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残光のステイシス  作者: 谷口由紀
エピローグ
19/21

はじまりの朝

――さわやかな風が、校庭を吹きすぎる。


 早朝。俺と桐香は、グラウンドの脇をのんびりと歩いていた。


「今朝も気持ちいい風が吹いてるわね」


 隣の桐香が、ひとりごとめいた感嘆を漏らす。

 桐香・ベイドリック。彼女は、俺よりも頭ひとつ分ほど背が低い。身体も細身で、どこか少年めいた雰囲気がある。色の淡い、肩口でざっくりと切った髪が、さらさらと風にそよぐ。やわらかな笑みをうかべる(かお)のなかで、細められた目が、まるで猫が笑ったかのようなゆるやかな弧をえがく。


 ふしぎな名前。手足もすらりと長くて、どこか別の国の女性みたいだ。出自をたずねてみたこともあるが、彼女は「ひみつ」としか答えてくれない。

 だが、ずっと昔から一緒にいるかのような、心から安らげる大事な存在だ。


 さて、俺と桐香はこの高校の「生物部」に属している。

 部、といっても、活動内容はそれほどたいした事をしているわけではない。校庭の片隅で、うさぎと鶏を飼っているくらいのものだ。愛らしいうさぎと、元気なにわとりが、ゆっくりと育っていく様子を見るのは、俺の日々の楽しみとなっていた。


「さてさて、今日のうさぎさんはどうかしら」


 桐香は上機嫌だ。へんな所でまめな桐香は、片手に小さなノートを手にしていた。観察日誌をつけているのだ。俺は、動物たちの餌をいれた小さなバケツを提げている。


 桐香がぱらぱらと日誌のページをめくっているのを、俺は横からひょいと覗き見る。あまり写実的とは言えないふしぎな絵で、うさぎと鶏の姿が描かれていた。


「絵のことはよく分からないけれど、うさぎに見えなくもないような生き物と、鶏たちに似たなにかが元気な線で描かれていることだけは……ま、なんとなくだけど伝わるな」


 俺がそう言うと、桐香は、はいはいと答えた。


「絵が下手なのは分かってるからいいの。絵と文章で、かわいいみんなの成長を記録していけるのが私の楽しみなんだから」


 そう言って、桐香はノートを制服のポケットにしまった。俺たちの学校は、平常時の服装に関する規定はない。制服はいちおう指定されているものの、式典などがあるとき以外は別に着なくてもかまわない……そういうことになっている。

 だが、桐香はここでもへんな律儀さを発揮して、かたくなに制服ばかりを着ている。もちろん、着崩したりはしない。その一方で俺は、指定のズボンを穿いてはいるが、上はだらしなくワイシャツを着たきりだ。桐香には何度も「ちゃんとしなさい!」と怒られたものだが、改善できない俺のだらしなさに呆れたのか、最近はなにも言わなくなった。



+ + +



 そうこうしているうちに、校庭の隅にあるうさぎ小屋と鶏小屋に着いた。


 そこには、先客がいた。

 桐香と同じように、端正に制服を着こなした男子生徒と女子生徒だ。


 美術部に属するふたりは、デッサンの練習のために、ちょくちょくここにやってくる。かれらの部室にはたくさんの石膏像があったはずだが、それで練習するだけでは飽き足らないのか、それともただ純粋に動物を描くのが好きなのか。理由は分からないが、スケッチブックに鉛筆を走らせながら、動物たちを見つめるかれらの目は真剣だ。


 男子生徒は、指定ズボンにワイシャツ、ネクタイを身につけている。細身で眼鏡がよく似合う。みるからに美術科系の雰囲気があるが、その一方で、アマチュアボクシングでも良い結果を出していると聞いたことがある。

 人はみかけによらないものだ。


 女子生徒は、さっくりと切りそろえたなめらかな黒髪が、古風な雰囲気をかもしだしている。清楚さと女性らしさをバランスよく備えた、綺麗な人だ。


 俺たちがここに来たことに気がついたのか、男子生徒は片手をあげた。


「ああ、海堂君と桐香さんか。お邪魔しているよ」


 女子生徒のほうもこちらに顔を向けて、そっと目礼する。


「邪魔して悪いな。ちょっと動物たちに餌をやってもいいかな」


 俺がそう訊くと、男子生徒はもちろんさ、と答える。


 手始めに、俺はうさぎ小屋に足を踏み入れる。餌皿と水皿を外に出して、敷き藁を掻き出す。なるべく静かに作業したつもりだったが、がさがさという音に驚いて、うさぎたちは小屋の中を駆け回ろうとする。小屋の外に逃げていかないように、入り口を脚でふさぎながらの作業だ。


「いつ見ても上手ね。よっ、うさぎ名人!」


 そんな俺の様子に、桐香はおかしなあおり文句をつける。


「桐香、俺がうさぎの世話をしてるんだから、お前は鶏のほうをなんとかしろよ……」


 俺がぼやくと、桐香は胸を張る。

「まかせなさいよ。こう見えても、私、鶏には強いんだから」

 そう宣言して、いそいそと鶏小屋に入ろうとする。


 そんな桐香はさておき、うさぎの世話の続きだ。

 うさぎの毛並みや、目、口のまわりを手早くチェックする。健康状態に問題はないようだ。のちに、外に置いた餌皿にラビットフードを補充して、小屋の中へと戻す。うさぎたちは、いっせいに皿に群がる。この食欲の旺盛さが、美術部員たちの創作意欲を刺激してくれるのだろうか。


 俺が作業を終えても、桐香はまだ鶏小屋のなかで奮闘していた。


「ちょっ……てててっ、あんまり暴れないでよ! いたっ、つついたら痛いってば! やだ、蹴らないで! もうっ、痛いっつーの!」


 狭苦しい鶏小屋のなかで、桐香は暴れ回る鶏たちに翻弄されているようだった。

 そんな桐香はさておいて、俺は美術部員たちのスケッチを見せてもらう。


「さすがに上手いな。なにかコツでもあるのか?」


 俺がそう訊くと、男子生徒は笑って答えた。


「そうだな、そこで何か気の利いたことを答えられたらいいんだけど、絵のことを『説明』するのは、また別の才能なんだよね。……僕が言えるのは、やっぱり自分の心に『これだ!』って引っかかるものをまず見つけ出して、それをじっくりと観察して描くこと。かな?」


「それって技術うんぬん、ってことじゃなくって、まずは描きたいものを見つけろって事かい?」


「うーん、技術のほうは日々の練習でけっこう何とかなるからね。でも、練習のための練習だと苦しいし続かないから。好きなもので練習するのが気持ちも楽だし、結果的には長続きするんだよ」


「なるほど、ね」


 かれのスケッチブックの中には、日だまりのなかでうずくまる、ふくふくとしたうさぎの姿が、おだやかな筆づかいで描かれていた。この絵のなかには、鉛筆をもつ者の心も、いっしょに封じ込められているのだろう。


 続いて、女子生徒のスケッチブックを見せてもらう。

 描いているのは、勇ましく翼を広げて、なにかに飛びかかろうとしている鶏の姿。男子生徒の絵にくらべると、ずいぶんダイナミックだ。


「これ、鶏が桐香を蹴飛ばしてるところ?」


 俺がそう訊くと、女子生徒はいたずらっぽく笑って、「そうかもね」と答えた。

「動物のしぐさってすごくかわいらしく感じるけど、『本人』はどう思っているのかしらね」


「俺には分かるよ。これ、桐香の手際と態度が悪いから間違いなくキレてるんだよ」


 俺がそう軽口を叩くと、鶏小屋のなかの桐香は「なによ、悪かったわね!!」と返事をする。そのさなかでさえ、鶏たちは桐香への攻撃の手を緩めない。

 いや、「手」ではなくて「足」だな。

 そんな桐香と鶏たちの様子を見て、彼女は微笑みを浮かべていた。


「――私はね、絵は外で描くのが好きだし、石膏像みたいに動かないものより動き回っている生き物を、いまにも動き出しそうに描くほうが好きなのよ」


「なるほど。だとしたら漫画を描いたりするのはどうだろう? 漫画には興味ある?」


 俺がそう訊くと、彼女は一瞬、瞳を強く輝かせたような気がした。


「もちろん、躍動感のある漫画は大好き! ……あ、その、私、趣味で描いたり……してるけど……」


「どんなの?」

 なぜか、急にもじもじしはじめた彼女に、質問を続ける。


「……かっこいい男の子同士が、現実ではない別の世界から真実を取り戻すために、ちからを合わせて戦って、そこでお互いを理解しあううちに仲良くなって……友情とか……その、色んな方法で確かめ合ったり……」


「……いい話、だよね、それ?」


 前半はともかく、後半のいまいち歯切れが悪い回答に嫌な予感を覚えたので、それ以上に踏み込むのはやめておくことにした。


 そうこうしているうちに、桐香が鶏小屋のなかから這いだしてきた。

 体中に敷き藁がまとわりつき、手足はひっかき傷だらけ。髪の毛は、まさしく鳥の巣のように乱れ放題となった桐香。表情には、みるからに疲労の色が見てとれた。ほんのわずかな時間のあいだで、これほどの変化を起こすのも珍しいことだ。


「……おまたせー」棒読みのような声。


「それじゃあ……」と、桐香から空になった餌バケツを受け取りながら、俺は美術部の二人に声をかける。

「俺たちはもう行くけど、のんびり描いててくれよ。いい絵が描けたら、生物部の部員勧誘ポスターに使わせてくれないかな?」


 俺の頼みに、彼は「任せてくれよ。美術部員がほかの部の役に立てるのって、そのくらいだしさ」と、快活な返事を返してくれた。


「じゃあ、レイアウトとかは私も手伝えるよ。……そういうの、よくやってるから、慣れてるし」


 彼女は、微笑みつつそう答えるものの、やっぱり、どこか言葉を濁す。

 そして俺たちは、美術部のふたりに手を振って、別れる。



 これまでに何度も繰り返した、他愛のない朝の会話だ。

 なのにどうして、これほどまでに懐かしく感じられるのだろう。


 あの二人は、俺たちのだいじな友達だ。

 その名前も、けっして忘れることはない。

 彼と、彼女。ふたりの名前は――。


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