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残光のステイシス  作者: 谷口由紀
第三章
14/21

永遠の守り手

  あまりにも、あまりにも過剰な破壊のあとで。

 俺は、まだ桐香の手をつないでいることに……やっと、気づいた。


 ……。


 …………。


 巨大な半球状に、砂漠の地表は深く抉り抜かれた。球面の内側では、硝子化した砂や土が、いまだに冷めやらぬ熱を保っていた。底によどんだ空気は重く、見上げた空は暗雲に包まれていた。


 俺は、まるで焼け落ちた朽木のようだった。超高熱によって生まれた椀状の窪地、その底で、身体を丸めたまま立ち上がれないでいる。頬に感じるのは、ざらざらとした砂粒の感触。


(……かろうじて、耐え切れた……のか)


 俺たちの周囲の、わずかな範囲だけが、もとの砂漠の面影をのこしていた。

 そして俺は、となりに倒れている桐香の姿を見た。


「――桐香!」


 呼びかける言葉に、彼女は、ううん、と苦しげな声で反応する。

 俺と桐香、ふたりの力を合わせてもなお防ぎきれなかった熱と衝撃が、俺たちの身体を傷つけていた。どれほどの傷を受けたのか。俺は、己の手を目の前にかざす。


「まるで……幻、みたいだ」


 防ぎきれなかった破壊力によって、俺たちは、存在そのものを打ち消されつつあった。

 もはや確たる姿とその質量を保てず、俺の姿は、その本質が幻であることを露呈しつつあった。しゅう、しゅう、と、滅びゆくものの死の雑音とともに、俺は「消滅」しつつあった。


 桐香もまた、消滅する一歩手前だった。その傷だらけの身体は、俺と同じようにノイズを発しながら明滅している。その身体から透けて見えるのは……空虚を示す、あの明灰色の……死の世界。


 俺は、桐香の手をそっと離して、かろうじて立ち上がる。


(意識を……保て。まだ、この領域を解いてはいけない)


 空からしんしんと降り積もる塵。周囲には、あちこちに燃え残る焔。

 ここに立ち尽くしたまま、俺は、しずかに自分の脈動を確かめていた。

 それは、俺がまだ、生物機能を模擬することができている、証拠。



 ――まだ、生きている。



 爆轟と、灼熱と、閃光。そのすべてが荒れ狂う地獄のような時間は去り、今は、まるで廃墟のような静けさに包まれていた。

 そして、空の暗雲がほどけ始め、月の光が破滅の地を照らし始めたとき。

 サキは、俺の前に現れた。


「耐えきって……しまったのね」と、サキ。


 彼女の姿もまた、俺たちと同様に、その存在を喪いつつあった。持てる力すべてを注ぎ込まなければこの情景は描けなかった、ということだろう。


「ずいぶんやつれたな。そうだな……あとは、お互いに残ったほんのわずかな力で、滅びるまでの殴り合いでも……始めるかい?」


 俺がそう軽口を叩くと、サキは「いやよ、そんなの」と、淡い笑みを浮かべた。


 よろめきながら、サキは俺に近づいてくる。


「わたしはもう、この姿を保っているだけで、せいいっぱい」


 サキの声音は、消え入るようだった。それが嘘でないことを示すかのように、この世界……サキの描き出した情景『いと高き希望の星々』も、明滅を繰り返していた。


「なら、どうやって『勝ち』を決める? 先に進めるのは……俺たちか、君たちか。どちらか、ひと組だけだ」


「そうね、……そうだったわ」


 サキは、その場に腰を下ろした。彼女はなにかを見上げた。俺の貌ではない。サキは、天の星々を、そして月を眺めていた。

 俺はそんなサキの傍らで、彼女の表情を見ないまま、言った。


「ひとつ、訊いていいか?」


「……いいわ」


「ここに辿り着いて、さらにその先を目指すための『目的』だ。世界の向こう側を見たい……って、言ってたな」


 俺の問いに、サキはちいさくため息をついてから、そうよ、と答えた。

「目的も、いってみれば過去の自分が定めたもの。それを繰り返し口にしているうちに、『今の自分』からは、だんだん離れていってしまう」


 サキは、相変わらず星空を見上げたままで、そう呟いた。

 星々の海。かつて人間は、星をたよりに海を、そして空を旅したという。ひとに導きを与えてくれる不変なるものが、頭上に輝いていること。そのことが、どれほどの安らぎを与えてくれたのだろう。


 だが、この世界にあるものは、うつろいゆく幻だけだ。

 サキの描き出したこの世界、『いと高き希望の星々』は、消滅のときを迎えつつあった。


 気流の乱れは止み、夜空を覆っていた暗雲も晴れていた。いつしか空は、はじまりの時と同じく、月と星々が清冽な光を地上に投げかける。だが、世界はその姿を保てない。方々で幻は崩れ去り、世界の素地であるあの明灰色の世界が現れつつあった。


 俺は、近くに腰を下ろしているサキに向き直った。彼女もまた、俺のことをまっすぐに見つめ返している。

 サキは、真摯な面持ちで、訊いてきた。


「イツキ。あなたはきっと、過去に『この世界の向こう側』に、辿り着いているはず。だから、あなたはあの言葉を『引き継ぐ』ことができたんだわ」


 あの言葉。忘れるものか。サキは、透き通るような声で、それを(そら)んじる。


「――『この世界は、硝子の巨人。砕けてしまえば、もう、戻れない』。……ねぇ、過去のあなたは、この先になにを見て、なにを思い、その言葉に託したのでしょうね」


 だが、今なら分かる。

 その言葉は、あくまでも『過去の俺』が、遺したものだ。

 今の俺が、それを踏まえ、何を思うか。それは、そのときになってみなければ分からない。


 このとき、サキはおだやかな笑顔を浮かべていた。

 成すべきことにすべてを賭けて挑み、勝敗を決した者の、笑みだった。


「イツキ、あなたたちの勝ちよ。私の望みは、これで潰えたわ」


 その言葉とともに、サキの身体が光の粒子となり、すこしずつ解けて、空へと舞っていく。


「サキ。この世界の向こうにあるものは、俺が必ず……確かめてくる」


 だがサキは、俺のそんな言葉にくすくすと笑った。


「ばかね。そんな使命感は、ここに置いていきなさい。……あなたが過去何に敗れて、この幻の世界の底に落ちてきたのかは、わたしには分からない。でも二度目なら……きっと……うまくやれる……でしょう……」


 サキの消滅に歩調を合わせるかのように、世界の崩落もまた進んでいく。


「――幸運を、祈る……わ」


 その言葉と、星が瞬くような笑顔を遺して、サキ・ハリードは、消えた。

 彼女の描き出した情景『いと高き希望の星々』も、ともに消失した。



+ + +



 俺と桐香は、ふたたび夕暮れの校庭へと戻っていた。

 桐香は、まだ気を失ったままだ。彼女が地べたに倒れ込まないように、俺はその肩を支える。


「――痛ぇ……」


 だが、肉体は限界だった。軋む骨、撃ち据えられた身体。もはや、肉体は消滅を目前に控えていた。

 しかし、「痛み」を感じているということは、俺が……間違いなく「存在」している、ということだ。


「……まだだ。まだ、俺は「世界の向こう」を、見ていない」


 知らず、俺はそう呟いていた。

 誰にも届かないはずの、自分だけの決意。

 だが、その言葉に反応する、もうひとつの声があった。


「――そうだな。お前にそいつを見て貰わなければ、俺たちが浮かばれない」


 その声の主に、俺は向き直る。


「アースか」


「そうだ」


 アースィム・クスァーン。白色の制服に身を包んだ、精悍な兵士のような姿。だが、その姿もまた消滅の時を迎えつつあり、陽炎のように薄らいでいた。


 俺は桐香の肩を抱えたまま、アースの目を睨んだ。どこまで戦えるか。それは、俺もアースも同じ事だ。やれるだけは、やってやるさ。

 だが、そんな俺の敵愾心(てきがいしん)をいなすかのように、アースは穏やかな笑みをうかべた。


「そういきり立つな、イツキ。もう、勝敗は決している。お前達の、勝ちだ」


 勝ち。はっきりと、アースはそう言った。


「この俺の姿は、もはや残滓(ざんし)にすぎない。そう間を置かずに、お前たちの目の前から消えるさ」


 そう言われては、返す言葉もない。俺は、黙ってアースに続きを促した。


「サキは、お前の幸運を……未来を思って、消えた」


「ああ、そのとおりだ。俺もまた、サキと同じ願いを持っている。『世界の向こう』。そいつを見にいく。そして……いつかは、そこで見たものを誰かに伝えたい。もとより、この姿は幻だ。滅びのときはかならず訪れる。だけど……俺は、ひとかけらでもいい、必ず知識を持ち帰ってやる。きっと、以前の俺も、いまの俺と同じ事を考えていたんだと思う」


 そう、アースに告げた。

 いまの俺は、どんな表情をしているのだろうか。

 かなうならば、サキが浮かべていたような笑みをたたえていたい。


「……なるほど、な」と、アース。「去り際に、つまらん話をするが、聞いてくれるか」


「いくらでも聞くさ」


「俺はな、サキこそが、この世界の秘密を解き明かすのだと信じていた」


「…………」


「まっすぐに「世界の向こう」を目指す、強い眼差しと揺るがぬ心。この世界が、一編の物語であるとしたら、サキこそがその物語の主人公なのだと、俺は思っていた」


「アース、君自身はどうなんだ」


「俺か……俺は、そんな大きな理想を抱く者と供にあり、守りたい、と思った。サキと初めて出会ったときに、そう思ったんだよ。ゆえに、俺は『アースィム(守り手)』という言葉を、我が名に選んだ」


「……そうか」


「だが、守られて在ったのは、むしろ俺のほうだろう。サキの描き出す、あの『いと高き希望の星々』に同化し、持てる力の全てを捧げてはいたが、それはサキを『守る』ことにはならない」


「…………」


 厳密に言えば、敵を倒す力も、敵からの侵襲を防ぐ力も、その本質はどちらも同じ「力」だ。だが、アースの言葉をあげつらうつもりはない。気持ちの問題だ。


「だが、イツキ。こうやってお前達に敗れた今、俺の存在意義は、どこにあると思う?」


 アースは、そう訊いてきた。

 だが、それに対する答えは、俺の胸のうちに、もう、あった。

 俺は、答える。


「存在意義、か。確かに、俺たちは、戦うことしかできない『幻』だ。……だが、勝った負けたの勝負事で、俺たちの存在意義が、決められてたまるか!」


 いつしか、俺の語気は強まっていた。アースは、黙って俺を見つめている。


「勝てば力を手に入れる。そして負ければ消されるか、それまで得たものを喪わせられる。どこかに、そんな不毛な仕組みを読み解き、改めるための『鍵』があるのなら、俺は……それを、探しに行く。きっとサキも、同じ事を考えていたはずだ」


 俺がそう言い終えるまで、アースはじっと俺の言葉に耳を傾けていた。そして、口の端だけでちいさな笑みを作ると、強く頷いた。


「――ああ、そうか。そうだな、いま、分かったことがある。お前もまた、『この世界を読み解く者の物語』の、主役なのだな。それはおそらく、お前やサキに備わった、勝ち負けを越えた、固有の価値なのだろう。……俺は、主役を張るだけの大望は抱けないが、そういった志を持つ者を『守りたい』と思う」


「守るべき相手は、もう、替えるつもりはないんだろう?」


 俺がそう言うと、アースはすこし照れたように笑った。


「もちろんだ。おれはもう、共に進む者を違えるつもりはない。サキ・ハリード。『永遠(ハーリド)』を二つ名とする、我が……星の、烈姫……」


 その言葉とともに、アースの身体はひときわ強い光に包まれ、そして夕暮れの空へと、舞い散っていった。


 アースィム・クスァーン。彼は、つねにサキとともに在り続けるだろう。


 俺は、そう信じる。

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