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残光のステイシス  作者: 谷口由紀
第三章
10/21

繰り返し、繰り返す

 あのとき、おおきな決断をしたような気がする。

 その結果として、今の俺はここに存在している。

 全てを手放して、手放したものを取り戻しつつ、俺は「決断」を下したその瞬間に、戻っていく。



+ + +



 ――屋上。


 別れの言葉を交わすこともなく消えていった、アトカースとラズルーカ。

 かれらを消滅させたことで、俺たちはかれらが所有していた分の「領域」を奪う。


 このように、自己のための領域を広げていくことで、俺たちは、肉体・精神の両面において、より濃密な存在になっていく。

 だが、そうやって他者の「領域」をつぎつぎと奪取していくことで、俺たちは最終的になにを手に入れるのだろうか?


 ――それは、この世界クラスタを再定義しうるほどの、力と、思考。



(それは、自明なこと)



「……えっ?」


 思わず、呟いた。いま、ふと思いを巡らせた言葉。そのどこに「自明性」があるのだろう。根拠など、どこにもない。

 だのに、いまの「俺」は、それを「確かなこと」だと、疑うことなく確信している。

 ほんのすこし前の自分には、けっしてありえなかったことだ。


「……どうしたの?」と、隣にならぶ桐香が訊いてくる。

 すこし心配そうな声音。俺はあえて、笑顔をつくった。思えば、「今回の」この世界で笑顔を浮かべるのは、これが始めてかもしれない。気恥ずかしさをごまかすために、ひとつ空咳をしたあとで、俺はいま考えていたことを説明する。


「こうやって、一戦一戦と勝っていくことで、俺たちは心と体をとりもどしていく。その先にあるものはなんなのか。これまでに出会った誰もが、そのことを考えていた」


 いってみれば、これが「ここまでのあらすじ」だ。繰り広げてきた戦いは、認めたくはないが……ただの選別の一過程、勝ち負けを決めるためだけの手続きにすぎなかった。


 俺の言葉に、桐香はふんふんと頷いてから、言った。

「でも、戦いの先になにがあるのかを知るためには、情報は絶対的に不足『していた』……ってことでしょ?」


 そのとおりだ。


 桐香の言葉に、疑念の響きはない。俺は、彼女の表情を見た。

 そして、俺は知った。

 彼女もまた、この戦いの果てにある結末を「知ってしまった」ことに。


「ねえ樹、どんなに単純なルールのゲームでも、ルールすら分からない状態で、ぶっつけ本番で出来ることなんてたかが知れている。わたしも、あなたも……みんなも。ルールが分からないまま盤上にほうりだされたひとつの駒にすぎなかった、ってことでいいのかな」


「そうだ。……そうだった」


 どう動いていいのかもわからない。誰を敵とすべきかも分からないまま闇雲に戦い、そして、くりかえしくりかえし滅びていく。

 そして、ようやく俺たちは、この世界において用意された結末を見いだした。


「樹、この校舎から外に出てみよう。きっと……外へと、行ける」


 そう言って、桐香は屋上から見える街並みを指さす。


「もちろんだ」


 このとき、おれはわずかに安堵していた。

 三度。生存と消滅を隔てる戦いを、三度とはいえ勝ち残ったのだ。

 もう、いい。リスクを背負うのはたくさんだ。

 この世界がどれほどの広さを持ち、最終的に手に入る「力」とはなんなのか、まだ分からないが、おそらくはそう多くもない回数の戦いで、終わるだろう。


 そしてアトカースが言っていたように、戦いに倦んだのであれば、もう、ここに留まればいいのだ。その選択に、だれが文句を言うだろうか。


 ――戦いは「両者の合意」がなければ、成立しないのだから。



(本当に、それでいいのか)



 ちりちりと頭のなかに走る思考を、俺はあえて無視する。



+ + +



「――開いた、わ……!」


 桐香の声に、ちいさな驚きの響きがある。

 戦いを経て世界は確実に広がり、微動だにしなかった扉は、さほど抵抗もなく開かれた。


 屋上から一階に下りて、玄関へ。校庭に通じる扉を押し開いたその先に、広い校庭が見えた。


「ようやく、建物の外に出られたんだな……」


 勝ち抜くことで、俺たちはすこしずつ行動範囲を広げてきた。そしてついに、陰鬱な屋内から出ることができた。

 夕陽に染め上げられた校庭。広大な敷地をぐるりと囲うフェンスの向こうには、誰が住んでいるのかは知れないものの、街並みも見える。


 しかし、扉を開けたときの小さな達成感も、そう時間をおかずに萎えていく。


「――誰も、いないな」


 勝って、それなりの力と自由を手に入れたのだ。どこかに、その成果を謳歌する者がいたっていいはずだ。

 だが、校庭には誰もいない。


「ね、ねえ、それなら校舎の中はどうかしら。屋上から降りてきたときには誰にも会わなかったけど、もしかしたらまだ教室の中にいるのかもしれないよ」


 桐香の気丈な声は、俺を元気づけるかのようだ。


「そうだ。……そうだな」


 その気持ちを、無碍にはできない。



+ + +



 結論から言えば、校舎のなかには、誰もいなかった。


 これまで、勝ち上がるごとにその世界クラスタに属する人数も増えてきたし、新参者である俺たちにコンタクトをとってくる者も、かならずいた。


 だが、ここには誰もいない。


 もはや見慣れた校舎内に戻って内部をうろつき回り、教室のすべてを訪ね、ふたたび屋上へ戻ろうとも、誰も。


「……だけど、完全に無人ってこともないだろう」


 なにしろ、この世界クラスタは、二人では広すぎる。

 俺がそう呟くと、少しばかり疲れた様子の桐香も「……そのはずなんだけどね」と返す。

 しかし、完全に無人であると言い切れないのは、どこかで俺たちを見ているような、漠然とした気配を感じているからだ。


 桐香と同じように、俺も疲れていた。精神が、という話だが。

 本来の人間であれば、その生身の身体が長時間の緊張には耐えられない。ストレスによって、精神のみならず、肉体もまた壊れていく。

 だが、俺たちは違う。いくらでも緊張状態を保つことができるし、肉体的な疲労もしない。定期的な睡眠すらも必要とせず、これまで延々と行動を続けてきた。俺たちの意識が「飛ぶ」ときは、意識を保っていられないほどのダメージを被ったときだけだ。


 だが、同じ行動の繰り返しにうんざりする気持ちは、当然のようについて回る。

 繰り返し繰り返す等質の苦痛に、ひとはいったいどれだけの回数を耐えることができるのだろう。


 まるで、その実験に供された、試験体のようだ。


 いま俺たちは、校庭の片隅に設置された運動器具のそばで、久しぶりに無為な時間を過ごしていた。鉄棒に身体を預ける俺、その横で、どこからか見つけてきた踏み切り板を引きずってきて、それを椅子がわりに使う桐香。


 屋上から眺めた夕陽。校庭から眺める夕陽。経過しない時間のなかで、ただ空に貼り付けられたような雲だけが、「この世界が流動的である」ことをアピールするかのように、しずかに流れている。


「……このままだれにも会わず、だれとも戦わなくてさ。こうしてただ樹とふたりでいることも、悪くはないのかもしれないね……」

 ぽつりと桐香はつぶやく。


 だがつきつめれば、その環境もまた精神の牢獄になることを、俺たちは分かっているはずだった。

 俺たちは、ふたりっきりで過ごしていくためには、まだなにもかもが不足している。


 もっと、もっとだ。より大きい精神を得るために、この世界クラスタから「領域」を奪わなければならない。



(敵が……敵が、いなければ、俺たちは、存在、できない)



 そのことに思い至ってしまったとき、俺は桐香になんと答えればいいのか分からず、俯いてしまった。


「……ごめん。私、なにか悪いこと言ったかな? ……ごめんね」

 気遣うような、桐香の声。


 俺は、この、たったひとりのパートナーを傷つけたくはなかった。

 だから、はっきりと言ってみることにした。


「なんにも言ってないさ。悪いことなんか」


 そう言って、俺ははずみをつけて、もたれていた鉄棒から離れた。

 そして、桐香に手を伸ばす。


「ここがゴールなら、それはそれで構わない。もう、誰かと『存在すること』を賭けて、戦わなくてもいいって事だからな! それなら、それでいい――」


 戦わなくてもいい。そう口に出したときに、俺の頬はごく自然に緩んでいた。

 笑い。俺にも、心からの笑い、というものはあったのだ。

 そのことが、われながら少し嬉しかった。

 そんな俺の手を、桐香はおずおずと握った。淡い笑みが、彼女の頬にある。


「そうね。――そうなったら、知ってるかぎりの楽しい話をしてあげるね。……あれ」


 そのとき、桐香の視線がふいに外れて、どこか遠くの一点へと注がれる。浮かんだ笑みは、一瞬でこわばって、消える。


「桐香、何があった」


「……あれ」


 そう言って、桐香は俺の手を握ったまま、もう片方の手で虚空を指さす。

 桐香の示した方向には、この「学校」の校門があった。その門はいつしか開け放たれていた。だが、それよりも驚いたことがある。

 その門を通り、何者かがここを目指して歩いてきている。


「……『外』から、来たのか」


 俺たちはまだ、この学校の敷地内しか調べてはいなかった。

 近づいてくるのは、やはり、男女の二人連れだった。そのパターンが崩れてはいないことに、わずかな安心を覚える。相手は、人間だ。仲間になれそうなら語らい、敵であれば、滅ぼす。久しぶりに訪れた平穏な時間にとまどっていた己の思考が、また、ソリッドな単純さを取り戻していく。単純なものは、強靱だ。


「桐香、それじゃ、行こうか」


 俺がそう言うと、桐香は尻にしいた踏切板に弾みをつけて、勢いよく立ち上がる。


「喧嘩腰じゃ、だめだからね」


「相手次第だよ。仲良くやれればいいが、とは思うけどな」


 そう呟くものの、既に心には「もし戦わば」という思考が宿りつつある。


 近づいてくる二人連れ。一歩ごとに、鮮明になるディティール。

 その姿をはっきりと認識できたとき、俺はかれらのことを覚えていることに気づいた。


「――桐香、覚えているか?」


「ええ」

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