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残光のステイシス  作者: 谷口由紀
第三章
13/21

星々

 ひときわ激しい衝撃音とともに、桐香の世界は押し潰され、圧壊する。そして、俺たちを取り巻いていたはずの世界は、サキの心象風景によって一瞬のうちに塗り替えられていた。



 ――深夜。広大な砂漠を睥睨(へいげい)するのは、天の高みに居並ぶ星々と、月。



 地上には、さまざまな書物が散らばっている。

 俺と桐香は、すでに砂漠のただなかに立ち尽くしていた。


「……砂漠にうち捨てられた、本……か」


 俺は、足下の一冊を拾う。見知らぬ言語でつづられた、見知らぬ教え。俺は、その本をまた足下へと戻す。他の本を拾う。読む。……戻す。それを、数度。


 一冊の本を、知識の筺と呼ぶのであれば、ここはまさに人間文化の墓所のようでもあった。

 一句、一言、一文。それらを繰り返し繰り返し綴ることで、人間は文化を遺してきた。

 その聖遺物イコンが、風すら吹かぬ、この広大な砂漠に打ち棄てられているのだ。


「……これが、サキの心象風景か」と、俺は()く。


 いつのまにか俺たちの目の前に現れていたサキは、そうよ、と答える。アースの姿は見えない。どうやらサキは、描き出したこの情景だけで、俺たちと戦うつもりのようだった。


「言葉は、人間の心の軌跡」と、サキ。「それは過去でもない。未来でもない。あらわれては消えていく『現在』。だから私たちは、つねに迷い続ける。歴史は学ぶに足らず、予言は(たの)むに足らない。よせてはかえし、よせてはかえす、波間のようにはかない人間を見下ろすのは、『いと高き希望の星々(ハティクヴァ)』。それが、私の心の――風景」


 そう言い終えると、サキの姿もまた消えた。


 俺たちは、たったふたりきりで、砂漠に取り残された。


 ――静かだ。吐息が白くなるほどに気温は低いが、煌々と照る月のもとで、どこまでも鮮明に見渡せるほどに空気は澄み切っている。清浄な、死の、世界。


「寒いわ」


 そう呟く桐香の声もまた、こわばって消えていく。

 摺り合わせるてのひら。身じろぎをしたときに、足下で鳴る砂粒。

 俺たちは、ずっとこのまま、星々に見下ろされたままなのか――。


 その時、空がかすかに震えた「ような気がした」。

 俺と桐香は、ほぼ同時に空を見上げた。


「……流れ星、かしら」と、桐香。彼女が指さした先では、ひとかたまりの星々が、輪郭をわずかにぶれさせながら瞬いていた。その輝きは徐々に強まり、やがて他の全ての星々にも光が伝播していく。


「……なに、これ」


 冷え切っていた大気が、じわりと熱を帯び始める。熱源は足下の砂漠だ。生じ始めた気流が、散らばっている書物のページをなびかせる。


 俺は、首筋が冷汗でじわりと濡れるのを感じた。無意識のうちに忍び込んだ恐怖心が、心のうちに巣食い始めている。

 砂漠より発する熱は、際限なく上昇していき、やがて耐え難いほどの暑さになった。


「サキ、……これって、何をするつもりなの……?」


 桐香の声音が、怯えによってうわずる。

 環境の激変。だが、すべてはまやかしに過ぎないことを、俺たちは知り尽くしているはずだ。ことの本質は……俺たちと、サキたちとの、精神力の削り合い。


(震えるな……こけおどしだ!)


 己に言い聞かせて、俺はこの世界のどこかにいる、サキたちを見出そうとする。


 できるはずだ。


 俺は、すべての集中力をもって、サキたちを探った。

 砂漠、散らばった書物、空、星、そして月。それらの表皮を剥ぐかのように、俺は意識を滑り込ませる。

 その一瞬だけ、世界は本来の姿……まやかしに覆われていない、明灰色の世界へと戻る。

 だが、すべては「一瞬」だった。サキの幻想は、他者の介入をまったく受け付けぬほどに強固だった。


 足下からの熱は、じきに俺たちの身体を焦がし始める。俺は使い慣れた両手剣を描き出そうとしたが、やめた。斬るべき相手など、この世界のどこにもいない。


「――どこだ、サキ!」


 俺は叫んだ。桐香もまた、狼狽えている。どうしよう、と小さく呟いた声が、俺の耳にも届く。


(あなたのいうとおり、すべては幻)と、どこからかサキの声が聞こえた。

(幻のなかで、生まれ、滅び、そして再生する。……私たちも、あなたたちも、それを幾たび繰り返したのだろう。そのうちに、心は倦み、疲れ、そして……砕けていく)


 サキ。彼女もまた、この世界における戦いの本質を、見抜いていた。


(私たちとあなたたちは、ともに相容れぬ幻。ゆえに、ここであなたたちは潰える)


 地には炎。そして、空の星々もまた、月にすら劣らぬほどに眩い輝きを放ち始めていた。当初は砂粒のように小さく見えた星々は、いまや明らかに燃え盛る焔に包まれていた。


「墜ちてくるのか……あの、星が!」


 かの星々がひとたび地に墜ちたならば、それだけで、俺たちはいともたやすく粉砕される。

 俺たちは、いかにして耐え抜くか。


「桐香、力を貸してくれ!」


「え、……力? わ、わかった。けど、どうしたらいいの」


 戸惑いつつも、桐香は俺の手をとり、精神の力を分け与えてくれる。その指先はこきざみに震えていた。


 その力で描くべきは、もう、武器や防具などではない。


「桐香、いまから俺は、俺たちをとりまくこのわずかな空間だけを、サキの『情景』から守り通す」


「ただ、守ることだけに徹するの?」


「そうだ。これほどまでに強固な『情景』だ。おそらくサキは、借り受けたアースの力もすべて、描き出した世界に注ぎ込んでいる。この一撃をなんとしても凌がないと、俺たちは……なにも残すことができないまま、砕き散らされる」


「……わかったわ」


 俺は桐香と身を寄せ合い、身体をかがめる。

 俺たちの周囲をとりまくごく狭い範囲に、俺は意識を集中させた。この範囲に存在するものだけを「読み解いて」いく。その結果、サキの幻は打ち消され、世界の素地である明灰色の背景が姿を覗かせる。


「これで、対抗すること『だけ』は、できる」


 そして、ついに散在する書物が熱によって燃え上がり始める。紙の発火点である華氏四百五十一度を容易に超えていく。俺たちの周囲で、すべての言葉が焼き滅ぼされようとしている。だが、どれほどの熱であれ、俺たちを焦がすことだけはない。サキの幻から「熱」という属性を奪い取って、その本質である「精神的侵襲」へと還元することで、俺たちはそれを辛うじて防ぐことができる。


 だが、破壊力そのものは、まったく減りはしない。ただ「対処しやすく」なっただけだ。


「――だ、だめっ! もうだめ、樹! あとどれだけ我慢すればいいの!?」


 たまらず、桐香が悲鳴を上げた。俺だって、叫びたい。


「サキとアースが、その力を使い果たすまで、だよ!」


 俺は、サキの幻を打ち消すことだけに意識を集中する。それが一瞬でも途切れたならば、サキの産み出す暴力的なエネルギーの奔流に引き裂かれてしまう。

 地表を灼く熱は、どこまでもその勢いを増していく。



 そしてついに、空にあった星々が――地を、叩き穿つ。



「かみさま」


 桐香は、呟いた。

 俺は、何に祈ればいいのか思いつけなかった。



 爆轟。地表に落下した小隕石は、その質量による破壊力を地中深くまで届かせる。撒きあげられた地表の砂は、天を衝く巨大な砂柱を、ほんの一瞬だけ造りあげる。

 だが、それらは放射状にひろがる熱と圧力によって即座に打ち消され、あとに残るのは巨大なクレーターだけだ。

 砲弾や爆発物の破壊力で例えるのならば、どう呼べばいいのだろう。とてつもないエネルギーが、この、ごく限られた領域に注ぎ込まれる。


(これがサキか! ……サキという人間の心が描き出す、景色なのか!)


 光は飽和し、音は、俺たちが感知しうる総量をはるかに越えた。


 俺は、それらを認識しているのか、していないのか。痛み、苦痛、恐怖。どれかひとつでもいい。分かっていたい。いられたら、いい……。


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