硝子の巨人
――ここに記しておくのは、ただのメモだ。
恐らく、この文章がだれかに読まれることはないとは思う。だが、書き記すことで整理できるものもある。自分の記憶、そして感情を、俺は整理しておきたい。
それをなしとげるチャンスは、いまこの時しかない。ここに書くものもまた、おそらく次の瞬間には砕けてしまう真実だから。
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桐香との戦いの、あとのことだ。
俺は、桐香の情景をもとにして、自分自身の『情景』を描き出すことができた。
それにともない、俺と桐香は互いの「領域」を共有することができるようになった。
心を重ねるための鍵。
今にして思えば……それこそが『情景』の、真の使途なのだろう。
互いの心象風景を共有することで、両者は共存できる。
『情景』は、敵を打ち倒すための武器などではなかった。
戦いの切り札でもなかった。
相互理解をもたらすための、だいじな糸口だったのだ。
そのことに気づいたとき、俺は激しく後悔した。
世界を共有できる可能性をもった者たちを、自分の手で消滅させてしまったことを。
悔やんでも、悔やみきれなかった。
だが、この事実から浮かんでくるひとつの疑問を解き明かすことで、わずかでもかれらの魂に詫びることができるのかもしれない。
ひとつの疑問。
それは、「世界」についての疑問だ。
――「世界」。
桐香と俺、共有した心象風景……『情景』を通じて、互いの「領域」が損なわれることなく重なり合ったことで、俺はこの世界に関する事実の一端をつかむことができた。
参考として、ここに書き添えておきたい言葉がある。
「以前の俺」が、消滅のまぎわに遺した言葉だ。
『この世界は、硝子の巨人。砕けてしまえば、もう、戻れない。』
……過去の俺からのメッセージ。この言葉をきっかけとして、俺は、不毛な戦いを強いるこの世界に疑いを持つことができた。だが、俺自身が書き残したにしては「いやにもってまわった表現だな」と思ったのも、確かだ。
だが、今ならば分かる。
それは「そうとしか書きようのない、まったくの事実」だった。
そもそも、「この世界」とは、なにか。
まっとうに考えるならば、この疑問こそが全ての前提となるはずだ。
だが俺たちは、世界を疑うための知識すら与えられず、ただ「戦え」とだけインプットされる。
俺たちの思考能力自体は、本来の人間によく似たものだと思う。
だが、身体は「人間」本来のものから、おおきくかけ離れている。
精神力によって、あり得ないはずの景色を描き出して自在に行き来したり、なにもない空間に武器を産み出すことなど、ただの人間にできるわけがない。
なにより俺たちは、時の流れの止まった世界のなかで、延々と「消滅」と「再生」を繰り返していた。
ありえない力を秘めた、だが、幻のようにはかない身体。
それは、物理の制約を離れたところにのみ、成立する世界だ。
――そこで、この世界の「創世」に、話は戻る。
物理の制約を離れるために、人間ができることはひとつ。
己の肉体を捨て去り、その存在を、物理法則の及ばぬところに移し替えること。
そのような「転化」が、まずはじまりに存在した。このことについては、桐香との「領域」の統合を果たしたときに知った。だが、俺たちのいるこの世界がコンピュータのデータなのか、それとも思考の世界なのかは分からない。この世界は、演算結果か、想像の産物か。俺たちには認識できないし、できたからといってそれでなにかが一変してしまうということもない。
世界は、世界だ。
俺たちは、ここよりほかに立つべき場所を持たない。
だが、ひとつだけ、気にかかることがあった。
俺たちは、世界を「世界」と呼びならわす。
その理由は、なぜか。
肉体を持つ本来の人間にとって、世界はひとつ。皆のものであるのと同時に、自分のものでもある。そのとき、世界はけっして「欠片」などではない。
その認識が、なぜ揺らいだのか。そこに、俺たちの存在を解き明かす鍵がある。
さて、ここからは俺の推測だ。
演算の結果であろうと、思考の結果であろうと、そこに入り込んだ人間はかならず記憶領域に納められるはずだ。
そのさいに、いちばん自然でストレスのない形は、記憶領域内に用意された、ひとつの「大きな世界」に、転化した人間たちが降り立つというやりかただろう。
――ひとりの人間が、ひとつらなりの不可分な情報となる。
それが成立しているときは、世界はけっして『欠片』にはならない。
だが、この「転化」の過程で、事故が起こったとしたら……と、俺は考えた。
「ひとりの人間」を、「ひとつらなりの不可分な情報」にできなかったとしたら。
はじまりの存在、ひとりの人間。
その人間を構成する情報が壊れて、ばらばらの欠片になったとき。
それはきっと……もとの人間のさまざまな思想・表情をあらわすものになるだろう。
そして、ひとりの人間として降り立つべき大きな世界をみつけられぬまま、それらの欠片は引き裂かれた「ひとりの心」のなかを漂う。
そして、ばらばらになった心がただひとつだけ願うとしたら、それは『もとのひとつに戻りたい』という、願い。
推測の上に推測を重ねることに、どれほどの意味があるのかは分からない。
ただ俺たちのはじまりは、薄れて消えかけた、ほんのわずかな「領域」しか持たない存在にすぎず、「領域」をめぐる戦いは、さまざまな装飾をはぎとってしまえば、その本質は「領域を統合すること」でしかない。
ここまでは、俺たちにとっての事実だ。
そして、俺たちにすり込まれた「戦いの目的」とは、結局のところ「ばらばらになった領域を統合し、その人格をひとつに統合する」ことだった。
だが、ひとたび砕けた人格は……おそらくは、もとに戻すことはできない。
それができるのならば、「以前の俺」などというものは存在しないはずだ。戦いは繰り返されることなく、いちばんはじめの「戦いの勝者」が、そのまま統合された人格となるのだろうから。
俺たちは、本来あるはずの「大きな世界」にはけっしてアクセスできない。ひとりの人間のなかに散らばった、生まれては消える情景……無数の「世界」のなかでしか、俺たちは存在できない。
ここで、おれはふと気づいた。
俺たちを繋げていた、あの、永遠の夕暮れ時のまま時間の流れない『学校』。
それは、もしかしたら「始まりのひとり」であった誰かの『情景』……心象風景だったのではないだろうか。
――ひとりの人間の、壊れてしまった心のなかでの争い。
俺たちの戦いの……そして、世界の本質とは、そういうことなのだと俺は思う。
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そして、この世界の「領域」を統合した俺たちは、この世界にあるていどの干渉をおこなうだけの力を得た。
それで、なにをするか。
「なにをしたいのか? なにができるのか?」
そう自問したときに「俺の」心のなかに浮かんだのは……やはり、これまでに出会った人々の顔だった。かれらの顔を、もういちど見たかった。そして、かれらの言葉を……心を、もっと聞きたかった、知りたかった。
「領域」の奥深くを探ったときに、かれらの存在が「消滅」してはいなかった事を知った。かれらの存在は最小限の「領域」を割り当てられ、格納・凍結されていた。かれらもまた、「最初のひとり」に備わった個性のかけら……千の貌の、ひとつだ。
そのことを知ったときに、俺の望みは決まった。
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この世界の、創世のきっかけとなった、ひとりの人間。
砕けてしまった、硝子の巨人。
その遺志は、ひとことの言葉に変わり、生まれ落ちた俺たちの耳に囁かれつづけた。
「――戦え」、と。
俺は、与えられた力をつかって、その言葉を封じたい。
それは、砕けた巨人の最後の望みを、諦めさせることを意味する。