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残光のステイシス  作者: 谷口由紀
第三章
12/21

遺された、その意味

 メモに記されていた数字と記号に導き出された、一冊の本。そしてそこに記されていたのは、ただ一行の文字。

 

 どうということのない、ただの文だ。

 こんなものを、わざわざメモまでつけて、遺すほどのことだろうか?


(遺す?)


 俺はいま、なんと表現したか?

 この文が遺されたものだと、()()()()()()()()()()()

 思考が千々に乱れる。俺たちの目的、未来、世界、桐香、サキたち。ピントの定まらないカメラを振り回しているかのように、脳裏に浮かんでは消える不鮮明な映像。


 そんな俺の様子を、桐香は不審に思ったのか、「――樹、どうしたの?」と声をかけてくる。

 俺は、つとめて平静を装った。そして、手にしていた本を桐香に見せる。


「えーと、『この世界は、硝子の巨人……』って、これなに? 詩集?」


 拍子抜けした様子の桐香。それでも、暗号を解くかのように、その一文を何度も読み返している。

 そんな桐香の横で、俺は周囲の書架をあらためて眺めてみる。

 もう、あの一文を読んだときの、心拍数が跳ね上がるような衝撃は、ない。


(もう、ここには、なにもない)


 それは予感というよりも、確信に近かった。


 ――ここは、さっきの言葉をしまうためだけのところだ。

 だから、俺がこの世界クラスタでなすべきことは、もう、ひとつしかない。


「――行こうか、桐香」


 俺は、しきりに首をかしげている桐香に、そう声をかけた。



+ + +



 号砲を、鳴らした。

 ぱぁん、という乾いた破裂音が、茜色に染め上げられた空に吸い込まれていく。


「……いいの、樹? これだけ広い世界なんだから、もうすこし調べてからでも良かったんじゃないの?」

 心配そうに、桐香が俺の顔を見上げる。


「ああ、もう、いいんだ」

 俺たちは、ふたたび校庭に戻ってきた。

 ここに来るまでの道すがら、俺は、その言葉を心のなかで何度も反芻した。



『この世界は、硝子の巨人。砕けてしまえば、もう、戻れない。』



 この世界を欠片クラスタと呼ぶのなら、そのなかでさらに細かく分かたれて薄められた俺たちの存在とは、いったい何なのだろうか。

 そんな俺たちにセットされた「自明あたりまえの目的」。世界を定義するだの、力だの、そんなことは、おためごかしに過ぎない。


 ――これまで、血色の幻のなかを手探りするかのように進んできた。


 何もわからないまま、戦う。戦ったのに、何もわからない。

 心が倦み疲れるまで繰り返し続く、「戦い」の場面シーン

 自分たちで『情景』を用意して、そのなかで舞い踊り、あるものは残り、あるものは退場する。

 すべては、幻。ただし、「痛み」と「恐怖」、そして摩滅していく「精神」だけが、俺たちにとっての本物だ。


 俺は、永遠に続くような夕暮れのひとときのなかで、サキ・ハリードと、アースィム・クスァーンのふたりを待った。



 ――そして、わずかな時間が過ぎて。



「待たせたかしら。……というよりも、待っていたわ。あなたたちが報せを鳴らすのを」


 到着したサキ・ハリードが手にしているのは、彼女たちが鳴らすことのなかった信号銃。用心鉄トリガーガードに指をかけてくるくると回すしぐさが、なかなか様になっている。さながら「夕陽のガンマン」といったところか。

 その隣で、アースィムは俺の表情を、不審そうに眺めている。


「……イツキ。ずいぶんと、あきらめるのが早いな。この世界で、お前たちは何かを見つけられたのか?」


 俺は、その問いには答えず、あえて質問を返してみる。


「アース、君はここで何を見つけた?」


「――質問しているのは、俺なのだが。まあ、いいだろう。俺たちは、なにも意味あるものを見つけることはできなかった。いかに丹念に探そうとも、だ。……で、お前はどうなんだ」


 すこし不愉快そうな顔のアースに、俺は、「図書館」で見つけてきた本を寄越す。


「俺たちが、書き割りみたいに希薄なこの世界クラスタでみつけたもののなかで、ゆいいつ意味ありげだったのが、その本だ。……ちなみに、他の本には一文字だって意味ある情報はなかった。他のすべては、ただの白紙の束。そうだよな、桐香」


 俺がそう話を振ると、桐香は無言のまま重々しく頷いた。彼女なりに、話にもったいをつけているつもりなのだろう。


 それはさておき、だ。

 俺がただひとつ見極めたいのは、「本に記された言葉に、サキとアースがどんな反応を見せるか」。ただ、それだけだ。

 その一文に、サキたちが(桐香がそうであったように)さしたる反応を見せなかったとしたら、間違いなく「あの文章は、()()()()()()()()()()()もの」だということがわかる。


 では、誰が俺に「遺した」のか。


 ひとたび滅びたなら、俺たちはほとんど全ての記憶を喪ってしまう。だが、たったひとつだけ記憶を「引き継ぐ」ことができる――この法則ルールは、ここまでの経験上確かなことだと言ってもいい。


 だから、だ。

 おそらく、あの一文は「以前の俺が、いまの俺に」遺したものなのだろう。


 そして、俺が俺のために遺したものであるがゆえに、この世界クラスタに先に訪れていたはずのサキ達は「図書館」を見つけることができなかった。そんなところだろう。


 翻って、俺はサキとアースの様子を注視する。


 俺が寄越した本を、まずはアースが読んだ。たった一行だ。すぐに、読み終わる。

 アースは呟く。「これが、どうしたというんだ……」と。

 そして、サキ。アースから受け取った本の表紙を、丁寧に開く。

 彼女はあの短い文章から、ただ記されていること以上の、なにがしかの情報を得ようとして、思考を総動員しているようだ。


 彼女の沈黙は、相当な時間続いた。

 だが、それもいずれ止んだ。そして、サキの鋭い眼差しが俺に向けられる。

 サキは徒労感を振り払うかのように、頭を数度振りながら呟く。


「……この『だだっ広いだけ』の世界に意味のある情報は、この文章だけ。……そして、私たちがいくら精査しようとも、それは見つけられなかった」


 そしてため息とともに、サキは本を閉じて、それを俺に手渡した。


「イツキ。これはあなたにしか見つけられなかった。そして、あなたにしか、その真意を見いだすことができなかった」と、サキ。

 慎重な、まるで探りを入れてくるような言葉だ。


「真意、か。正直その文章がどんな意味を持っているのかは、俺にも確信できるものはない。だが、俺が……俺たちが理解しているのは、この世界が『砕けて』いる、ということだけさ。それを取り戻したくて、俺たちは戦ってきたはずだ。俺たちも、君達も」


「だけど……それなら、なぜ『戻れない』などと書き残したの?」


「俺にも分からない、と言っただろう」


 いまの俺にあるのは、ただ予感だけだ。そしてその予感を、サキとアース……そして桐香に、伝えたくはなかった。


 俺が無言でいることを、サキとアースはどのように捉えたのか。それは知りようもない。

 だが、サキは何かを決心したかのようにアースと視線を交わしあい、小さく頷いた。


「――もとより、ここは薄っぺらな世界。戦って抜け出すしかない。……たとえこの先に、なにが待ち受けていようとも」


 サキは、決然と告げた。


「……ど、どうするの?」と、桐香。


 俺の傍らでここまでの経緯に耳を傾けていた桐香だが、サキの急な決断には、驚いたようだ。


「どうもこうもないさ。向こうは戦いたいと言っている。あとは俺たちがどうするか、だ」


 戦いは、両者の合意がなければ成立しない。間抜けなルールだが、それはここでもまだ生きている。

 そして、サキの辿り着いた結論は、俺の結論でもある。


(戦って、次に進まなければ、全てを目の当たりにすることはできない)


 ゆえに。


「――サキ。君たちと戦うよ。俺たちだって……いや、この世界クラスタに生じたすべての人間が、表現はどうあれ、同じ願いを抱いていたはずだ」


 サキの願い。それはこの世界において、もっとも困難で、もっとも清らかな願い。



 ――この世界を、見渡せるところに、立ちたい。



 それだけを願い、力としてきたからこそ、サキはここにいるのだろう。

 そしてアースィムは、そんな彼女を眩しく思うからこそ、彼女と共に戦うことを望むのだろう。


 俺は、桐香に向き直る。


「……桐香。いまここで確かなことを語るには、今の俺では『足りない』んだ。もっと記憶を取り戻す必要がある。そして……取り戻せたら、一番に桐香に知らせるよ」


 今の俺が胸を張って言えるのは、たったそれだけだ。

 しかし、桐香の顔に浮かんだのは、晴れ渡った空のような笑顔だった。


「ありがと! ……でも、私の願い事は『あなたと一緒にいたい』、それだけ。きっと以前のあなたは、私にそう思わせてくれるだけの『何か』をしてくれたんでしょうね。この先になにがあるのか、一緒に楽しみましょう!」


 そして、桐香は俺の手を強く握った。

 思えば、何もかもを無くした俺に、はじめの一歩のみちすじをつけてくれたのが、桐香・ベイドリック。彼女なのだ。

 どうやって、それに報いればいいのだろう。それを考えることは、ある意味戦いよりも難しいのかもしれない。



 そして俺と桐香、サキ・ハリードとアースィム・クスァーンは、互いに戦うことを選んだ。


 代わり映えのしない、永遠の夕暮れ時。

 まるで儀礼のように、決まり切った手順。

 それでも、先に進むためには必要な手続きだ。


「先手、後手。どっちの『情景』が先になるのかしら」と、桐香。「どっちにしろ、ここまで勝ち抜いてきたもの同士、見応え充分になっているはずよ」


「どちらにしても、同じこと」と、サキ。「私は、早く『終わらせて』先に進みたい。見たいのは……あなたたちの心じゃない! その『向こうに何があるのか』よ!」


 サキの言葉とともに、俺たちの眼前に光点が生じる。それはすさまじい勢いで広がり始めたが、桐香もまた素早く反応し、己の『情景』をもってそれを包み込もうとする。


「もう、せっかち! ほんと、せっかちね!」桐香の怒声。

 覆い、覆われて、めまぐるしく反転を繰り返す世界。


 その争いを制したのは、サキだった。


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