


「海堂君、桐香さんに呼ばれたから来たけど」と、サキ。「……授業をさぼるつもりなのだったら、見逃すことはできないわね」


 サキの言葉に、非難めいた色はない。だが、あきれたような響きはたしかにあった。


「……サキ、海堂は、授業に出たいときは出る。出たくないときには出ない。そういう奴だ。好きにしてやったほうがいい」


 アースは、まるで放任教師のようにいいかげんな台詞を、妙に重々しく口にした。かれの中での俺は、いったいどんな人間なのだろうか。


 それはさておき。


 生徒会長であるサキは、その役職にふさわしい思考・言動と、ふさわしからぬ外見が同居しているふしぎな人物だ。指定制服をベースにしたノースリーブの上衣と、短いスカート。浅黒い肌には、呪術的な文様が緻密に描かれている。そして赤毛のストレートヘアが、さらさらと風になびいている。……ありていに言えば、派手だ。だが、典雅な物腰とおだやかな言葉遣いは、まるで異国の姫君のようだった。

 そして、彼女に付き従うアース。

 詰め襟の制服をきちんと着ていても、まるで学生に見えない。醸し出す雰囲気は、まさしく若年兵のものだ。体格的にはポーフィックによく似ているのだが、そのたたずまいは剣呑というよりほかにない。


 生徒会長と副会長。たったひとりの生徒を注意するにしては、おおげさすぎる布陣だ。

 俺は、桐香に耳打ちする。


「どうしてサキとアースを連れてくるんだよ! 別にいいじゃないか、ちょっとくらいゆとりある時間を持ったって!」


 だが、桐香は、はっ、とせせら笑った。


「ばかなこと言わないで。樹のさぼり癖を根絶するいい機会なんだから。……だから、サキ、アース。思い切りがつんと言ってやって。こいつバカだから叱られないと分からないの、バカだから!」

「ひとをつかまえて、バカはないだろう! バカは!」


 俺がつっかかっても、桐香はまるで取り合わない。

 サキはしばらく困ったような顔をしていたが、やがて、ふっと微笑んだ。


「別に、いま海堂くんに注意することなんかないわ。だってまだ始業前だもの。ここでちょっとのんびりして、授業開始するまでに教室に戻ればいいだけのこと、そう、ちゃんと戻れば。……ね?」


 言葉遣いはやさしいが、つまるところ「ここでサボるのは絶対に許さない」ということだ。


「……まあ、生徒会長がそう言うんなら……」


 サキ・ハリードの、無形の圧力。俺はうなだれるしかなかった。

 そんな俺を見て、桐香は言った。


「サキ、こいつ反省しているふりしてあなたの胸を見てるわよ。やらしい上目遣いで」


 慌てて、俺は視線をそらす。恐るべきは桐香の注意力だ。だって、仕方ないだろう? 田舎のスポーツ少年みたいな桐香と違って、しなやかさと柔らかさが同居したサキの美しい身体のラインには、健全な男として見とれて当然だろう。


「海堂くん、……見てたの?」


 そう言って、サキは胸元を手で隠す。俺は肯定も否定もしない。サキの胸を、ただ認識していただけだ。

 それを言うのなら、アースのほうがよほど罪深い。「すぐそばにいること」、そして「身長差があること」を活用することで、かれがどれほど貴重な映像を楽しんでいるのか。想像することさえもできない。


 そんな俺の視線に気づいてか、アースは軽く目をそらす。


 それもまた、さておき。

 始業の時間も近いので、俺たちは教室に戻ることにした。


「まったくもう、世話が焼けるわね」と、まるで自分がしっかりしているかのようなアピールをする桐香。

 そんな彼女に巻き込まれただけのサキとアースは、べつだん腹を立てた様子もない。やはり、大人物は違う。


「――ほんと、この学校には変わった人が多いから、ね」と、サキ。


 今朝に出会った人物を思い出すだけでも、『変わった人』に該当しそうな者は多い。

 イミナやラズルーカは、あきらかに奇人の部類に入るし、桐香みたいに規格外の騒々しさを誇る迷惑な奴もいる。そんな濃いメンツの中では、自分などは羊のようにおとなしい存在だと思うのだが、どうか。

 だが、そう呟いたサキの顔には、それで困っているだとか、迷惑だといった表情はない。むしろ、バラエティを楽しんでいるかのような懐の広さを感じさせた。


「朝から、俺と桐香に迷惑をかけられた格好になったけど、サキもアースも心が広いよな」


 俺がそう言うと、アースは、ははは、と笑って答えた。


「心が広くもなるさ。こないだなんか、イミナの奴が、化学教室の薬瓶でお手玉をやって、失敗して異臭騒ぎを起こしていたぞ」


「あのマッドピエロめ」


「でもね、いろいろな人がいて……なんだか月並みな言い方になるけど、それぞれがやりたいことをやっているのは、すごく好きだわ」


 そう言って。朗らかな笑みを浮かべるサキ。彼女の目には、俺や桐香のような者でさえも、尊重すべき個性として映っているのだろうか。そうだとしたら……やはり、嬉しい。


「いと高き、希望の星々……か」と、サキはなにげない独り言のように、そう呟いた。「なぜかしら、こういう賑やかな雰囲気のなかで、ふっと『寂しさを思い出して』しまうことって、あなたたちには、ある?」


 ふいに、真顔になったサキ。


 俺は、「……あるよ」とだけ、答えた。桐香も、とりあえず神妙な面持ちで頷いている。


 日々のやりとり。あたりまえの賑わい。

 そういったものが、妙に新鮮に感じてしまったり、どうしようもなく懐かしくなったりしてしまうことは、確かにある。

 既視感デジャヴュか、未視感ジャメヴュか。そのどちらにもあてはまるようにも思えるし、あてはまらないようにも思える。


「――でも、そうやって寂しさを思い出すからこそ、いまこのときが愛おしく、大事に思えるのでしょうね。いろいろな人の希望が、ここには満ちている。それは、手の届かない天の星々ではなく、すぐそばにあるもの。――だから、私はこの学校が好きよ」


 サキの独白は、ちょっとくすぐったかったが、それでもすんなりと腑に落ちた。

 彼女自身は、言い終えてから自分自身の純な台詞が恥ずかしかったのか、激しく身もだえていた。その気持ちはよくわかる。

 人でなしの桐香は、ふんふんと聞き終えてから、「サキ、演劇部入れば? 夢見るお姫様って感じで、可愛かったよ?」と、身も蓋もないことを言う。


 アースは、すこし気恥ずかしそうに聞き入っていたが、やがてぽつりと呟いた。


「まあ、この学校にいる者で、なにかやりたいことがあるのなら、俺はそれを手伝いたいと思っている。それが、俺のやりたかったことだ。だから、サキが生徒会長として頑張るのなら、俺はそれを全力で補佐する」


「なるほどね」と、俺。「じゃあ、アース自身には、なにかやりたいことはあるのかい?」


 俺がそう訊くと、アースはちょっと困ったような顔をした。


「まだ……思いつかないんだ。自分自身のこととなると、からっきしでね。なるべく早いうちに、俺自身の目的を見つけたいものだ。 でも今はまだ、サキの補佐が出来るなら、それでいい」


 すこし寂しそうに答えたアースの背中を、サキがぽんと叩いた。


「そのときは、私があなたの手伝いをするわ。……ね!」


「ああ」


 そんな二人の姿を見て、俺はいつしか桐香と目を合わせていた。桐香の奴は、ふだんはがさつなくせに、こういう時にはほんとうに優しそうな笑みを浮かべるのだ。


 だから、俺は桐香が好きだ。心のなかで呟くくらい、いいだろう?



 そして、サキとアース、続いて桐香が、屋上の扉から校舎の中へと戻っていく。俺も、三人に続く。

 扉を閉めるときに、ふと、誰かのささやきを聞いたような気がした。



「       」



 どんな言葉かは、はっきりとは分からなかった。

 ただ、その声が、おだやかなものであってくれたことに、俺は感謝する。

 心の中で、俺は呟く。


(これでいいのかい?)


 問いかけへの答えは、もう、聞こえない。




《了》

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